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中世キリスト教修道院における修道の核心その10 沈黙3/3(フーコー) ChatGPTでアベラールとエロイーズ


前回の続きです:

フーコーの「主体の解釈学」における沈黙

 それではこれらの文書を貫く「沈黙」の系譜についてフーコーに基づいて調べたい。そこで調べてみると「主体の解釈学」(筑摩書房)にピュタゴラス、セネカ、エピクテトスなどとキリスト教との関係について記述がある。
 キリスト教時代に先立ち、「自己の実践」における「ロゴス的な聴取」の「純化」をどのようにすべきか、
1 ピュタゴラス派などの「沈黙」pp386
2 能動的な態度pp388-9
3 語られた真理と与えられる教えpp397
という点にあらわれる。
 1に関して、ピタゴラス派に入門するには5年間の沈黙が要求される。真実の言説をや訓練の時、新参者は発言できない。(後述)
 さらに、プルタルコスでは「饒舌について」では「人間に沈黙を教えたのは神々であり、私たちに話すことを教えたのは人間たち」「真に高貴な教育、真に王者にふさわしい教育を受けようとする子どもたちは、まず沈黙を守ることを学ばなければならない。また、「饒舌」な人は聞いても話をすぐに「流れ出し」てしまい、いわば「空っぽな瓶」と考えられていた(pp388)、と指摘している。
 2について、「魂は自分に向けられた言葉を聴くために純粋で障害物のないものになるためには、身体そのものも完全に平静でなくてはな」らない。
 「身体は、魂が実際にロゴスを十分に理解して受け取っていること」、「聞き手は話し手と交流し、同時に話し手の言説をしっかりと注意して把握していることをみずから確証」していく。
 3について、プルタルコスにおいては「何かを聞いた時はそれを沈黙のオーラや王冠で飾ってやらなければならない」「聞いたことをすぐに言説に変換してはならない」つまり「記憶し保持しなければならない」と。
 フーコーはキリスト教時代の沈黙について後に話すとしたが残念ながらその後述べていない。注に下記の文献が出て、その文献ではピタゴラス派などの異教と原始キリスト教の修道性としてアタナウシスのアントニウス伝の宗派を比較しているので、それを検討しよう。

« DE VITA PYTHAGORICA » DE JAMBLIQUE

論文のURLは

 特に480-483(フランス語とギリシア語入り混じり)。
 論文のタイトルは「ピュタゴラスの生涯」この文献をChatGPTで読むと、アタナウシス著のアントニウス伝はピタゴラス伝を仕立て直したもので、特定の共通の単語もあるそうである。(pp489)
 ピュタゴラス(ピタゴラス)伝ではピタゴラスは神そのもののように描かれるが、アントニウスの奇跡は神に帰している。
 沈黙とは少しずれるが、ピュタゴラスとアントニウスについて触れておこう。ピュタゴラスの奇跡は、彼の神性を表すが、アントニウスの奇跡では神に栄光を帰するよう心掛けている。アントニウスが飲食せずに40日間過ごした奇跡(アントニウス伝c. 54、915 A)は、ピュタゴラスの奇跡の繰り返し(コピー)としている。
 ピュタゴラスは害を及ぼすとしてワインを避けるが、アントニウスではワインを嫌悪しているわけではなく、精神の静けさを乱す可能性のあるものを避けるためとのこと。
 ピュタゴラスとアントニウス(アントワーヌ)は両方ともギリシャとエジプトの知恵に従った理想の賢者であり、神のような存在とされている。どちらも食事の際には、兄弟が互いに食事をしている姿を見ないように、兜巾で頭を覆うようにする。食事中に話すことや、椀やテーブルから目を離すことは許されていない。ピュタゴラスは神と見做されているので食事する姿を見たり見せたりしてはいけないが、修道士(アントニウス)では霊的な食物の思い出、そして体のために完全に神と結びつくことができないことへの後悔があるためという。
 また、アントニウスはこの禁欲主義自体が乱用につながらないように、異常な能力(予知の力、奇跡の力)の追求に注意を払うように助言している。悪魔がある苦行者の姿で、何も食べないように誘う誘惑(アントニウス伝c. 25, 881 A)を記述したことは、誘惑から修道士たちを遠ざけるよう奨励している。・沈黙についての比較 ピタゴラス派では5年の沈黙の位置付けは「どのように自制心を持っているかを彼が試そうとしていた」。(pp480以降)
 フィロン(ユダヤ人)の修道院では2年の沈黙。食事は黙ってとる。 アルセニオスでは、沈黙し、穏やかでいなさい。罪から解放されるため。黙っていなさい、そしたら救われるでしょう。 Histoire lausiaqueに記述されたパコミウス(原始キリスト教)の修道会では、必要なことを除いて話さなかった。 パコミウスの規則では、地上のことは一切語らないで働く者たち、かえって黙想するか、もしくは確かに黙っているであろう、としている。アレクサンドリアのクレメンスの『ストロマテイス』でも同様。
 「パコミウスの生涯」では、もし誰かが再び自制心を持ちたいと願うなら、喜んでかつ妨げられずに自制心を実践するようにと述べている。また、フィロストラトスの「アポロニウスの生涯」では、夕方になると、アポロニウスは寺院で特定の秘儀を行っていた。彼はこれらの秘儀を、四年間の沈黙を経験した弟子たちにだけ伝えた、として沈黙に耐えたかどうかが問われている。
 一方、修道院では奉献の年と修道士の見習いの2年が沈黙の期間。食事を黙って取り、このアントニウス伝の宗派の特徴的な特徴の一つ。修道院の憲章にも同様に沈黙は見られない。おそらく、沈黙の一般的な規則は当然のことであるため

 この文献の内容はフーコーは出典を明記せずにあちこちで使っている。例えばインドのバラモン修行僧がギリシア近くまで来ていたと「真理の勇気」で述べているがその元ネタではないか。(« DE VITA PYTHAGORICA » DE JAMBLIQUE pp476) また、修道院の特徴としてフーコーが挙げる、祭司や賢者の節制、世界からの分離、都市から遠く離れた場所に引きこもるという点も同じである。
 そして、近代でも1940年以前の幼児教育は沈黙を学ぶところから始まっていた(主体の解釈学 pp387)、とフーコーは指摘しているので規律・訓練をテーマとする「監獄の誕生」を念頭においていると考えられる。
 このように古代ギリシアの沈黙に関する修練はキリスト教にも引き継がれ、沈黙することは救済が得られる条件とした。また神性の表現に沈黙はセットで使われた。

まとめ

 アベラールの引用するマタイ12の36は引用されておらずアベラール独自の見解でその後も引き継がれていないようである。一方、箴言10:19はアベラールにも引用されておりベネディクトの戒律を通して引用したことは十分あり得る。
 アベラールは沈黙することで、学ぶこと、瞑想することで魂の離脱と神との対話を描いた。学んだり、神と言葉で向き合う姿勢は神との合一をうたう神秘主義を意識しつつも理性的な態度を貫いた。
 アウグスティヌスは戒律と類似したフレーズを「再論」から引用を行っている。ベネディクト会則では厳格に沈黙を要求している。一方、司牧論では「指導者は沈黙の中で慎重であり、言葉の中で有益でなければなりません。何も言うべきでないことを言ったり、言うべきことを黙ってしまってはなりません。」と魂の指導の際には適切な発話が要求される。これはキリスト教世界のパレーシアの1形態である。
 フーコーではピュタゴラスやプルタルコスは研究されたがキリスト教時代のものはまとまって提示していないようであるが、沈黙は規律・訓練に結びつけようとする。引用文献にはピュタゴラスとアントニオス伝の比較がのっており、2700年前のギリシア哲学から原始キリスト教に沈黙はじめ諸概念が引き継がれ屈折している様子がわかる。
 フーコー的な観点から見れば、カトリックの実践では禁欲せよ、目上には逆らうな、全て捨ててそれを修道院に入れ修道院を潤せ、気に入らなくても黙ってなさい、そして、司牧規則の明文化により師匠が語り弟子には沈黙を強制する。魂の救済を行うにはすべてを告白させることがセット、それは他者を統治する権力となる、という価値観からの記述になる。

文学作品への波及 執筆後記にかえて

 ここまできて、モーツァルトの「魔笛」を思い出す。ザラストロがタミーノとパパゲーノに与えた最初の試練が沈黙。初めてこのオペラをレーザーディスク(ふるっ)で見た時、沈黙を求めるとはあまりの意味不明さに驚いたが、見るうちに慣れて忘れていた。
 アベラールとエロイーズを読んだ時も気が付かなかった。映画グランドシャルトルーズをみても結び付かず、今回初めて、ザラストロは修道院長なのだ、と思い出せばなるほどと思った。ザラストロへの服従、沈黙の後の二つの試練を満たせば2人が結ばれると言う、変形した救済が描かれている。そのような観点が辻褄合うかどうかまたじっくり見てみたい。
 高橋たか子氏の「土地の力」(女子パウロ会、1992年)を福田氏の記事で教えてもらい読んだ。45歳の日本人女性がフランスの修道院に宿泊することが描かれている。ここでも「沈黙」はキーワードとなっており、修道院における沈黙が最重要概念であることを裏付けている。

「土地の力」から気になるフレーズを抜書きしておこう:
pp 55
「沈黙を。
言葉ではなく、御言葉を」
pp69 (告白に関連して神父の発言)
「何なりと。聴くのは私の務め」
pp89(神父が)
「ずいぶん長くあなたはここにいるが、ここの沈黙が耐えられるのかね?」
pp145
普通、人は、世間から来て沈黙のうちに置かれると、浄化どころか、内の騒ぎに直面するのです。
pp145
「一人一人が隠遁者です。同じ建物に住んではいますが、一つ一つの修室が独立していて、それぞれ外に面した出入り口があります。・・・」
pp149
「何をなさっているのですか、みなさんは」
「自分のすべてをさしだしています」
「4世紀に、エジプトやパレスチナやシリアの砂漠へ出ていって、神のみを求める生活に入った人々がたくさんありますね」
pp163
「一人一人の孤独と沈黙のうちに開いている砂漠において、・・・」
pp164
「人の中の、もっとも深いところに。孤独と沈黙とが極まれば極まるほど、交わりの増していくところに。あなたとの交わりにおける人類全体との交わりです。」
pp302
 私は、いや、私のみならず神との合一を求める人々は、この世の外へ出てしまうけれど、あの男は、ただ、この世の外へ出ただけなのだ。
pp307
私は、あの恐かったことがすべて、自分のうちなる聖と魔の闘いであったのを思い出して、付け加える。

以上、このように修道生活の核心について調べることで現代においても触れる芸術上の表現やその背景が明らかとなり、中世マニアではなく中世と現代を結びつけることは意義が深いと考えられる。トップ画像はフランス、ブルゴーニュ地方のベズレー教会身廊の夕方の写真。


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