感情を問えばわずかにうつむいてこの湖の深さなど言う(服部真里子)

感情を問えばわずかにうつむいてこの湖の深さなど言う
服部真里子『行け広野へと』(本阿弥書店、2014年)

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……423.4m」
「え?」
「この湖、423.4m」
 それが深度であることはどれくらい伝わるのだろう。

 こういう歌を仮に「脚本系」短歌と名付けるとしたら、この歌は脚本系の中でも宝石のような一首だ。劇のクライマックスでこのやり取りをされたら、たぶん僕はその劇をかなり長いこと覚えていると思う。
 この歌が含まれる連作「湖と引力」の中では、ふたりの人間が湖に出かけている。それがどういう種類の旅であるのかはわからない。道中はくだらないことで笑ったりもしてるんだけど、なんだかそんな風景もさみしく感じるような雰囲気が、ふたりのあいだだけにうすい霧が立ち込めているみたいな息苦しさが、歌のつらなりの中で醸し出されていく。
 ふたりは湖畔をぐるりと回っている。駅から湖までの道中にはほかの観光客もたくさんいたはずなのに、歩いているうちに、もうあたりにはわたしたち以外誰もいなくなってしまった。8月、時計を見ればもう午後6時で、真夏とはいえ少しずつ日は陰っていく。別に喧嘩しているわけでも、どちらかが不機嫌になっているわけでもない。そうじゃなくて、その関係は、その根底に、なんだか泣きたくなってしまう気持ちを埋め込んだまま、育ってしまったんだと思う。だから一緒にいるだけで、こんなことになってしまう。そんな中で感情を問うたのは、共感してしまいたかったからだろうか。では、湖の深さを言ったのはなぜなのか。
 湖の深さを言う、は答えだ。どんな気持ちなんですか? という問いに対して、423.4mです、というのは、紛れもない答えだったんだと思う。今となっては確かめようもないけど。さびしい、とか、あなたがいて嬉しい、とか、そういう返事ではこぼれてしまう感情を伝えるための。実際にそれが伝わるかというと、それは伝わらないんだろうけど。伝わらなかったことを互いに確認した後、たぶんふたりはまたしばらく無言で湖畔を歩いていく。


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一首評

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