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イスラームから見た西洋哲学 河出新書

わかりやすいが、それゆえ次のステップを考えるとモヤモヤが残る本。
イスラム啓蒙書と西洋哲学啓蒙書の掛け合わせのレベルではないか。また講演か喋りの文字起こしに見えます。

目次を読んで面白そうだったので買ってみて読んでいると色々違和感も出てきます。

第1章 p51 〜p57 啓蒙思想は西洋キリスト教文明優位の自文化中心主義、からの植民地や奴隷の説明はいいでしょう。哲学的な思想を実践のレベルにうまく落としています。違和感としては、このような統治制の概念をどのようにミクロに文献などで実証的につなげていくかというと難しいと思います。

第2章は面白く読めました。
第3章はイスラームと近代哲学 イスラームの動きを知りたいので、勉強になります。p116の無神論のマルクス主義がイスラームで流行した訳などはなるほどと思います。ニーチェの説明でキリスト教はパウロ教だと指摘したニーチェはいいでしょう。

違和感1
p152 からは首を傾げます。
中田氏はキリストはマリアとローマ兵との子供である152,209ページにて主張しているのですが、隠れ教義が昔からあるといいます。どんな文書でしょうか?昔とはいつでしょうか?単純に知りたいです。
ネット情報では

として、2世紀のギリシアの哲学者ケルススの失われた書、ケルソス反駁に引用されているとしています。写本への信頼度、つまり改ざん、異文はテキスト分析からはいかがでしょうか?学問レベルの文献が欲しいところです。

そもそもキリストが存在したと言う歴史的に確かな証拠はない、と言うのが歴史学の標準なのでは。(聖書はキリストの死後に書かれたものなので、聖書すら証拠に入れられない)

 また、仏教がキリスト教に影響を与えたといのは「とんでも」、と言っているのであるが、確かに仏教の禁欲がキリスト教の初期修道制に影響を与えたという論文(SUR UNE NOUVELLE EDITIONDU « DE VITA PYTHAGORICA » DE JAMBLIQUE (1) 1937年André-Jean Festugière)が存在していることをフーコーが指摘しているが、それほど引用されてはいない、つまり信用されていないようである。中田氏はどの論文のことを言っているのか指摘すらしていない。せめて人名などあげるべきでは。なので、キリストの男親がローマ兵と言うのこそとんでもなのでは。

たまたま併読している「ソフィーの世界」ヨースタン・ゴルデルの「二つの文化圏」p197-にヒンドゥー教や文教はインド=ヨーロッパに起源を持っているとして語族で議論を展開しギリシア哲学と似ている、としている。セム語族としてユダヤ、キリスト、イスラム教をあげて神が歴史に介入するとしている、と説明している。私は、今介入して戦争を納めてくれたらいいのに。きっとウクライナやパレスチナの人々に試練をあたえる神の意思があったり、過去の報いがあったと言のだろう、と思う。さらに言えば哲学は現実の問題に端を発し思考を問うものであると私は思うのだが、p200にはエルサレム紛争について、差し当たり議論はこの辺でやめておこうとしている。哲学と哲学史の逆説である。

イスラームの本に戻り、
違和感2
第3章ではイスラームの展開が読めるかと思ったのだが、マルクス、ニーチェ、フロイトが大半をせめ、残念。

違和感3
第4章 イスラームと近代哲学

p188- サルトルとレヴィ=ストロースの論争にも触れサルトルをdisっているが、これは哲学啓蒙書、ニューアカのコピーである。せめてレヴィ=ストロースとエリボンとの対話(「遠近の回想 みすず書房」にサルトルとの論争についてレヴィ=ストロースが釈明しているところがあるので、それを踏まえて、サルトルのシチュアシオンなどの文献も読んでまとめて欲しい。サルトルが噛み付いていただけで野性の思考でサルトルへの論考を提出した以上、レヴィ=ストロースは論争が好きではないので差し控えていたと言っていた。
 p212〜
L.S. 私は論争をやらなかったと言う証拠です。
E(エリボン). 確かにあなたは乗ってこなかった。
経緯 
1960 サルトル 弁証法的理性批判 LVに言及 (例 「方法の問題」p84)
1962 LV 「野性の思考」 最終章「歴史と弁証法」でサルトル批判
1966 サルトルからの応答 人類学について雑誌編集者相手に対談 シチュアシオンIX巻 人文書院 p67~

次、イスラームの本に戻り、p192-
フッサールのことを「難解な割に得るところの少ないフッサール」(pp192)

そうなのか?

フーコーの「生権力の誕生」筑摩書房pp127以降に1948年ドイツにおいてエアハルトが開いた学術審議会の主要メンバーにヴァルター・オイケンがおり、フライブルグ大学でフッサールと知り合い現象学を学ぶ。
フランツ・ベームはフッサールに「ある程度まで師事」していた。ヴィルヘルム_レプケ、オルド自由主義、新自由主義の代表的な著作。第1巻の「社会危機」はフッサールの諸学の危機を「準拠」
とフーコー。つまり、フーコーはドイツの将来に与えたフッサールの影響力の大きさを評価・評定している。
 イスラム文献については日本語訳はないだろうけど出版社、出版年の情報もなくこれは河出新書のエディターがしっかり追記させるべきだったと思う。
 細かなところで情報不足や現状確認不足を感じると全体の趣旨も信用できなくなる。ざっくり言うと専門家によるまとめではなく、イスラム啓蒙書と西洋哲学啓蒙書を掛け合わせた本と言う感じがしてしまう。そうでないことを祈りたいが(誰に)確信が持てない。
 この分野のことについては別の本や論文を探そう。
こうまとめてきて私の不満はだんだんわかってきた。「イスラーム」から見るはずなのに「西洋哲学」のボリュームが大きすぎるのだ。巻末にイスラーム文献一覧も欲しかった。
 カイロ大学はどこかの知事も出ているがアラブ語を大学首席レベルで話しているところを見たことがないとか、卒業証書の印影がはっきりしないなどネットニュースで出てくるどうでもいいニュースが流布しているが次はそういう疑念のない本になってくれるとありがたいと、この本を968円で買ったしまった私は思ってしまう。




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