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「絶望してよかった」。転職先で打ちのめされたからこそ見えた、自分の本当の想い

どうも、フリーのイラストレーター・ライター、そして二児の母として日々ひぃひぃ言いながら生きている杉井です。 今回は、noteさんのお題として挙がっていた「#転職体験記」というハッシュタグ企画に乗っかって、これまでの自分の仕事の経歴を綴ってみようと思います。需要があるかどうかはさておき、どうぞご覧あれ。

現在34歳、私の仕事遍歴

4年生大学を卒業後、私は一般企業に新卒入社した。自分のこれまでの仕事遍歴をざっくりまとめると、下記の通り。

  • 【第1ステージ】人材会社に新卒入社(求人広告の営業職に従事)

  • 【第2ステージ】損害保険会社に中途入社(営業事務に従事)

  • 【第3ステージ】フリーランスとして独立(なう)

新卒入社した会社では、今思い返すとおもろい位の激務をこなしており、睡眠時間もあまり確保できず、割とズタボロになりながら働いていた。が、"求人広告の営業" という職種柄、自分が元来興味のあったクリエイティブな仕事にもちょっと携われていたため、何やかんや割とやり甲斐を感じながら充実した日々を送っていた。(なのになぜ転職したのかは、割とディープな話になってしまうためまた今度)

そして色々あって「ちょっとゆっくり働ける会社に転職しよう」と思い立ち、転職活動を開始。「なんかお金のことに詳しくなりたいな〜」というクソみたいな理由で、金融業界をメインに応募しまくった結果、転職活動を始めてわずか1ヶ月でトントン拍子に転職先が決定。

ちょうど当時の彼(というか今の旦那w)と同棲を始めたタイミングでもあったため、プライベートと仕事を両立できそうな職場に転職できることを、当時は非常に嬉しく感じていた。

そう、転職先に入社するまでは。

希望を胸にいざ転職先へ!そこで待ち受けていためくるめく女の世界

お給料はちょっともの寂しいが、興味のあった金融業界、そして定時は9〜17時、休みはどうぞどうぞご自由に取りなはれ、重たい仕事は任せないからね、と、当時いろいろと疲れ果てていた私にとって、転職先の職場環境はなかなか輝いて見えた。

そう、実際に入社するまでは(デジャヴ)。

現在ではどうなっているかよくわからないが、当時は「損保の営業事務=女しかいない」というのが業界の通念としてまかり通っていた。

もちろん、私が配属された部署も事務職は女性オンリー。おまけに自分よりも遥かに年上のおば…(ゴホン)お姉様方しかいらっしゃらず、THE 女の職場 という感じだった。

前職では男女も社歴も関係なく、意見があればしっかり発言する、何も言わないのは存在しないも一緒、やりがいを感じながら成果を出せ〜〜〜!!というのがセオリーだったが、転職先は違った。

  • 社歴が低い人間は発言してはならぬ

  • 社歴が低い人間は上司の雑務を言わずもがな全て巻き取らなければならぬ

  • 社歴が低い人間は上司から仕事を教わってはならぬ(?)

  • 社歴が低い人間は上司のミスを代わりに謝罪せねばならぬ

  • 事務職同士、お昼ご飯は毎日みんなで一緒に食べなければならぬ

  • 事務職同士、誰が何回電話を取ったかは日々こっそりカウントせねばならぬ

  • 事務職同士、人の悪口で盛り上がっている時はしっかり参加せねばならぬ

  • 事務職同士、帰宅後のグループLINEには迅速に対応せねばならぬ

…入社してすぐ、配属先のお局様方に揉まれに揉まれまくった私は、入社して1ヶ月ほど経った頃こう思った。

「いつ辞めよう」。

仕事そっちのけで毎日その場にいない人の悪口大会、そして上が定時で終わっていない仕事は下っ端がやっとけよ、そんでもって仕事は自分で勝手に覚えろよ、でも1人でお昼食べるのは寂しいだろうから毎日みんなで一緒に食べようね、杉井ちゃん今日は何食べてるの、えぇ1人でお昼食べに行く?なんで?どうして?みんなで食べようよ、なんか杉井ちゃんノリ悪くない?ところでアイツうざいよね…etc…。

矛盾だらけのこの環境に絶望し、私は入社して早々に日々胃痛に悩まされることとなった。

「このまま人生終わるの?」諦めきれなかった夢を追うことに決めた24歳

そんな環境で毎日心を殺して働いていた私だが、一方でプライベートは割と充実していた。24歳の時に彼からプロポーズを受け、近年では割と早いといわれる年齢で結婚もした。当時子どもはまだ考えていなかったが、それでも自分と一生を添い遂げようと思ってくれる相手に出会えたことを、私は心から嬉しく思っていた。

だが、ここでチャンチャンと終わらないのが私である。入籍してすぐ、日々自問自答を繰り返すようになったのだ。

「私は昔からイラストの仕事がしたいって思っていたのに、このまま結婚して子ども産んで働いて…ってしてたら、多分一生その夢は叶わない。今動かないと、多分一生自分は夢を叶えられない。私の人生、このまま終わるの?それだけで本当に幸せ?自分はどうなりたいの?本当は何がしたいの?」

そして幸せいっぱいのハネムーンから帰ってきてすぐ、有り余った勢いに任せて、都内のイラストスクールに入学申請を出したのだ。

24歳、これが私の人生の転機となった。

間違いなくいえる、「絶望したから今がある」

その後、週末はイラストスクールに通いながら、平日は日中働き、帰宅後はスクールの課題をこなす…という日々が続いた。

そして2年ほど経ち、スクールの先生から「もうある程度実力はついたと思うから、後は自力で営業活動を頑張って、個人の仕事を取ってきなさい」といわれたことをキッカケに、私はソッコー職場に退職の意思を伝えた

将来も何も確約されていない、実績ゼロ、コネゼロ、人脈ゼロ、不安定すぎる未来しか待ち受けていなかったが、退職の日が近づくにつれ、私の胸の高鳴りは日々増していった。

期待に胸を膨らませ、夢いっぱいで入社した転職先。が、そこで待ち受けていたのは、女のしがらみしかない絶望の海だった。毎日イライラして、胃が痛くて、その環境で習得できたのはちょっとした事務スキルとお局様のスルースキルくらいだったけど、それでも今の私は当時絶望してよかったと心の底から思える。

だって、あの時の絶望がなければ、私は自分が本当にやりたいことに気づけなかっただろうし、行動もしなかっただろう。

なんとなく満足できる職場に就職して、大きな不満もなく、適度にやりがいを感じ、ぬるま湯に浸かるような心地良い日々を送っていたら、私はきっと子どもの頃からの自分の夢なんて忘れ去っていた。

だから私は思う、「転職先で絶望してよかった」

私の転職体験記、まとめ

転職に失敗すると、まるで人生が終わったかのような絶望感に苛まれる人も多いだろう。でも、それは決して悪いことばかりではない。絶望することでしか見えない、自分の心の奥底に秘めていた本当の想いに気づくことだってあるあはずだ。

もちろん、私はフリーになってから常に順風満帆…とはいかず、今も昔も日々試行錯誤を繰り返しながら、うんうん唸り続ける毎日を送っている。それでも、当時より五億倍くらい充実した日々を過ごせている

私の転職体験記は決して明るい話ではない。けれど、今の自分がいるのは、間違いなくあの時が自分がいたからだ。

辛く悲しい経験は、捉え方次第できっと人生の肥やしになる。今転職先で悶々とした日々を過ごしている人も、どうか現状に負けず、自分の未来を切り開いていって欲しい。

私にできることは何もないけれど、このnoteを綴りながら、ただひっそりとエールを送らせてもらう。


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