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終身雇用文化と雇用の流動性(2)

(前回の記事「終身雇用文化と雇用の流動性(1)」はこちらから。)

プライベート・メンターのTakumaです。
今回の投稿では、雇用の流動性のメリットについて、思うところを語りたいと思います。

1. 雇用の流動性の意味するところ

私が「雇用の流動性」で意味するところですが、ごく簡単に言うと「転職することが普通にある世の中」です。会社から転職者が出ていくことも入ってくることも普通にあって、各社もそれに応じた仕組みがあり、各個人もそれに応じてキャリアチェンジの可能性を常に視野に入れたキャリア形成が可能になっている状態とでもいえましょうか。

私の経験した範囲ではあくまでも「会社員の転職」をイメージしていますが、会社員の転職パターンだけでも「同じ職種・業界の中で他社に移る」「違う職種に移る」「違う業界に移る」「会社員から専門職や自営業に移る」などのパターンがあり、一言で転職といっても色々な可能性がありえます。それらが普通に選択肢となっているのが自然な社会ではないかと思います。

そもそも、学生時代にインターネットがほとんど無かった私の世代にとっては、職業選択に関しての情報もあまり無い中で、高校生には学部や学科の選択を迫り、大学生には業界・会社の選択を迫る上に、一旦新卒や院卒で入社したら転職の自由が無い(一生その会社で勤め上げること無言のうちに期待される)というのが普通の世の中であったわけで、今思えばそもそも無理があったと思います。

近年はようやく「キャリア教育」に乗り出す中学高校が出てきましたが、今の社会人はまだ多くの人が、「情報を十分に得たり、職業選択のための十分な思考の機会の無いままに」今の職業・職種選択をしたのではないかと想像します(もちろん、自ら情報を取りに行かなかったり、選択の余地が無かったケースも含めてです)。

その状況でキャリアの中盤以降に差し掛かった人にとって、世の中の変化のスピードが速く、様々な働き方をする会社が増えてきて、プライベートでも様々なライフイベントがあり、その上「人生百年時代」と今さら言われて70歳前後でも働かなければいけないような話が聞こえてくるのに、雇用の流動性が無い状況は本当に健全なのでしょうか。

2. 雇用の流動性の社会的なメリット

では、雇用が流動性がある社会は何がメリットになりうるでしょうか。

マクロでみれば、労働市場がある程度市場原理に従う(需要側=求人の情報と、供給側=市場に出ている求職者側の情報が十分オープンになっている前提が必要)と考えれば、「適材適所」に働く人が配置されることが期待されます。言い換えれば、働き方の多様性が広がるとも言えます。

ミクロ=個人レベルで見れば、バリバリ働きたくて上を目指したい人・世の中を動かしたい人、プライベートの状況で働き方を一時的にでも抑えたい人、新しいことに常にトライしたい人、決まったことを着々とこなすことが得意な人等々、誰でも世の中の必要とされる部分をぴったり埋めるピースになれる状況に近づくのではないでしょうか。

もちろん、自らが「世の中の必要とされる部分」を見つけに行くための情報収集のアンテナを張ること(インプット側のアクション)や、逆に自らのスキルや専門性を世の中から見つけてもらうための情報を出すこと(講演や発表の機会があれば逃さない、LinkedInの活用をするなどのアウトプット側のアクション)も必要になってきます。

当然、個人の選択が必ずしも全体最適にも個別最適にもなりえない可能性は十分にあります。自分の未知の可能性は自分でも全て把握しきれませんし、まだ芽を出していない才能は何歳になっても隠れている可能性があります。
それでも、少なくとも「自分がやってみたいこと=モチベーションが向くこと」を選択できる余地は世の中にたくさんあふれてくると思うのです。

少し長くなったので今日の投稿はここまでにして、次回からは「キャリアの幅を拡げることの意義」について語りたいと思います。

#終身雇用 #キャリア #転職 #メンター #ワークライフバランス

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