カントとニーチェ 人生の記述の補完

カントには有名な言葉がある「我が上なる星空と我が内なる道徳律」(道徳形而上学原論」岩波文庫 表紙)確か40年ほど前の私の国語の教科書でも紹介されていた。美しい言葉でもあり峻厳な言葉である。
 最近カントを理解できなくてもパラパラ順に辿っているだけで、ヘーゲル、フッサール、サルトルのページを開いても部分的にではあるがなぜそのようなことを話題にしているかわかって興味深いと思った。大元はミシェル・フーコー講義から始まったのであるが。
 昨日、ニーチェの「悦ばしき知識」信太正三訳 ちくま学芸文庫を開いた。

「女性の貞潔について。ー上流階級の女性の教育には、何かまったく呆れかえるような奇怪なものがある。・・・上流階級の女性たちを、エロチックなことがらに関してはできるだけ無知なように教育し、そうしたことがらに対する深い羞らいと、そうしたことがらをほのめかされた際の極端な耐えがたさや逃走感を彼女らの心に吹きこむということについては、世間みなの意見が一致している。・・(中略)・・ところで、どうだ!結婚と同時に、物凄い稲妻の一撃に打たれでもしたように、その点現実と知識の中へと投げ入れられるのであるーーそれも彼女らの最も愛し尊敬する者によってだ。要するに、愛と羞恥とが矛盾する現場を身で味わう、いな、恍惚・身をまかすこと・義務・思いやり、さらには思いもかけなかった神と獣との近親づきあいに触れた愕き、(略)」

カントの啓蒙思想に触れ「我が上なる星空と我が内なる道徳律」を持つ「彼女らの最も愛し尊敬する者」男性が「愛と羞恥とが矛盾する現場を身で味わ」せ、「神と獣との近親づきあいに触れ」させるのである。その男性と妻は娘が生まれたらその娘を再び、「エロチックなことがらに関してはできるだけ無知なように教育」するのである。

 ニーチェはこの記述の後は、「どのようにしてあれこれの女性がこの謎の解決またこの謎の解決に対処しうるかを」と思いをめぐらしている。では男はどうか。ニーチェは描いているだろうか。まだ見つけていない。

 なんとカントとニーチェは毅然一体に輝かしく皮肉にも人生を描いているか。カントのこの書は1785年とのこと。ニーチェのこの書は1881-2の作らしい。100年経っている。

 さらに100年後、フーコーの「性の歴史1巻」1976の第4章には近代に入り少年少女が性について無知であるように育てられていることをレポートしている。また女性のヒステリーについてもレポートしている。それらをフロイトを挟んで記述している。その起源のひとつをここに見た想いである。

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