クリスマスの良い話

メリークリスマス。

今日は素晴らしい朗読をご紹介します。

思い返すと、サンタクロースを信じていたのはいつまでだろう、信じなくなったのはいつからだろう。
あんまり記憶にない。
どちらにしろ、この朗読に登場する女の子のように切実に真剣に悩んだ覚えはない。

現代のような消費社会において、サンタクロースを信じるということは、子供にとってさえほとんど不可能か、または不自然なことかもしれない。
そこら中に作り物のサンタクロースが量産されていて、年間通していつでも物品が手に入る今日、クリスマスを特別にしているのは、いつもより更に割増のプレゼントとご馳走くらいのものかもしれない。

「サンタクロースはいるのだろうか?」という問いが深刻なものにならない以上、それに対する答えもまた深刻である必要を持たない。
しかし百年以上も前に交わされたこの新聞読者と記者の間のやり取りには非常に胸を打つものがある。
記者は何と誠実に、理知的に、そして愛情深く、子供に話しかけていることだろう。

子供が投げかける質問に対する「正しい回答」というものはない。
記者の答えが模範解答だと言いたい訳ではない。
ただ、この記者の「答え方」は、非常に優れて模範的だと思う。
この記者の胸に、子供に対して伝えたい強い思いと願い、そして子供は必ずこれを理解することが出来るはずだ、という信頼があることが感じられる。
子供の空想を、取るに足りないものとして打っちゃっておくのではなく、世界の真ん中に置いて大切に水やりをしているかのようだ。
というのは子供の空想こそが、その子供が将来大人になった時に抱くことになる世界観の原型になるからだ。
そんな大人たちが寄り集まってこの世界を方向付けているのだから、これは無視すべからざることだ。
子供の夢を育て、導く全ての人は、より良い未来の世界を建設しようとしている。
私はこの記者の回答を聞きながら涙を禁じ得なかった。

記者の回答は非常に秀逸でもある。
これは後々になっても絶対に論破もされず、見切りをつけられることもない絶妙な返答なのだ。
「サンタクロースはいない」と答えたら、子供の夢を摘んでしまう。
「いる」と答えたら、子供はいつか、体(てい)の良い嘘をつかれただけだ、と気付いてしまう。
巧妙にも記者は、現実より前に人間の信念がある、ということを教えることを通して、サンタクロースの永遠の実在を証明した。

クリスマスの数日前に久しぶりに聞き直してみて、改めて素晴らしい内容だと思った。
有り余る商品とフライドチキンに占拠される現代日本のクリスマスだが、その特有の「温かい気持ち」の発祥の、非常に純化されたものを、この記事、そして朗読から感じ取ることが出来る。

良い一日を。


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