変な家(映画/小説)をみた

変な家

変な家

2020年にウェブメディア:オモコロにて公開されたミステリホラーの記事

実話風にしているからモキュメンタリーになるのかな?

同年にYouTubeにも動画版が投稿されている。

翌年には書籍化しており上記の記事の話をさらに膨らませたものになっている。
この作品が先日劇場公開されたので見に行ってきました。

ざっくりした感想(ネタバレなし)

ほぼ原作通りに進めていたけどいささかエンタメホラーサスペンスに振りすぎでは?と思った。
原作においては主に机上で物語が進み過去に起こったであろう出来事を推理し真実が明かされていくのに対し、映画ではリアルタイムに起こっている出来事に首を突っ込み調査していくという形なので必然的に主人公が事件に巻き込まれていき謎の幽霊?化け物?に襲われたりする始末。
この作品でジャンプスケアを見ることになるとは思わなかった。

私の思う雨穴さんの作品の魅力は呪いのようなファンタジー要素がありつつもその根本は人の恨みや妬み、恐れからとってしまう行動といったじっとりとした「嫌さ」だと思うのでホラーに振ることで分かりやすく怖くなったけどそこの部分がちょっと薄れちゃったかな。

元の記事も小説も基本的に雨穴さんの主観で進むわけだけど映画の主人公は雨穴さんをモデルにしている雨男(配信上のハンドルネーム)本名:雨宮でそれを演じるのが間宮祥太郎なのちょっと面白い。
間宮と雨宮でかけてる?

劇中で雨男が動画投稿する際に被る仮面がめっちゃおどろおどろしくて笑った。(雨穴さんのも大概だけど)

この話のテーマとなっている「変な家」、今まで間取り図でしか見ていなかったわけだけど映像化であらためて実物を見ると不気味さと嫌さがでてとてもよかった。
それと同時にいやこれはちょっと無理がないか…?という気持ちも沸き上がった。

感想を総括すると広い層に見てもらえるように見やすく編集されている(原作のとあるややこしい要素を大々的にカットしたり)と思うけど原作の雰囲気が好きな人からしたら少し評価は下がるのかもというところ。

どうでもいいけどスタッフクレジットにオモコロ、バーグハンバーグバーグは入ってないんだね。
一応原作の元ネタが掲載されていた場所ではあるんだけど。


雨穴さんの他作品

雨穴さんは変な家の他にも変な絵、変な家2といった書籍をだしており上記のオモコロやYouTubeでも変なAIや差出人不明の仕送りといったような短編ホラーを書かれています。

その中でも私が特に好きなのは「中古住宅で発見された、不気味なビデオテープの正体」です。

後引く嫌さが続くので変な家をみて面白いと思った方やどういう雰囲気の作品か気になる方に読んでもらいたいです。





感想(ネタバレあり)と疑問点

作中で起こった心霊現象っぽい類が全部薬のせいっていうのはいくら何でも万能薬すぎる。薬による幻覚、薬による洗脳状態の描写がちょくちょく入るのに怪我は実際にあるのでどこからどこまでが幻覚??となった。
あといつ投薬されてた?お茶とか飲んでたっけ?

前述の雨穴さんの作品の魅力である「嫌さ」、今作品においては片淵本家と分家が呪いや呪術という名の計画殺人を繰り返し続け現代まで続いた因縁がそれに当たる訳だけど分家の設定まるっとなかったことにするとは思わなかった。
まぁ相当ややこしい家系図と人間関係になるから2時間の映画に収めるとなるとこのくらいが見やすくわかりやすいからちょうどいいね。

霊媒師(原作では呪術師)の正体も原作においては片淵分家の人間だったので左手供養なんて儀式は実際に存在しないし、高間潮の呪いも近親相姦による劣性遺伝の偶然で起きたものだった訳だけど映画では特にその辺は明かされていない(そもそも片淵分家というものがない)から呪いや儀式が実際にあるものとして描かれているのがちょっと残念。
時期当主である片淵宗一郎が若干発達障害?な点や上記の近親相姦などは全年齢の映画で出す設定としては難しいんでしょうね。

実際一緒に見に行った友達(原作未履修)も呪いとかファンタジーなものがある世界観のホラー作品として認識していたので多くの人に原作の後引くじっとりとした嫌さが伝わらないのはもったいないと思った。

第三の変な家である片淵本家、原作からしてその隠し部屋は狭すぎて色々無理がないか?って思ってたけど映画の山の洞窟につながっているのはなるほどねとなった。祭壇や檻もあるし説得力が増した感じがした。
ただスライド式仏壇はちょっと無理があるかな…

終盤の脱走パート、チェーンソーおばあちゃんはもはやギャグでしょ。
片淵重治(おじいちゃん)が最後雨宮ではなく清次の手首を切り落としたのはなんでだったんだろう?金目当てだったことを聞いてしまったから?

最後屋敷が全焼して慶太さんの遺体だけ見つかってないのは何か意味があったのかな?後味悪くしないため?

綾乃さんと喜江さんの最後の会話、片淵分家がいない映画において左手供養を続ける意味はあるのか?片淵本家も全焼したというのに。
この二人もまた片淵家に洗脳されて一族の因縁から抜け切れてないということなんですかね。

ついでに原作のラストについて

原作ラストの栗原さんの考察のとおりだとすると黒幕は喜江さんだったわけだけど綾乃さんはどうだったのでしょうか。
私の個人的な考えでは喜江さんが片淵家に嫁入りしたのは復讐のためであったので綾乃さんが生まれた時点で片淵本家への復讐を刷り込む洗脳教育をしていたのかなと。
既に強い洗脳状態であったから左手供養の後見人として本家に軟禁され、左手供養のための洗脳を受けても回避できると考えて送り出されたのかな。

そう考えると喜江さんのやっていることは左手供養と称して分家の人間を殺していた本家と大して変わらず同じこと繰り返し続けている人間の醜さが出ていてとても嫌(良い)ですね。

一番大本辿ると明治時代本家当主の片淵嘉永が女中に手を出さなけりゃこんなことにはならなかったんですよね。(時代的にそういうことが普通にあったのかもしれないが)そこからどんどん事態が悪い方に転がり続ける最悪なピタゴラスイッチみたいな。一番かわいそうなのは高間潮ですね。


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