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フィレンツェを去ることにしました。  

イタリア語
イタリアに来て50日だというのに、まだイタリア語がわからない。
知らない単語が多すぎるし、知ってる単語が出てきても少し迷っただけで、フレーズは過ぎ去っていく。
イタリア語の文法構造の大枠は理解したので、あとは経験と反復練習が必要なのでしょう。
最近はインターネットなどから得ることができる無駄な日本語の情報を少しずつ減らしていくことも大切だなと考えています。

先日同居人のイタリア人とその友達に囲まれて食事会があったのですが、イタリア語のわからない自分1人を差し置いて、自分以外の3人でひたすら勝手にお喋りをしている地獄の3時間がありました。
自分はただ聞いてるふりをしているだけ。
もうこんな思いはしたくない。

Spagetti alla Carettiera


引っ越し

タイトルにもある通りフィレンツェを去ることにしました。理由は、ボローニャ近郊の仕事が2月中旬からなので、それまでの2ヶ月間を今しかできないことや環境にあてようと思ったからです。たまたまコロナ禍から続くオンライン授業のおかげで、学校のあるフィレンツェから離れてもレッスンを受けることができます。

というわけで来週から1ヶ月間はプーリア州のレッチェに住みます! 

仕事が始まってしまうと自分の性格上、仕事に付きっ切りになってしまうと思うので、今のうちに南イタリアに行っておこうという算段。
シチリアとも迷いましたが、この時期、島の天候は悪く、雨も多いみたいです。(こちらに来て分かったのですが、イタリアは11月から12月初旬にかけて雨季なので、気温も低く毎日雨ばかり降っています。晴れの日が珍しい。逆に6月に梅雨はありません。旅行する方は気をつけてください)

ほんとは文化的に活発な夏に行きたい気持ちもありましたが時間が限られています。でも結果的にフィレンツェの半分の家賃で、しかも寒い季節に気温が高い地域に行けるということで良きかな。
(今のお部屋の暖房器具が壊れてて毎日凍えてます泣)
引っ越しが重なるので心配なのは滞在許可証の手続きですが、何とかなると信じています。


ウフィツィ美術館
フィレンツェを離れるということもあって、先日ウフィツィ美術館に行ってきました。

La Nascita di Venere

日本人の作品はその作品の生まれた文化的な背景が想像できるので、解釈のしようもありますが、正直、神の存在が常に身近にある絵画を、しかも同じような構図で何千と見てもよく分からなかったです。
ほんとに見る側の鑑賞力不足でごめんなさいという感じ。
もちろん頭を使わずに純粋に見た時の作品の綺麗さやリアルさ荘厳さには驚きます。

Incoronaziobne della Vergine

この美術館は古代ローマ時代の彫刻をはじめとする数えきれないほどの作品が、歩き疲れるほどの大きな施設に、いたるところに飾ってあるので、分かる人にとっては楽しくて楽しくてしょうがないんだろうなあとは容易に想像がつきます。表現がおかしいとは思いますが、ルネッサンス芸術のディズニーランドみたいな感じ。

Tribuna degli Uffizi

歴史の古い順に作品が並んでいるのですが、絵画の構図はほとんど「新生児」「マリア」「キリスト」等を中心としたもので、「神」の存在が本当に身近なものとして描かれています。
背景は「宮殿」から「自然」へ移行していったり、「戦い」をテーマに描いたものもあるし、彫刻はどんどん動きのあるものに変わっていったりと、ルネサンス作品の中での時代変化を楽しむことはできました。

Primavera

特にルネサンス後期のカラバッジョの作品では、神の存在が額縁から消えて、身近なワインや食物に焦点があてられるようになっていたのが面白かったです。
美術館の中は写真撮影OKなのですが、携帯の電池が切れてしまいあまり写真が取れなくて残念。
でも世界中から集まった鑑賞者たちもスマホで、教科書に載っているような有名な絵画を撮影するばかりで、一体どれほどの人が本当に「鑑賞」という行為をできているのであろうか。(自分も含めて)
もし次の機会があったらもっともっと勉強してから行こうと思いました。
(感受性の問題もあるし、一概に前知識ありで行った方がいいとは言い切れないとは思いますが)


イタリア料理のこと

その日初めて食べた仔牛の脳みそのフリット。やや肉香りがするほぼ白子。

フィレンツェを離れるという選択をした以上、今後トスカーナ料理を極めることにはならなそうです。
今なんとなく頭の中だけで考えていることは、やはりイタリア料理は大地の料理だということです。
イタリア料理のピラミッドを書いた時に、一番下にその土地固有の「大地」や「海」がきます。
そこからその土地で採れるものを「焼いただけ」、「茹でただけ」の料理が生まれます。
人間が長く生き残るために「保存食」が生まれます。
ハムやサラミ、チーズ、ワイン、パン、オリーブオイルなどです。
あとはこの土地の食材を使って人々の知恵と経験が「郷土料理」を生み出していきます。それが「文化」になります。
そこに「社会」や「経済」が絡まり、人々は知恵と経験と、はたまた科学で新しい料理を生み出していきます。
それが郷土料理に対して「変化のある料理」や「分子料理」、「文化のフュージョンした料理」です。
それが現代的な料理です。
(だいぶ大雑把に説明しました。)

他の国の料理の成り立ちもほとんど同じだと思います。
よく「0から1を生み出す」という話を聞きますが基本的に0はあり得ません。それこそ神の仕業です。
0とは過去の蓄積した経験であり、歴史であり、本質です。
僕は常に本質を見続けていたいと思います。
そして過去の先人たちと同じように、大地から与えられた贈り物を知恵を使って料理していきたいと思います。

そうした時に僕はイタリアで何を見て、日本に帰って、もしくは帰らずに、何をするのか?
これからイタリアでたくさんの0を見て、経験していきたいと思います。

Trattoria armando

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