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なぜ教員にならなかったのか

6月に内定を獲得し、就職活動は切り上げた。教員採用試験にも出願はしていたが、7月の一次試験は受験しなかった。

私が職業としての教員を考え始めたのはいつか。おそらく、中学校の頃であろう。何かを教えるということにやりがいを感じていたし、将来、AIに仕事を奪われることもなく安定的に働くことができそうだったからというのが、当初の志望理由ということになる。

教員への志望度はかなり高く、それは大学入学からしばらく経つまで続いていた。大学(院)卒業後の進路は教員以外にない、と考えていたほどである。

教員志望に転機が訪れたのは大学1、2年の頃である。ちょうどこの時期は、教員の働き方について、多くの声が上がり始めた頃だった。他業種と比べたときの労働環境の過酷さが明るみになったのである。残業の多さ、学校の役割の拡大、部活動の負担、保護者等への立場の弱さなど。また、私の関心が教育から研究に変化していったということもある。

そのため、教職への志望度はみるみると低下していった。ただ、大学4年で教育実習に行った時は、大変だったけれども楽しい側面もあると感じ、志望度が改善した。しかし、それは一時的なものに留まった。

教員の給料の低さもしばしば議論になるが、私は教員の給料がそこまで安いとは考えていない。どの自治体も初任給を公表しているが、その水準は他の公務員と比べても高めであり、年収も同様である。そのため、私が教員を志望しなくなった理由に、給与水準は影響していない。

私の志望度低下の最大の要因は、その働き方にあるが、それ以外にも理由がある。近年、学習指導要領が改定され、「探究」なるものが始まった。従来の講義型、知識詰め込み型の授業から脱却し、生徒の主体性をもって探究活動をしようというものである。

これにより、教員は教材を用意したり、毎回あるいは単元ごとの問いを設定したりすることが求められるようになった。これまでとはベクトルの異なる内容を扱う必要が生じたのである。そういったものへの対応の難しさを感じた。

大学院では、問いが問いとして成り立っているのか、また手元にある資料で本当に問いに対する回答を得られるのかという点がかなり追求される。(適切な)問いを立てるという行為は、非常に難しいのである。この2年間、ずっと問いを考えてきたが、まだ適切な問いを立てられるようになったという気はしていない。修士論文が完成した時、「ああ、こういうことか」と分かるようになっていたいと思っているくらいだ。

何が言いたいかというと、授業に耐えうる問いを立てるという作業は、容易にできることではないということである。そして、それを単元の数だけ用意するというのは、私の力量では出来ないということである。

教職に就かないという選択が、今の私には正しい選択だったと考えている。ただ、心残りがあるとすれば、地元で生活することはほぼ不可能になったということである。私の内定先は地元に拠点がないからだ。今後、教職に対する考え方が良い方向で変化したら、採用試験を受験するということもあるかもしれない。

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