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書き残すということ

ちょっと前の記事で……初グラの攻略進めてた時の愚痴に近い奴ですね、「現代に攻略のコンテクストがない」「攻略情報が欲しくても解像度の高い情報が手に入らない」みたいな話をしてます。まぁ愚痴に近い話だしそれ自体は今回の話とは微妙にピントがぶれるのでそういう不満があったって話だけで留めますが。話がしたいのは、じゃあそういう密な情報は果たしてどこにあるのか、もしくはどこにいっちゃったのか?って話です。……「geocitiesとisweb」?……そうっすね。waybackmachineへどうぞ。話はそんな簡単には見えていません。

事の起こりとしてこういう記事を読んだのでご紹介。

記事が言いたいことに関しては概ね同意するし、記事の視点は嫌なものには感じていません。ただそんな簡単にすべてを誰かのせいにできる気もしていなくて、そういう愚痴は書き残してもいいのかなと思いました。

卵が先か?鶏が先か?

枕で一煽りした話は何かあるとよく聞く行儀が悪そうな話です。多分同じくらいの歳の……あのすいません今回は17歳と四半世紀の四半世紀の方も加味してください。ややこしいなこれ、いつもすいません。……同じくらいの歳の方に多いと思うんですけど、「昔は個人サイトもいっぱいあった。自分もgeocitiesとかiswebを使っていた。どうしてサービスを終わらせたのか?インターネットには集合知があるべきだ。」というアティテュードの方、居ませんか?居ると思います。僕も知人にそういう方結構居ます。これ、本当にそうなんです?
サービスが消滅したら失われて当然、と言われるかと思うんですけど、物理的な存続の問題であればそうです。じゃあ物理的じゃない、語られるべきこととして情報は残ってるもんだと思ってるんですけど……どうでしょう?例えば枕で触れた「AC版初代グラディウスの攻略情報」なんかは絶対あるわけじゃないですか?悪い言い方だけど高田馬場には絶対ありますよね?これ、インターネットから情報が消えたんじゃなくて、インターネットは情報を残すものに適さないということになったんじゃないですか?

先に懺悔の時間を設けます。少なくとも僕はそうやって個人サイトとして書き殴った挙句に情熱がカラになった瞬間ブン投げた話、人よりもあります……のでそうしてきた個人を咎められる気もしないんです。ただ、相当な熱量でやろうとしてきたことだったので、誰か語り継いでほしかったなと思うことは幾度もあります。身勝手な叶わなかった希望として抱えている日もあれば、人を選んで「お前さんはそれをする義務があっただろうに」、と罵りのエサとして蒸し返すこともあります。

サービスが先か?ナレッジが先か?

というわけで身勝手ですが話を進めさせてください。もう一度、個人が発信してきたものがそれぞれの個人的な事情でサラになるような話に対してその個人を咎めたいとは思いません。ただ組織だったらどうでしょう?営利企業だったら仕方ないです。個人的な印象としては悪くなりますけど。営利ってそういうもんです。残すか残さないかはアガリとコストのバランスでいいと思います。非営利だったらどうでしょう?かなりギリギリだと思います。ギリギリというのは存続にコストがかかる場合なら文句が言える気がしないという意味で、です。例えばオープンソースのソフトウェアとかそうですよね。
じゃあ、非営利で特に存続に大きなコストをかけてきたわけじゃない組織……そんなもんあるのか?って話ですが正にゲームの攻略を支えるユーザーコミュニティとかはどっちに居るかと言うと、こっちだと思っているんですけど、それは組織としては……僕はこういうの組織というか、コミュニティを組織と誤読して、かなり否定的にとらえています。はい意図的に組織とみなす誤読をしています。でもコミュニティの集まりの中で「俺は個人だ自由だインターネットはそういうもんだ」って好き勝手してる輩があふれてるなら、それはコミュニティとしては……終わってません?そんなんなったら僕なら啖呵切ってでも抜けます。
ちょっと自分が知ってるタイプのコミュニティの話に特化してしまうのですが、この感じの臭いに僕、かなり敏感で……それ相応にいい様にされてきたのも理由なんですけど。

個人が先か?集団が先か?

ちょっと話を巻き戻します。個人がその情熱で発信してきて、まぁコミュニティ的には有用な情報だと賞賛を受けるだけのものだった。ただ時とともにそれを残せるだけの情熱とか体力がなくなってクローズするときに、コミュニティとしての献身を嫌がる人ばかりのまま「アレがなくなるぞ、きっとアレが悪いコレが悪い」というだけの集まりになったんなら、僕はコミュニティがそこで継ぐのをやめたんだなと思われても仕方ないと思います。それこそgoecitiesが、iswebが、ってタイミングで区切りにしようとした人も居るだろうし、そうやってお別れの挨拶する前に人生のフォーカスが家庭にシフトして、有耶無耶に放置されたので、消えるのは知っていたけど最後に何か出来るほどの情熱が出なかった、なんてこともあろうと思います。これに関して残念ではあるけど、誰かを悪くなんて言えません。
でも、だれか、情熱が続いてる人が居れば継げたわけじゃないですか?継がない理由はいくらでも見つかります。でも継がない理由を探したのであれば「継げるかもしれない」とも思ったんですよね?

何故しなかったんですか?
インターネットはそうやって情報が消えゆくものだと理解して、動けなかったのは誰ですか?
そうやって、インターネットには残れない情報を振り分けたんだと思います。誰かが。
あなたが、かもしれないし、他の誰かが、かもしれません。
おそらくは全員なんでしょう。そうやって認めてしまったんです。烏合の衆の一人として、その全員が同意してしまったんです。

いつの時代もインターネットには、たとえ完全に同じサービスでなくともナレッジを保存できる方法が残っていると思います。それは個人サイトからwikiやblogに代わり、動画やSNSに代わり……動画やSNSがそれに足りているかどうかはここでは問題となりません。よりハイコンテクストなサービスと連動するのはさほど難しくありません。そして今、新しい何かが芽吹くのかもしれませんが、恐らくそういうものが出来て、きっと情熱とその情熱を注ぎ切れる器としての教養がコミュニティの中であれば継がれていくんでしょう。それこそnoteはそういうものになっていくのかもしれません。

滅茶滅茶厳しいですが一言で言います。継げるもの継がなかったらナレッジは消えます。全員献身できなかったらその全員が悪いんです。

コストの問題であれば仕方がないです。〆切とコストの中で戦うのがプロフェッショナリズムです。やむを得ない引きどころはあるでしょう。
逆にカネにならない代わりに〆切もないのがアマチュアリズムの矜持です。
献身の窓口がデッドラインなしに永遠に開いているのに踏み入れられないのは、情熱と教養の問題です。

かなりキツめの話をしてしまっています。僕個人のバイアスも多分にあるだろうし、実際のコミュニティ一般の現実はまたちょっと違ってて、問題の芽は常にありながらも上手く回っているコミュニティってあるはずです。実際楽器弾き同士のコミュニティでナレッジベースが有耶無耶におじゃんになったなんて話は聞かないですし、検索性がどうしようもないほど悪くなったっていう印象も……とりあえずいい人、いいナレッジはちゃんといい頻度で適切なものが見つかります。演奏という文化がナレッジ共有が共益だったり、文化的に歴史が長かったり、「正解が近い文化」だったり、が理由かもしれません。逆にそうじゃない文化では……という、より残酷な現実の証左でもあります。

Don't be evil like.

で、検索サービスの話に戻るとして……起こったこととしてgoogleのサービスが悪くなったというのはまぁ、そうなんでしょう。実際僕もgoogleの検索は使わなくなりました。ただ一方で個人がいいテキストを書けなくなったなあという印象もあって、全てがgoogleの問題ではないとも感じています。記事のコメントでも言及されている方居ますが、技術系の情報が欲しければ僕もQiitaやzenn決め打ちで検索かけて、このイカレた世界でよろしくやっています。それはそれでハズレも引くんですけど。
今、検索サービスというか、我々の生活とインターネットサービスが接続する地点で何かおかしなことが起ころうとしているのは……仕方がないです。ネガティブな諦めの感情ですが。但し受け入れるつもりはありません。我々はあの現状を見てあの邪悪が考える方法に乗ってはいかんのです。じゃあどうするか?もう一回、純潔なるインターネットに相応しいテキストを残すというのはどうでしょう?たとえかの邪悪に無視されようと、本当に分かっている者同士ならきっとたどり着きます。検索という行為はgoogleが全てじゃないんです。noteで検索すればnoteの記事がちゃんと帰ってきます。きっと他のサービスだってそうでしょう。それなら届きます。サジェストもされましょう。今きっと、そうやって僕の記事見つけてくれたはずなので。それでいいじゃないですか。なくなった純潔を語りたいなら、まず自分から純潔を表現するしかないんです。
簡単な献身ではないですが、ギャラも出なけりゃ〆切もないので永遠に献身できます。暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけましょう。

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