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|dialogue #01|NPO法人はるよし(前編)

装いも新たにスタートする「asumin note」記念すべきデジタル版第一号を飾っていただくのは、天神と博多の中間に位置する春吉地区を拠点に活動している「NPO法人はるよし」です。
地元+春吉を愛する仲間たちで構成される同団体は、このエリアを盛り上げようと、いろいろなイベントや企画を立ち上げ、夜市やはしご酒イベント、お米から作っちゃう酒造りまで、コロナ禍のちょっと疲れた風潮を吹き飛ばしてくれるユニークで元気な取り組みを連発しています。
今回は、そんな団体の誕生から未来へ向けた思いまで、代表理事
の吉野友紀さんと理事の都甲美智子さんにお話を伺いました。


01 団体の概要

まずはざっくりとお聞きしますが、「はるよし」ってどんな団体ですか?

吉野:もちろんNPO法人ではあるんですけど、コミュニティに近いかもしれないですね。みんながやってみたいことを持ち寄って、みんなで実現する。大人が本気で遊んでいるという感覚です。

団体の活動でこだわっていることってありますか?

吉野:いつも、楽しくやるにはどうしたらいいかなって、考えながら活動しています。誰かがこれをやりたいといったら、どうしたらそこに人を巻き込めるか、楽しくやることができるかを考えてしまいます。


NPO法人はるよしの3代目代表理事をつとめる吉野友紀さん

メンバーはどんな人たちですか?

都甲:立ち上げ当初は地元の商店主が多かったんですが、そうでない方も年月を重ねるごとに増えました。クリエイティブ系も何人かいますが、基本は会社員が多いんじゃないでしょうか。「春吉」と、まちの名前を掲げていますが、域外からの人もたくさん関わってくれています。メンバーが知り合いや興味を持ちそうな人を「お酒が飲めるからおいでよ」みたいな感じで誘って、そのまま仲間入りすることもあります。ほかにも、地元の人と繋がりたいと思っている移住者が、面白そうだなと思って参加したり、外国の方もいますよ。
だいたいみんな、大人になると仕事の仲間以外とは出会う機会が減ってきましたよね。ここは、年齢も性別も仕事もバラバラで、しかも上下関係もそんなにないので、関わりを持ちたい人が集まりやすいんだと思います。

団体のこれまでの移り変わりを見てきた、理事の都甲美智子さん

地域の名前が出てきたのでお聞きしますが、「はるよし」の書き方って、漢字だったりひらがなだったりと色々ありますね。使い分けがありますか?

吉野:「晴好」という表記は、ここに小学校ができた頃に使われていたらしくて(晴好小学校:明治6年〜18年、明治19年に勅令に基づき、春吉尋常小学校と改称)、晴れて好きって素敵だなって思って、当初の任意団体の頃は、この文字を使っていました。だけど、初見でよめないとか、検索しても引っかからないというのもあって、法人化する際にひらがなの表記にしました。でも、団体がやっていた夜市とか、造っているお酒には「晴好」の文字を残しています。

「楽しそう」が、前面に出ている印象ですが、世の中に良いことをしよう!とか、考えたりもしますか?

吉野:一応、考えてはいますよ・・・ね!?笑 
だけど、NPOだからといって、社会を!地域貢献を!というのがすべてではないので、こういう記事に出るのはちょっと気が引けちゃいますね。笑

都甲:楽しく活動して、その結果として「まち」がよくなったというのが理想です。使命感を持ちすぎると、続けるのに疲れてしまうこともあるかなと思っています。

02 晴好実行委員会

そんなみなさんがチームとして集まったのは、何かきっかけがありますか?

吉野:集まりとしては2003年に任意団体として始まりました。今後を見据えてもっとサスティナブルに団体を継続させるには、ちゃんと組織化したほうがいいのではという話になり、2019年にNPO法人になりました。

都甲:団体を立ち上げた元々の理由は、春吉のイメージを払拭させたいという思いからです。2000年頃の春吉って、とくに女性や子どもは一人では近寄りにくいような、グレーな印象のまちでした。今みたいに、女性が一人で飲みに行くなんて考えられないくらいだったので、そんなイメージをなんとかしたいと「晴好実行委員会」という任意団体を立ち上げ、まず初めに「webサイト」を作ることから始めました。

03 晴好夜市

吉野:だけど、そもそも春吉をアピールするために作ったwebサイトですが、当時はインターネットもそんなに一般的ではなく、せっかく地域から協賛金までいただいて作ったのに「どんな使われ方をしたのか分からん」という声も多かったんです。そこで、なんとか見える形にしようと考えた結果が「お祭り」でした。最初は、地域のご近所さんでワイワイするくらいのものでしたが、3回目にはサンセルコ前広場での開催に拡大し、一般のお客さんもたくさん来ていただけるような「夜市」の形になりました。
夜市は「酒と夜と音楽」というコンセプトで始まりました。この地域は、ミュージックバーも多いので、そこに声をかけたりとか、地元にゆかりのあるミュージシャンを呼んだりもしました。晴好のオリジナルソング「春吉 ON MY MIND」を作ってもらいCD化したり、その曲を夜市のオーラス(オールラスト)でみんなで歌ったりと、本当に全力で遊んでいる感覚です。コロナによってすべてが止まってしまったので、もう一度再開するとなるとすごいパワーが必要になりそうですが、やるとしたら、原点に立ち返って小さな規模で身の丈にあった感じで開催するのもいいかなと思います。


大人から子どもまで、みんなが楽しめる
春吉に縁のある多くのミュージシャンが参加
まちを代表するイベントに成長した「晴好夜市」

「女性や子どもは一人では近づきにくい」というイメージだったのに、どうしてお二人は春吉に来るようになったのですか?

吉野:私は、前の仕事の先輩から、酒が飲めるから一緒においでって言われたのがきっかけです。最初はホームページ制作のお手伝いをしていたのですが、ミーティングから、第一回の夜市が生まれて、一度は海外に移ったりして参加しない時期もありましたが結局出戻ってきて、気がついたらずっといる感じですね。

都甲:私は当時、オフィスが春吉にあったので、地域のキーパーソンの方と仲良くなろうと思って声をかけたら、夜市のことを教えてもらい、お客さんとして参加するように。その活動が面白くて、月に一度の会議にも参加するようになっちゃいました。なんだか二人とも、ごくごく自然に春吉に近づいてしまっていますね・・。笑

常に笑顔が絶えないお二人。会議の席でもこんな感じだそうです

04 晴酒はしご

きっかけとなった「夜市」は、コロナ以来中断しているようですが、いまイチオシのプロジェクトって何かありますか?

吉野:そうですね。まず一つは「晴酒はしご」です。2月に開催する予定で、今はその準備中です。もともとは年に2回(5月と10月)やっていて、コロナでストップしていましたが、昨年の再開を経て、今回は10回目になります。この「晴酒はしご」は、福岡の地酒と春吉エリアの美味しいお店を堪能してほしいという思いから始まりました。
どんな仕組みかというと、最初にスタンプラリー形式の参加証を買って、オリジナルの酒器をもらいます(酒器付きは限定数販売)。参加証を持ってお店を訪ね、600円を払うと自慢のお料理1品と福岡の酒蔵のお酒1杯がセットになった「晴酒セット」が楽しめるというものです。参加する店舗は、去年の再開時で28店舗、参加者数は1500人くらいでした。コロナ前の多い時には、60店舗ほどの参加がありました。


毎回企画・制作するオリジナルの酒器

都甲:参加者は、提灯を掲げた参加店をはしご酒していくのですが、30店舗くらいだったら期間中に余裕でコンプリートする人もいます。何軒も回る人の中には、ベロベロになって戻ってくる人もいます。回を重ねるごとに開催を楽しみにしてくれるファンも増えていて、中には女性一人で参加し、他の参加者と仲良くなったという声もたくさん聞くので嬉しいです。福岡の酒蔵と飲食店のコラボというのがルールなので、いつもは日本酒を置いていないけど、この期間だけ置くというお店もあって、イタリアの料理店でピザと日本酒の素敵な出合いがあったりもします。

気になっていても、なかなか入れないお店ってありますよね。

都甲:普段は入れないお店に、入りやすくなるというお客さん側のメリットと、普段と違う客層が来てくれるというお店側のメリット。そして私たちは、福岡の酒蔵を応援したいので、福岡のお酒をみんなに知ってもらえるメリットもあります。お店をやっている人が、定休日や仕事終わりに、別のお店にいくのを楽しみにされているというケースもあるそうです。春吉のお店同士が繋がったというのを聞くと、とても嬉しい気持ちになります。


隣の人と仲良くなれるのも魅力のひとつ


後編へ続く