おじまりゑ

絵を描いたり創作する人 #日本画 日々感じたこと思ったことを綴るエッセイのような文章と…

おじまりゑ

絵を描いたり創作する人 #日本画 日々感じたこと思ったことを綴るエッセイのような文章と詩のような写真

最近の記事

乙女椿

先生のご自宅には椿の木が確か2本植えてある。 娘のデッサン教室の送迎の時(私の先生は娘の先生でもある)塀の向こうに椿の木が見える。 椿の学名はカメリア•ジャポニカという。日本原産の木。縄文時代から椿油は生活に利用されていたらしい。 日本画の勉強会の時、たいてい題材は先生のお庭の季節の植物だ。花だったり、葉っぱだっり、果物だったり、野菜だったり。 そして毎年椿の季節になると椿の枝を数本用意してくださる。 今年、私は乙女椿を描いた。 淡乙女(うすおとめ)、別名乙女椿。

    • 花摘み〜ユリ

      夫の命日に白い花束を届けてくれた人がいる。その中に芳しいユリがあった。 おそらく仏壇に供えるようにというお心遣いだったのだろう。だが我が家には仏壇がない。結婚式が終わりリラックスした表情の若かりし夫を写した写真だけが飾られている。 花束はとても立派だったので一つの花瓶に収まらず、いくつかにわけて飾った。 ちなみに娘が生まれたとき、ユリの花にちなんだ名前をつけた。美しい名前だと思っている。 始まりと終わりとユリ。 「花摘み〜ユリ」 2024 F0号 金箔、岩絵具

      • 想う〜Iris

        我れのみやかく恋すらむかきつはた丹つらふ妹はいかにかあるらむー作者不明 「こんな風に恋をしているのは私だけなのでしょうか。杜若(かきつばた)のようなきれいなあの娘はどうなのでしょうか」 (現代語訳: たのしい万葉集より) 万葉集には杜若の和歌が7首収録されている。どれも切ない恋の歌である。 私が住む街には毎年6月頃にあやめまつりで賑わう公園がある。「あやめ」と付くが実際には湿地で育つハナショウブやカキツバタなどではないかと思っている。 (ちなみにアヤメは乾燥地で育つらし

        • 花摘み〜バラ

          暑さと人混みと歩き疲れを癒そうとカフェに入った。コーヒー好きで旅先では必ず良さげなカフェを探す。 そこは入り口に受付のようなものがあり、中年の女性が注文をとっていた。外からはわからないが開放感のある吹き抜けになっていて、蔓性の植物などが上の方から垂れ下がっている。 コーヒーとケーキを注文して席を探す。いわゆる狭小建築のため狭くてわりと急な階段を上り(これもまた開放的な階段なのだが)、4階だったと記憶しているテラスの席に座った。 見晴らしが良く、建物の先に湖が見える。テラ

          花摘み〜ブーゲンビリア

          昨年末にベトナムへ旅をした。北部のハノイとその近郊。かなり前に行った南部のホーチミンとは印象が全く違ったように思う。 ハノイは都市である。街中は人混みが酷く混沌としており、交通ルールを守っているんだかいないんだか道路はバイクで溢れている。 それでもとても美しいと感じたのはアジアとヨーロッパの文化が調和した街並みと青々とした緑の多さによろものかもしれない。 中心には湖のある広い公園もあるが、街中とにかく緑で溢れているのである。巨大な木がわさわさと葉を広げていた。 そんな

          花摘み〜ブーゲンビリア

          しるし

          画像は昨年制作した100号という大きな作品の一部である。 植物を通して、その植物の記憶(植物の細胞に宿る命の記憶のようなもの)と私がその植物を通し経験したことの記憶…を作品に残すという作業をしている。 時間を留めておくという記録のようなものだろうか。人為的ではあるがそれは化石に似ていると思っている。 自分のことを少し書いてみようと思う。 自分で言うのもなんだが、どちらかというとドラマチックな人生を送っていると思う。 意思が働かない領域で運命に翻弄されているような。 輝か

          花摘み

          自然に咲くありのままの姿の花には自由な美しさがあるが、人の手が加えられてやや不自由な存在の花には人に寄り添ってくれる優しさを感じる。旅先のカフェで見かけた無造作に植えられた花、亡き家族の命日に友人が贈ってくれた花、フラワーショップの前を通りかかって衝動買いした花…私の記憶と花は結びついていることが多い。花を摘むように記憶を残しているのかもしれない。 VOICEs展に寄せて