めでたくないお正月

年賀状を出さなかった代わりに、明けてから何人かに新年のメールをしようと思っていたが、とてもそんな心境ではなくなった。
取り寄せたカニを、今日のために時間をかけて解凍したので、なんとか口に運んだけれど味がしない。

今回の能登の地震で大きな揺れを観測したところは、私の両親の郷であり、私が産まれたところ。
親戚のほとんどが、このあたりに住んでいる。

私などよりずっと深刻な状態の人が連絡できるように、連絡するのを我慢している。
実際つながりにくいという情報が出ている。
津波の危険がある人は、いま避難の途中かもしれないし、避難所にいるかもしれない。

背後に崖のある古い木造家屋に一人暮らしをしていた叔母は、昨年亡くなった。
あの家は、いまは無人となったが、もう倒壊しているかもしれない。
結果的に安否に気をもむ必要がなくなっていることを、良しとすべきなのか、混乱しているのでわからない。
災害伝言ダイヤルを確認しなくてはならないほどの被害ではあるまいと、心のどこかで楽観バイアスをかけることで、形ばかりの平静を保っている。

けれど。
私は「他人のケガが痛い」性質であるので、災害や事故の報道を見聞きすると、実は息をするのも苦しい。
親戚や知り合いの有無には関係がない。

カウンセラーのかたがたが言うには、苦しくなったらそういう報道から遠ざかるのも効果的だそうだが、かといって情報が遮断されてしまうのも逆に怖い気がしてできない。
というか、こんなときに能天気なバラエティとか見ていられない。

東日本大震災のときから、緊急地震速報の音がトラウマになっていて、聞こえるたびに動悸がするが、そういう緊張感を与えることで警戒を呼び掛けているのだからしかたがない。

帰省していた人も多いのだろうな。
今夜は久しぶりに顔を合わせて、にぎやかに正月料理の卓を囲むはずだったんだろうな。

なんだよー!
なんでこんなことになるんだよ。

これから毎年、元日が来るたびに、あの地震から何年、家が壊れて何年、もし亡くなった人がいたら、何回忌何回忌と数える正月を過ごすのか。
むごすぎる。

知る人も知らない人も、どうかみんなご無事で。
政府は、万博や軍拡なんかやめて被災者を助けるために税金を使ってほしい。

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