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過剰に期待に応えない

春休みで私の住むエリアには観光客がたくさん来ています。
外国人も非常に多くなってきました。
道を尋ねられると、過剰なくらい丁寧に説明してしまう。
時に、困っていそうな人を見るとこちらから話しかけてしまう。
話しかけてしまう時は、大体躁です。困ったさんですね(そんな可愛くない)。

今日も馴染みのカフェにいたら、外国人に尋ねられました。
英語でちゃんと聞き取れたわけではないのですが、要約すると「この辺の買い物できる所、いけてる所知らない?」って話でした。
英語は単語がちょこっと出てくる程度なので、話すというレベルに達してないのですが、咄嗟に出てきたのは「この辺は古着屋さんが多くてショッピングできる」ってことくらいでした。
ちょうど私が帰り際で急いでいたので、あまり提案できず、カフェを出てからも、どこかいいところはなかっただろうか、、、と街中のお店を思い浮かべていました。
そこで2つほど思い出して、すぐに思い出せなかったこと、彼らに伝えられなかったことに後悔しました。

こういう時、次似たような状況があったらこう答えられたらいいな、程度でいられたらいいのです。
ただ私の場合、「用事を済ませたらカフェに戻ろうかな?もしまだ彼らがいたら伝えられるかも」と考えてしまいます。
そして、彼らが過剰に喜んでくれる姿を期待してしまいます。

今日は思い留まって、カフェには戻りませんでした(自分を褒めたい)。
彼らがどのような場所を望んでいるのかはわかりませんし、カフェに戻ったところでいるかどうかもわからない。
ただ、その思いを抑えるには時間がかかりました。
これが抑えられず、衝動的に引き返していたら、軽躁状態だったなと思います。
薬、効いてるんでしょうね。

仕事でも過剰に期待に応えようとすることがあります。
それでエンジン全開にして、キャパシティを超えて仕事をしようとする。
期待に応えられなかったと感じる時は、自責の念に駆られて、うつへ転じていく。
いいことない。

人の期待に応えることで、存在意義を確かめようとしている点があるのでしょう。
ただ、期待に応えようとすると、「自分のやりたい」とか、自分軸からは離れていくので、「自分らしさ」みたいなものが消えてしまうようにも思います。
「他人の喜ぶ顔が見たい」という軸もあると思いますが、それも程々でないと自分のキャパシティを超えてしまうのでしょうね。

今日あった外国人観光客の彼らが勝手にこの街を楽しんでくれていることを祈るしかないと思いつつ、カフェに戻らなかった自分を褒める日としたいなと思います。



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