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初めまして🤭 ここでは私の生い立ち、病気について、歪んだ思考、依存性、など書いていけた…

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初めまして🤭 ここでは私の生い立ち、病気について、歪んだ思考、依存性、など書いていけたらいいなと思っています。 今診断されてる病気 統合失調症 双極性障害 ヒステリー 境界性人格障害 解離性障害 ADHD (以前の診断名については追々書いていきます) よろしくお願いします🙇‍♀️

最近の記事

T先生と話し出した私。

私は体重が40キロを上回り経管栄養が終わった。 ちょうどその頃からT先生と話し出すようになった。 いじめられていた事、親から愛されていると感じられなかった事、それにより自傷行為が始まったこと、初めてODした時は死ねると思っていたこと、でも死ねなくてフワフワ、ラリった感じになるのにハマってしまった事、そして辞められなくなった事、どうしても死にたくてベランダから飛び降りた事、ネットの情報で死ねると思って瀉血している事、援助交際をしている事、今までの全てを話した。 結果から言

    • 初めてのTS病院そして経管栄養、身体拘束

      私は警察に連れられやってきた病院(スーパー救急病棟)で、2ヶ月間反抗心で診察を拒否し、誰とも喋らず、食事をとらなかった。 すると体重が当時45キロだったのか32キロまで落ちた。 すると看護師さんから、 嫌やと思うし辛いやろうけどT先生と相談して、経管栄養になることになった。と告げられた。 私は嫌だった。 でもどうしてもご飯が食べれなかった。 とうとう経管栄養になった。1日4回何百キロカロリーもの栄養を胃に流された。 とても辛かった。 チューブを交換の際に何度も次から口

      • -近況報告〜13回目の退院-

        ブログの更新遅くなりました😓 私6月4日! 13回目の精神科退院しました! 今回は5ヶ月いました。 優しくそして時には厳しく、励まし、共に泣いてくれた看護師さん。 見捨てずに私の治療をしてくれたT先生。 T先生との折り合いが上手くつかなかった時に、「私からT先生に言うたるわ!」と心強くいつも味方でいてくれた心理士さん。 毎日楽しいプログラムを考えてくれたOTスタッフ(作業療法士)さん! 皆さんのおかげで私は今、毎日笑顔で頑張れてます♪ ありがとうございます😊

        • また住む世界が変わった。

          私は不登校になってからまた死にたい気持ちが大きくなっていた。 あれだけ苦しい思いをして直したオーバードーズも、リストカットも繰り返す様になっていた。 そして何より以前より酷くなっていた。 リストカットは縫合が必要な程度まで深く深く切る様になった。 そして、限界を迎えた私は3階建ての私の家の3階から飛び降りた。 死ぬ気でやったが3階で死ねる気もしていなかった。 矛盾しているが、 運悪く死ねると言う可能性に賭けた。 だが、実際のところ靭帯損傷、脳震盪程度だった。 救急病院に1

        T先生と話し出した私。

          退院後の生活

          私は退院してすぐに大学に入学した。 私は高校時代の養護教諭のT先生に憧れ、養護教諭になる夢を持っていた。 その為、養護教諭の資格が取れる一番近い大学の看護学部に在籍した。 私はやっとみんなに追いつけた!とすごく張り切って入学した。 母も父も大いに喜んでくれた。 だが、現実は甘くなかった。私は約半年通信制高校に在学していた為、授業に出席する習慣が薄れていた。 また、精神的な不安から大きな教室に入るのが怖かった。(私の大学は大きな教室で100人授業) 何より人と関わるのが怖

          退院後の生活

          初めての一般病室-そして退院

          初めて一般病室に入ったのは入院して約4ヶ月目頃だった。 私の行っていた通信制高校は自由な学校だった為、転校を機に金髪に染めていた。 その為かして、初めて出来た入院仲間に 「ここのボスがとうとう一般病室に出てきたってみんなビックリしてたよ🤣🤣」 と言われ2人で笑った。 その子とは本当はルール違反だが今でも付き合いがあり、大切な友達となった。 そして、その子の居るテーブルで一緒に食事をする様になった。 その後、その子の紹介で6人の入院仲間が出来た。 毎日一緒にOT(作業療

          初めての一般病室-そして退院

          観察室

          私は約3ヶ月半の保護室生活を経て観察室に移った。 観察室はベット、机、椅子、簡易的クローゼットの様な棚があった。 トイレがないと言うことは部屋から出ても良いという事だと思いすごく嬉しかった。 看護師さんから説明を受けた。 「ここは観察室と言って保護室を出た人が一時的に過ごす部屋です。廊下のグレーの線のところまでは自由に行ってもらって大丈夫です。ですが、夜だけ外から鍵をかけます。あと、保護室と同じく監視カメラがあります。」という説明を受けた。 私のいた病院は廊下に線が引い

          -昨日更新できなかった理由-

          私は今精神疾患で精神科病棟に入院しています。 (追々書いていこうと思っていたのですが、、、) その為、気分の波や感情のコントロールが難しい状態です。 なので調子が良い時にはnoteを2つ、3つかけるのですが、調子が悪いとなかなか難しいです。 なので、これからもお休みしてしまう事があるかもしれませんが、調子が良い日には更新するのでよろしくお願いします。

          -昨日更新できなかった理由-

          主治医との関係性、保護室最後の日。

          私の主治医は女性だった。 年齢はお母さん程度、性格は、はっきりとしたタイプだった。 主治医が出勤の日は、保護室に居る私に必ず会いに来てくれていた。 でも私はあまり嬉しく無かった。 主治医は何でもはっきり言うタイプだったので、何度も怒られ、何度も泣いた。 保護室が異常だと言う事に気が付いていた私は、そこに居る私も異常。普通じゃない。 生きている価値なんてない。 ずっとそう思って居たので生きる希望を無くしていた。 死にたい、死なせてと、ずっと訴え続ける私に主治医は

          主治医との関係性、保護室最後の日。

          通信制高校初登校日

          私は1ヶ月半の保護室生活を送っていたある日看護師さんから、 「明日転校先の高校に行かないといけないらしいから心の準備しといてね。お父さんから連絡あったよ。」 と急に言われた。 私は研修の先生と話す事以外何もなかった日常から、外の世界への復帰に向けての準備が始まった。 初めての通信制高校。 とてもドキドキしてその夜は不眠時の頓服を貰った。 いざ登校朝食を8:30に済ませ、45分には出発した。 お父さんに会うのも久しぶり。 お父さんの車に乗るのも久しぶり。 緊張して何を話せばい

          通信制高校初登校日

          魔法の言葉

          研修の先生とたくさん話していくうちに、やっぱり私の育った環境は普通では無かった。 私自身も病気だった。 と言う事を思い知らされた。 私が辛かった事を話すと研修の先生は困った顔をする事が多かった。 それが医者として正しかったのかどうかは分からないが、私の言葉を素直に本心で受け止めてくれているようで嬉しかった。 そんな私に研修の先生は、 もっと素直になりなよ。 もっと甘えていいんだよ。 もっと声出さないと伝わらないよ。と言う事を教えてくれた。 私はまず研修の先生に対してこの

          魔法の言葉

          保護室での日々

          毎日毎日、検温、ご飯、服薬、の退屈な日々だった。 そんなある日、主治医の先生から 「今月から研修の先生来るから話し相手してあげて」 と言われた。 私は嬉しかった。 それまで2週間、幻覚のマフィアと様子を見にきてくれる看護師さんとしか話していなかったのですごく楽しみにその日を待った。 そしてその日は突然やってきた。 「@さーん!!!覚えてる?」なんと保護室に入ってきた研修の先生は、 私に入院を勧めてくれた救急病院の担当の先生だった。 私はすごく嬉しかった。 本当に嬉しかっ

          保護室での日々

          児童思春期病棟

          私が入院した病棟は児童思春期病棟だった。 年齢層は5歳から20歳。 私は最初、保護室に案内された。 その当時は保護室と言う言葉だけ、意味は分かっていなかった。 他の部屋を見た事が無かったからかもしれない。 ただ布団と段ボールが一つ(机代わり)トイレ(自分では流せない)しか無い部屋だった。 初めは特に何とも思わなかった。 そこで3ヶ月過ごすことになるとは思っていなかったからだ。 私は向精神薬(主にデパス)を抜く為、1日30錠程度飲んでいた薬を1日7錠にまで一気に減らされた。

          児童思春期病棟

          初めての精神科入院

          全日制高校から通信制高校に転向を機に初めての精神科入院をする事になりました。 何故なら週に2.3回程度のオーバードーズで救急搬送される迷惑な患者が私だったからです。 大きな精神科単科の病院で初めて外来に行った日に、 「あなたは向精神薬依存症です。入院が必要です。」 と言われ、次の週には入院が決まりました。 初めての精神科入院。 不安が止まらず入院前日は一晩中起きてました。 そしていざ入院。 案外優しいお母さんくらいの看護師さんばっかりで、筋肉質な男性看護師も話せば優しく

          初めての精神科入院

          高校生➂

          私が3年生になる頃には養護教諭のT先生に見放される様になっていた。 多分私の予想では、私が構って欲しいが故に自作自演して怪我している事がバレたのでは無いかと思われる。 そうなると居心地の悪い保健室。 次に行く先は教室だった。 3年は3組O先生が担任だった。 O先生は学校の中でも穏やかで生徒の話をよく聞いてくれると人気な先生だった。 3年生になると大学受験が待っていた。 運良く私はAO入試で、行きたかったS大学に難なく合格する事が出来た。 だがそこで問題が起きた。

          高校生➂

          N先生

          私がオーバードーズをした日を境にあの先生は私に根性をつけろと言ってきた。 そう簡単に死ねるなんて思うな人間誰もが苦しんで生きている@さん(名字)は甘えているだけだと、事あるごとに言われていた。 私が保健室に居れば迎えに来て と言うと響きはいいが、 私が教室行きたく無いと泣き喚いても無理やり泣き顔のまま教室まで連れて行き、 クラスのみんなから変な目で見られ、 @さんは中々学校に来ないので来た日くらいはちゃんと授業を受けれる様に。と理由をつけて、席替えのくじ引きも参加させても