風待ち

介護離婚して、癌の兄と母を看取って、念願の「おひとりさま」生活。 2020年11月、交…

風待ち

介護離婚して、癌の兄と母を看取って、念願の「おひとりさま」生活。 2020年11月、交通事故で左手が不自由になったけど、コロナ以外はようやく平穏。 2つの仕事はほぼリモートワーク。 言葉もできないのにちょこっとフランス在住した元バックパッカー。 写真は自前。

最近の記事

マドレーヌはホタテのかたち

GW初日は、曇り空。 なんとなく安堵。 特にどこかに行きたいというのはないが、憧れは、サンチャゴ・デ・コンポステーラ。 巡礼の地だ。 「星降る野」の意と聞いたことがある。 下の記事を書いたとき、いしいさんがマリアの中でこれが一番好きとコメントくださった作品だ。 ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールのこの絵は、古本屋の店先で印刷のきわめて良くないシートで見た。 集めてファイルすれば画集もどきになるようなもの。 あのころは、新聞購読を契約すると、たまにそういう景品?みたいなものが

    • だらだら過ごすのが生きがいです。

      帰宅してテレビをつけたら「シニアワーカー」とやらの特集をやっていた。 いまでさえ働きたくないのに、働かないと生活していけないから働いているのに、高齢になってまで働きたくない。 本当に仕事に生きがいを感じているかたを否定するつもりは毛頭ないが、これから高齢者になっていく身にとっては、みんながみんなそうだというようなイメージを持たれるのは嫌だなぁと思う。 「シニアワーカー」という言いよう自体が好きじゃない。 「高齢労働者」というとリアル過ぎるからごまかしているような胡散臭さを

      • エビの尻尾、カニの脚

        コロナ前、大阪から遊びに来た友人と老舗の蕎麦屋さんに入ったことがある。 天ぷら蕎麦で有名な店だ。 特大のエビ天の尻尾を、私は残した。 そして、彼女に叱られた。 「エビの尻尾を残すなんてありえへん!」 彼女は、エビフライの尻尾も食べるという。 まあ、そうだよね。 私はそれも残してしまう。 すんません。。 川エビの揚げたのは丸ごと食べたことがある。 でも自分では作らないし、店でも頼まない。 想像してみると、サワガニの揚げたのは、ちょっとたじろぐ。 殻の部分が、口の中に刺さ

        • 詩人の行方

          初めて買った詩集の作家の名は「前田詩津子」という。 中学生の頃だ。 中原中也でもなく、寺山修司でもなく、別役実でもなく、ハイネやヘッセでもない。 どんな詩人なのか今も知らない。 表紙を開いた内側に彼女の写真があった。 きれいな人だ、と思った。 木洩れ日を見上げてすこし眩しそうに微笑む顎の線が印象的だった。 微笑みの中に透明な哀しみがある。 一篇の詩も読まずに、それを買った。 そして、ほかに私が買った詩集は大学のドイツ語試験対策のためのヘッセの訳本しかない。 私にとって、詩

        マドレーヌはホタテのかたち

          物をポンと投げて置く人

          お昼の時間、今日の朝ドラの再放送の直前に以前の朝ドラを再放送している。(文章で書くとややこしい。) とても評判のいいドラマだったが、本放送を私は見ていない。 見られる時間帯に家にいなかったというのが大きい。 再放送が始まった当初は、いまなら見られると楽しみにしたが、すぐに見なくなった。 ずいぶんと昔、そこに出ている俳優さんが離婚をした。 元の奥さんが語った離婚理由に「物をポンと投げるように置く」というのがあった。 ほかにもいくつかあって、人の心が離れるのは日常のささいな違

          物をポンと投げて置く人

          ほどく

          先日、友人への誕生日プレゼントを買ったとき、専用のきれいな布袋に入れてもらった。 かといって、その袋をあとあとどうするかといったら思い当たらない。 きれいなのですぐに捨てにくい感じがかえって迷惑かとも思ったけれど、旅行のときに替えた下着を入れるのにでもしてくれたらいいと思い直した。 とりあえず。 私は、包装紙や紐をとっておくクチだ。 きれいなやつ限定だけど。 そもそも反断捨離だし、終活のひとつとして物を捨てていくなんてことも考えていない。 幼いころ貧乏をしてきて、いませっ

          ほどく

          勝手につぶやき<光る君へ(第16回)&ドラマ完走予想>

          今日の放送内容に触れているので、録画等をこれから見る予定の方はご承知おきください。 今回は、私としてはさほど見どころを感じなかったが、1年間の物語としては必要なできごとなのだろう。 ★「鎮静剤」 まひろとの差を突きつけられ、「味方だと信じていたのに違った」と感じてしまうさわ。 まひろが「蜻蛉日記」の件で、さわをのけ者にするような場面はなかったし、敵とか味方とかいう話じゃないのだけれど、自己肯定感の低さゆえなのかもしれない。 「共感と癒し」に「共通項にすればするほど、逆

          勝手につぶやき<光る君へ(第16回)&ドラマ完走予想>

          不備・不満・不表明・不親切・不寛容

          昨年度、マンション管理組合の理事長だったので、今年度は自動的に「監査」となっている。 新年度は5月の総会以降。 今日は8時から会計監査に行ってきた。 とはいえ、会計担当理事から提出された財務諸表はすでに管理会社がチェックしているので、私は説明を受けて押印するだけ。 仕事ではもう紙資料も押印も、対面での説明すらないので、一気に時代が逆行した気分になった。 私の代で大きな修繕も備品の補充も済ませて引き継いだので、今年度の会計処理については見るべきところもない。 当たり前だが、

          不備・不満・不表明・不親切・不寛容

          月に叢雲 花に風

          これといって大きなアクシデントのない日が続くと「私の人生がこんなにうまくいくはずがない」という思いが生まれる。 悲観的なのは、夜逃げや破産、一家心中未遂など波乱に満ちた幼児期、少女期を送ってきたせいかもしれない。 決まっていた就職や結婚をやめたり、突然フランス暮らしをしたり、挙句の果てに中年過ぎて離婚するなど自ら選んだ悶着もあるが、大人になってからも「順風満帆」を感じた時期はほとんどない。 離婚して、兄と母の介護が終わって、コロナがすこし落ち着いて、交通事故の手術とリハビリ

          月に叢雲 花に風

          キライの一致

          どうでもいいことを探し出して無理やり仕事をつくることはできるけれど、面倒になって早じまいした。 せっかくリモートなのだから「やっているふり」でもすればいいのにと言われることもあるけれど、今の私は逆にそれをもったいないと感じてしまう。 そのぶんのお金より時間を選ぶようになったのは、残り時間が少なくなったからか。 左手の不自由さとひきかえに事故の賠償金を得たのもあるだろう。 数年前までは、1円でも多く収入が確保できるように365日24時間働く調整をしていたことを思うと、その体力

          キライの一致

          穀雨

          昔、住んでいた町を歩いた。 小学校4年生から大学1年まで暮らした町だ。 15年くらい前にも1度訪れて、当時書いていたブログに載せたことがある。 変わったものと変わらないもののそれぞれにそれぞれの思い。 曖昧な記憶に蓋をするように、黄砂が空を覆う。 昔は「純喫茶」だったが、いまは「純」が取れていた。 あの「純」に、逆に妖しさを感じたのは私だけなのだろうか。 煙突のある風景に安堵する。 家族で暮らしたアパートにはお風呂がなかったので、上京した5歳以降の私は「銭湯育ち」。 夏

          共感と癒し

          兄に死なれたときの私の落ち込みは大きかった。 施設介護ではなく在宅介護だったから、生活のほとんどが兄と一緒だった。 どうでもいいような暮らしのひとこまが、いちいち堪える。 一緒に見ていたテレビドラマがつらくて見られないというような。 散歩に連れ出した道を、ひとりで歩くことすらしんどい。 駅もスーパーも病院も行けない。 それは、車にはねられた交差点をもう2度と渡れないというのに似ている。 交通事故は、兄や母の死のあとだったのだけれど。 (事故から3年以上たつけど、まだ事故現場

          共感と癒し

          「好き!好き!! 〇〇」

          この記事に「好き!好き!清少納言」と書いた。 「書く」という居場所を得るまで、私はものの好き嫌いを人さまに表明することは少なかった。 それは、みんなと違うという意識が強いままで生きてきたからだと思う。 みんなと違っているのも嫌だけど、かといって一緒も嫌だ。 なんというへそまがり。 違うということは、私にとってコンプレックスであると同時にプライドでもあるのだった。 恋人にも結婚相手にも「好き」とか「愛してる」とかあまり言わなかったし求めなかった。 そういう直截的な言いようが

          「好き!好き!! 〇〇」

          葉桜の候

          子供の頃はよく本を読んだ。 すべて兄の本。 小学校2年生のときに、我が家は初めてテレビを手に入れたが、隣家の人が引っ越すにあたって「もうろくに映らないから要らない」と置いていったものだったから、ほとんどの映像は「砂」越しである。 それでも、不登校だった私の「お守り役」としてテレビと本は最大限に力を発揮した。 兄は父の連れ子だから、11歳も年上で、物心ついたときから私にとってすでに「大人」の部類だった。 彼の唯一の娯楽も読書であり、蔵書のほとんどが文庫本で、すべてが古本だった

          葉桜の候

          勝手につぶやき<光る君へ(第15回)>

          今日の放送内容に触れているので、録画等をこれから見る予定の方はご承知おきください。 今回のテーマは「居場所」だと思う。 ★父の息子 跡継ぎに指名されず「人殺し」と罵られ、妻子にも逃げられて、公任の屋敷で飲んだくれる道兼は「父に騙された」と嘆く。 彼にとっては、父に信頼され愛される息子というポジションが、居場所だったのだろう。 それを失った道兼は「俺に生きる場所はない」と言う。 哀れではあるが、私の心には 「いやいや、いまさらそんな視聴者の同情を買おうとしたって、そもそ

          勝手につぶやき<光る君へ(第15回)>

          春の轍

          平安の春の女神は、牛車に乗って来たのだろうか。 御簾を揺らす風のなまめかしさに、想い人の訪れかと胸をときめかす女たちにとっては、少し意地悪だったかもしれない。 遡って平城京の都、奈良駅の西の方角に「佐保路」と呼ばれる道がある。 私の「恋仏」がいる西大寺から東大寺転害門へ向かって延びる古墳と遺跡と恋の寺の道だ。 何よりもその名がいい。 大和の春は「佐保姫」が紡ぎ、秋は「龍田姫」が織る、という話があって、私はこれがいたく気に入っている。 そうだ。 春は紡ぐのが似つかわ