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大雨タクシー

 天候不良や電車の遅延、人身事故などで出勤や帰宅困難になることは、まあ年に何回かはあるだろう。不要不急の外出は控えようといわれ始めたのは、つい近年である。社会人はそうとも言ってられる人ばかりではない。徒歩~電車1時間~徒歩で、片道2時間かけて通勤していた頃、大雪が4~5日ほど続いたことがあった。積もった雪の上は長い草の生えた道のようにかぎ分けるのに体力を使うし、誰かが通った後は凍ってしまい滑るのが危ない。凍結した道でもういい大人なのに転んで情けない思いをして、泣きそうになった。最後の5日目はホテルに泊まり、大雪の中レストランでステーキを一人食べながら、そこで流れていた「はじめてのおつかい」に涙したことをよく覚えている。雨もまた然り。荷物も服も濡れるし、終日足元が蒸れるし最悪だ。こちらの方が頻度は多い。やまない雪も雨もないけれど、やんでもまた、いつかやってくるのだ。

 そういえば、高校1年生の頃、雪が積もった日の朝、いつものように自転車で登校していたところ、自宅すぐの踏切の上で転んだことがある。車が何台も通った後は凍結しきっている。教科書の詰まったカバンは投げ出され、わたしも自転車も踏切の真ん中で大の字だ。大転倒。一瞬で痛みが全身をまわった。しかし、ここでいつまでも苦しむわけにはいかない。後続に車が来ては大変だし、電車が来てはなお大変だ。隣の踏切が鳴る音が遠くで聞こえる。急いで痛みに耐え、体制を整え、また何度か滑りそうになりながらも無事学校についた。今思えばよく事故に遭わなかったものだ。教室に入ると、雪の影響で来ている生徒もまばらだが、何とか7時40分からの朝課外の遅刻は免れたようだ。息を整えていると、同じクラスの女の子が「痛いよう~」と言いながら教室に入ってきた。膝の絆創膏が見せながら、「来るとき転んじゃったよ~さっき保健室で貼ってもらった~」とおどけて泣くしぐさをかわいらしくすると、「大変だね~」「痛そう」「俺もこけたけど何とか…」と彼女の周りに人が集まってきた。「わたしもこけたけど、急いできたから何とか間に合ったよ。自転車は危ないけどさ、他に来る手段がないから仕方ないよね」とわたしも自分の席から適当に会話に混ざった。すると、駅から徒歩で来た別の女の子が「ずるい!」とやや大きな声を上げた。
「そんな転んで怪我するなんて…それだけでかわいいじゃない!みんなからも心配されるし、ずるい!私もコケて来ればよかった…」と本気かどうかわからないが、どうも嫉妬のようだ。「いやいや、転ぶと痛いよ。わたしも…」と諫めようとすると「アスカは黙ってて。」と相手にされなかったのでわたしは黙ることにした。転んできた子は「(つд⊂)エーン痛いよお」と無傷の彼女を煽りながら、クラスの中心で笑っていた。周りも笑っていた。少し暖房が効き始めたところで、朝課外が始まった。その日は雪の影響で先生も大変だったからか、自習だった気がする。教室はついさっきとは対照的に静寂に包まれる。窓の外は普段よりずっと白くて、それだけでこの時間が何だか異質なのだ。わたしは自習をしながらも危険な雪の日の自転車登校を反省していた。足がじわじわと痛いからだ。一歩間違えれば事故にもなりかねなかった。しかしそれ以外に通学方法はない。自宅を早く出ればもっとゆっくり通学できるのかもしれないが、大量の課題に授業の予習に部活に忙しい高校生は寸暇を惜しんで睡眠をとりたいのだ。その通り、今日もこうして7時半には教室に着いて…「ねえ!!!」急に隣だか後ろの席の子から話しかけられた。どうもわたしにのようだ。「足!大丈夫じゃないでしょ?」足は確かに痛むが…、と、その時初めてわたしは自分の制服のスカートの下の左足を確認した。擦りむいている。それも手のひらくらいの範囲から大量の血が流れ、靴下まで血まみれだ。朝注目を浴びていた怪我人の女の子の比にならないくらい。このレベルの怪我は子供時代以来だ。その時まで気づかなかったことに初めて驚いた。アドレナリンが出ていたのだろう。わたしは「保健室に行ってきます」と自習監督の先生に声をかけ、教室を後にした。ああ、雪の日に一人で必死に登校して、挙句転んだ怪我にも気づかない鈍感なわたし。なんとも健気ではないか。少なくとももう一人の怪我人よりは重傷だし、鈍感で健気な子とは古来からかわいいものだ。さて、足の怪我をして痛がってる子に嫉妬していた彼女からの眼差しはというと、、、嫉妬ではなく、「ドン引き」ってやつだった。

 そんなわけで、悪天候の日は外出しないに越したことはないが、そうとも言えないのが社会人。雪も雨も我々の叡智を超えている故に防ぎようがない。その日は突如昼から大雨の予報で、午前中で仕事を切り上げ帰宅することになった。自宅まで途中の駅まではたどり着いたものの、そこからJRの運休が決まった。残る帰宅手段は、タクシーだが、同じような帰宅困難者が駅にあふれ、配車はどこのタクシー会社も行っていない。また、このタクシー乗り場にも長蛇の列ができ、何時間かかるかわからない。ここまでの帰宅で体力も使ったため、立ちっぱなしも正直キツイ。そこで、JRからモノレールに乗り、降車したモノレール駅近くで既に動いているタクシーを拾えないか、このままタクシーを待つよりわたしは賭けに出た。バケツをひっくり返したような雨は続く。モノレールは何と定時運行だ。降車し、自宅にほんの少し近くなったが、まだまだ長い道のりだ。降りた駅は大通りに面していないため、結局駅を出て、土砂降りの中タクシーを探すことになった。賭けは失敗に見えたが。現代は便利で、近くのタクシーをアプリで検索できるのだ。藁にも縋る思いで、利用してみると、1台のタクシーが「こちらに向かってます」と通知が来た。助かった。これで帰宅できる。そして、後部座席で3人くらい乗れるサイズのタクシーに乗車できた。運転手は、酒井さんというドライバーの方だ。
「この雨の中、本当にすみません。ここから7駅くらいの距離までお願いしたいのですが、大丈夫でしょうか…。だいぶ遠いのですが」わたしは本当に恐縮した。
「大丈夫ですよ!美人のお願いは断らないので!」どうやら帰宅できそうだ。
 そして、酒井さんとは道中いろんな話をした。わたしは、タクシーの運転手で話し上手、というよりも話していて楽しいなと感じる方で出会ったことはあまりない。酒井さんはというと、以前は大阪にいたこと、若い頃は真剣に音楽を真剣に取り組んでおり某有名なベテラン歌手とは事務所の同期だったこと、歌が好きなこと。自宅には犬、猫以外にも爬虫類やハムスターなどいろんな種類のペットがいることなど一通り語っている。そしてわたしには普段何をしているのか、何歳なのか、わたしのことを美人だから奥様と別れることができれば恋人になりたかった、など色々反応に困るようなことを言っていた。普段からこういうあまり興味のない世間話を一応相手(主におじ様)を立てつつ聞き流しながら会話するスキルがまがいなりに一応身についていてよかった。そして、どうも、この酒井さんの孫とわたしは同じ年齢とわかり、つまり自分の祖父くらいの方から何度も色恋を匂わせるような発言を聞くのはややキツイものがあった。何度もだ。しかし、この豪雨の中。迎車から賃走に変わった時の安堵は、渡りに船。大海の木片。地獄で仏に会ったよう。
 酒井さんからバックミラー越しにわたしに目を合わせながら「あなたはかわいい」「かわいい人を乗せてるから雨でもうれしい」「かわいいわね」
と何度言われても「そんなことないですよ」と繰り返せばいいのだから。昔から鈍感で健気でかわいいことには定評があるが、そのくらいはわかる。そうしている間に雨量は今日一番の強さになった。滝のような雨がフロントガラスを叩く。道路にも水が溢れ、タイヤも少し浸かり始めた。そうして、わたしは自宅が目前ではあるものの、その後の酒井さんが心配になった。
「ここまで送ってもらって、大丈夫でしょうか」「心配はいらないよ」
言葉を変えながら、同じような会話を幾度かしたが、酒井さんはその度に手を振りながらバックミラーから目を合わせた。ようやく自宅に着いた。当時はマスク社会だったから酒井さんは最後に
「お願い。マスクをちょっとでいいから外して顔をちゃんと見せてほしい」
と言った。そして支払いをしながらわたしはマスクを顎にかけ、今日の心からの御礼を再度伝えた。ちょっと気持ち悪いなと思いながら。マスクを外した時の酒井さんの反応ときたら、今日1番のものだった。
「道中どうかお気を付けください。雨が弱まるまでどこか休憩されたり…」と、わたしは最後にそう伝えると、酒井さんはそれまでのおしゃべり好きでおじさん独特のおちゃらけが一変、えらく真剣な顔をしながらこう言った。

「あなたはね、自分のことだけを心配しなさい。これからもね」
なんだか刺さるものがありながら、この一期一会に心から感謝した。

 そして、この話には続きがある。わたしは社内に水筒を忘れたことを思い出した。酒井さんからは名刺を渡され、「これからもお迎えに上がります」など言われ、もう会わないだろうにな、と内心思っていたが、すぐに連絡を入れることになったのだ。そしてありがたいことに職場近くまで届けてくれるとのことで、わたしはすぐに酒井さんと再会した。晴天の中、一番幼い孫と買い物に来ているその様は、何ものでもなくおじいさんである。わたしは再度その日の御礼と、忘れ物を届けてくれた親切に感謝した。そして、酒井さんはわたしに小さな手紙を手渡した。そして本当にそれっきりお会いすることはなかったのだが、ここから先はまたわからない。
 世の中とは、こうしたありふれた小さな出会いと他者への親切とそれに執着しないドライさが星の数ほど繰り返されて、回っているのだ。だから時には、見知らぬ人の善意を掛け値なしに受け止めるのも、悪くないんだなあと思ったりした。情けは人の為ならず。このおじ様に幸在らんことを一瞬だけ心から願うと共にわたしは悪天候の帰宅からそういうことを学んだりした。

後日お会いした時にいただいたメモ

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