吊り橋がどうとか話してたら目の前でワンバンして死ぬくじら(伊舎堂仁)

吊り橋がどうとか話してたら目の前でワンバンして死ぬくじら
伊舎堂仁『トントングラム』(書肆侃侃房、2014年)

 くじらが大好きだ。くじらはめっちゃいい。理由はでかいからだ。くじらはすっごくでかい。最大種のシロナガスクジラだと三十余メートルに至るらしいけど、たぶんもっとでかいと思う。一キロメートルくらいあっても全然ふしぎではない。
 そのくじらが死ぬのだから、一大事だ。それを目撃するのだから、きみの人生にとっても節目となる一瞬だ。この歌の口ぶりから言って、事前に「ここでくじらが死にますよ」という注意喚起があったわけではなさそうだ。きみには何の構えもなく、ただ吊り橋がどうとか適当な話をしてた。どうせ吊り橋効果の話でもしてたんだろう。たぶん、適当な子と。まぁあわよくばやれたらいいかな、いや別にそこまではアレだしそんな好きってわけじゃないけど、まぁまぁまぁ、な子と吊り橋効果がどうとか恋愛絡めた話して下心をみたす矮小なきみは、突如くじらの死を目撃する。
 それも、ただの死ではない。そのくじらは、ワンバンして死ぬ。天から放り投げられるように降ってきた一キロメートルは、ビタアアアアンと大地に叩きつけられ、けっこう跳ねて、轟音と共にふたたび地に沈む。そして、くじらはもう死んでいる。ほとんど神話のようなそのできごとを、吊り橋がどうとか話してたちっぽけなきみは目のあたりにする。きみの隣の子には見えていない。その瞬間に邂逅したのは、きみだけだ。
 もう戻れない。きみはもう、そのスケールで世界を見るようになってしまった。吊り橋がどうとか話してた頃にはもう戻れない。隣の子とはもうやれない。

(初出:「かばん」2017年5月号、一部加筆修正)

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