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生成AIと人間

生成AIといえば、この分野を全くキャッチアップしていない私でも認識しているほど、わずか1年足らずで急速に成長した。2023年には、周囲の少ない人間が、何らかのAI技術を積極的に利用していた。生成AIを利用することで、勉強や研究活動の効率化を図っていたのである。私も頻繁にではないが、生成AIを利用することがある。

また、SNSを覗いてみれば、生成AIの数多あるサービスを紹介して、その使い方を説明するようなサイト、投稿、動画が溢れている。

つまり、生成AIは私たちの生活に密接に関わり、徐々に不可分なものになりつつある。このような状況においては、新しい技術を上手に使うことが、人口減少による人手不足と相まって、今後の日本では求められる技能の一つとなっていくとも言えるだろう。

生成AIの可能性は広がる一方だ。しかし、今回の記事タイトルは「生成AIと人間」としている。今回は生成AI、あるいはそれを取り巻く環境が持つ危うさを考えてみたいからだ。

ChatGPTを開発したOpenAIをはじめ、Googleなど生成AIを提供する企業は増加している。ただし、それぞれのサービスには強み、弱み、得意分野、不得意分野があるはずである。そのため、複数のサービスを使いこなすことは容易ではないだろう。また、現状では、複数のサービスを利用している人も多くないのではないかと思う。

まだ圧倒的な勝者がいないため、先駆者であるChatGPTのような一部のサービスに利用者は集中しているはずだ。ChatGPTを運営するOpenAIもそうだが、生成AIを扱う企業はスタートアップが多い印象がある。スタートアップは経営が不安定で、人事の振れ幅も大きい。そのため、サービスの継続性にも懸念があるように思われる。

この懸念を体現するような出来事が昨年11月に起きた。Open AIのアルトマン解任騒動である。これにより、一時はchatGPTのサービス存続を危ぶむ声もあがった。

つまり、生成AIは優れた機械だが、その優秀さを維持・向上していくのは企業であり、最終的には人間であると言える。

優秀な人材は一定数、安定的に用意できなければ、優秀な機械なるものも存続し得ない。生成AIを生み出したのは人間だが、それを脅かしたり、壊したりするのも人間なのである。

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