主治医との関係性、保護室最後の日。

私の主治医は女性だった。
年齢はお母さん程度、性格は、はっきりとしたタイプだった。

主治医が出勤の日は、保護室に居る私に必ず会いに来てくれていた。

でも私はあまり嬉しく無かった。

主治医は何でもはっきり言うタイプだったので、何度も怒られ、何度も泣いた。

保護室が異常だと言う事に気が付いていた私は、そこに居る私も異常。普通じゃない。
生きている価値なんてない。

ずっとそう思って居たので生きる希望を無くしていた。

死にたい、死なせて

と、ずっと訴え続ける私に主治医は

甘えた事ばっかり言ってるんじゃない!!!
生きて行くしかないんやから、腹括って生きなさい!!!

と、何度も何度も怒られた。

それでも、離脱症状の幻覚幻聴など辛かった私は保護室という守られた空間の中でも自傷行為を続けた。

髪の毛を抜く。
爪で皮膚をちぎる。
血が出るまで腕を掻きむしる。
アザになる程自分を殴る。
床や壁に頭をぶつける。

と言った行動を毎日続けた。

それに呆れた主治医は、
「早く保護室から出たいんでしょう?自傷行為を1ヶ月辞めれたら、そして貴方の口から、
家にある残りの薬を全部捨てて下さい。
という言葉が出たら保護室から出してあげる。それが条件だから。」
と言って去っていった。

私はその日からすごく悩んだ。
もちろん保護室から出たい気持ちはあった。
自傷行為も辞めようと思った。
薬も捨ててもらおうと思った。

でも、どれも無理だった。

まず自傷行為。
辞めよう辞めようと思って布団に入る。
すると、当たり前のように腕を掻きむしっていた。
髪の毛を抜こうと手が頭まで来ていた。

自分でもそれが何故か分からない。
辞める気は充分にあった。
でも辞められない。

これを主治医に相談した。

私は自傷行為にも依存していたのだった。


主治医は、自傷行為をしたくなったらナースコールを押して看護師さんにその時の気持ちを話すようにと私に言った。

その日から実行した。
多い時では1日に10回もナースコールを押した。
それでも毎回看護師さんは私の下手くそな話を優しく聞いてくれた。
主治医が居る時は主治医が来てくれる事も多かった。
そして、それから自傷行為は減っていった。

自傷行為=依存対象
だった私は、自傷行為が減ったことによって、
オーバードーズ=依存対象
の、依存度が少しずつ少なくなって行くのを感じた。

そして、それから約1ヶ月後。

「自傷行為をしなくなって1ヶ月経ったけど薬の方はどう?」
と、聞いてきた主治医に対し

「薬を捨ててください」

と言えた私は、保護室を出る事ができた。
保護室に入って約3ヶ月半。
まず保護室を出て観察室に入ることになった。

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