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Food Safety Culture(食品安全文化) / Food Safety-Ⅱ を考える ②文化とは他者から与えられるもの?

こんにちは! あたたけ です。

引き続き、『食品と科学』2021年11月号および12月号に寄稿した内容です。

前回は『①はじめに』ということで、このテーマの背景などの紹介でした。今回分から、あたたけの考えが濃くなっていきます。

ということで、第2幕、はじまりはじまり~
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2)文化とは他者から与えられるもの?
先に述べた通り、食品安全文化というものが話題に上がるきっかけとなったのは、コーデックスやGFSIによる文書です。これらの文書の根底にあるのは「人(もしくは組織)の自主性」だと筆者は感じます。
さて、「どこそこに書かれたから取り組む」という発想で本当に文化、つまり、明文化されずとも自然と自主的に取り組んでいることとして定着するのでしょうか?

確かに「何かしらの文書から気づきを得る」のは大切なことです。また、何かを始めるにあたり、ゼロから闇雲に進むのではなく、「はじめの一歩として何かしらの文書を参考にする」ことも時には必要でしょう。このように、食品安全の規格に限らず、先人の知恵から学ぶことは多々あります。
しかし、目的も考えず他者の作った文書をそのまま使うだけの組織(会社)が自主性を身につけることができるのでしょうか?
GFSIによる方針説明書に記載された「ガイドとなる質問」に答えられる、あるいは、その他の食品安全文化に関するチェックリストに適合している、というだけで「食品安全文化が根付いた組織」と言えるのでしょうか?

仕事柄、筆者も食品工場に監査でお伺いすることがありますが、食品安全の国際規格に取り組まれている会社であっても、明らかに妥当性がない管理手段となっている、あるいは、検証が形式上の記録だけで終わっている、というように「規格の追従だけに取り組み、表面上の対応だけで終わっている。認証がとれればよく、本質を理解し、うまく活用しようとしていない。」ということを見かけることが、残念ながら未だにあります。
このような「文化」を持つ組織に対し、「食品安全文化」と外部から言ったところで、「書いてあることはやった。従業員が答えることも出来る。でも、従業員の行動は変わらない。」というオチになる気がするのは筆者だけでしょうか?

逆に、既に「食の安全の実現」が文化として根付いている組織もあります。もっと言えば、食品安全に限らず、自分たちの作る製品品質向上に全員で取り組んでいる組織に出会うことも多々あります。このような組織で働いている皆さまからは勤勉さ、丁寧さ、相手への敬意や思いやりを強く感じます(いわゆる「日本人らしさ」と言われる特徴かもしれませんが、実際には従業員の国籍に限らず、組織の文化となっていることも多いです)。
このような組織に、改めて「食品安全文化を作るために何に取り組んでいますか?」と聞いても、うまく言葉として答えられない気がします。GFSIの方針説明書には、“根底にある規範と行動について、「書かれていない」場合が多く、また語られもしない場合もある”と記載されていますが、文化とは確かにそのような面を持つものです(筆者自身、日本人でありながら日本文化を言葉でうまく説明する自信はありません)。
答えられないから文化が根付いてない、というのも間違った判断ではないでしょうか(特に日本人は、100点満点の自信がないと「やってない、わかりません」と言いがちです)。

食品安全文化に限ったことではありませんが、目的を忘れた取り組み、いわゆる、手段が目的になった取り組みが意味を成すことはありません。さらに、新たな文化を根付かせるには組織ごとの既存の文化の影響が大きく、進め方も組織ごとに様々になるのが当然です。今から食品安全文化の醸成に取り組むという組織には、「既存の文書の通りに取り組む」のではなく、「目指す姿は何か、現状との差異は何かを明確にした上で、既存の文書を参考に足りないところを埋めていく」という発想で進めていただきたいものです。

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ではでは。
今回はこの辺りで!

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