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あなたと話したいだけ

以下は、因縁の記事。
何年も前に「がまくんとかえるくん」の話を書いたときに、以下も掲載して、よくわからないまま喧嘩を売られた。
嘲笑と侮蔑の言葉を投げられた。
それでnoteを退会した。

いまと当時と両方読んでくださっていたかたは、たぶん2人か3人。
件の人は、その後、別の人にも喧嘩を売ってやめたらしいが、面白がって一緒になって攻撃した人はそのまままだ書いている。
note全体の雰囲気は、当時と少し変わった気がする。(だから再開したというのもある)

でも私は、フォロワーのフォロワーとかを通して、その人につながりそうなところにはあえて痕跡を残さないようにしている。
怖いから。
だから、そういうところは読んでいてもスキもフォローもしないことがある。
申し訳ない。

だから今回、同じテーマに関して麻央さんが、共感や賛辞の言葉をくださったことに救われる思いだ。
トラウマが克服されたような気持ち。
ありがとうございます。

ブログを始めた18年前からずっと、私的なできごとや思いをリスクを冒して不特定多数の目にさらすのは、こんなふうに共感を土台に(ときに違う意見でも)芋づる式に記事が連鎖していくのが楽しいからだ。
読み手と書き手が1対1で会話するコメントではなく、そのやり取りを独立した記事として別の人が目にして、また別の思いを抱き、自分の場所に書くという連鎖こそ、公開の場で書く醍醐味だと思っている。


仕事は別として、誰かと話しているとき、どこかに書いているとき、結構いい加減だ。
こうだったっけ?といううろ覚えな記憶を、そのままで話を進めてしまう。

「あれってああでした?」
と話を振ったとき、忙しくなければつきあってほしいと思っている。
私だって、ヒマかそうでないか見極める目くらいは持っている。
だから即座に「そんなのググれば?」と答えないでほしい。

そんなのわかってる。
検索するつもりなら、端っからあなたに振らない。
自分でちゃっちゃっと調べたほうがなんぼか早い。

曖昧なまま「ああでしたよねぇ?」とあなたに振るのは、直ちに正解を教えて欲しいからじゃない。
あなたと「ああでもない、こうでもない」と話をしたいから。

ときにトンデモ回答を引き出して、バカみたいに笑い合いたいからだ。
笑い合うことで、いっぺんに楽しくなりたいからだ。
「ばかじゃね?」とか「まったくいい加減なこと言ってぇ~」「そっちこそ~」とか笑って小突き合いたいからだ。

だから、ほかの人とは雑談しているのに、私に即座に「ググればいい」と言ったら、その人は私と話したくないんだなと思う。
それがわかることは、これからの接し方の目安になるから、一概に悪いとばかりはいえない。

だから、私の書くブログもいい加減。
確かめないで記憶や想いのままに書いている。
正しい情報を得たい人は、そういう専門サイトを見たらいい。

私は、ただああだこうだと言い合いたい(書き合いたい)だけ。
あなたと同じ風に吹かれたいだけ。

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