見出し画像

太陽に照らされ影が出る。あなたはAさん?Bさん?Cさん?Dさん?

1つめのハナシ。

Aさんという人がいて。
ものづくりを生業にしていた。
そのAさんが駆け出しのころ
仕事で関わったBさんという人が
Aさんが作ったモノを次々と手にして
しっかり作ってるねと声をかけてきて。

Aさんは嬉しかったけど
Bさんの次の言葉で
ハッとした。

ものづくりって
時間をどれだけ費やしてきたかによって
ある程度のクオリティは付いてくるものだけど
どこまでを目指すかって結構難しいのよ。
1人で作業してたら余計にね。
基準って曖昧になるでしょ。
自分次第なんだから。

誰に指導されてるわけでもないし
誰に監視されてるわけじゃないのに
このクオリティにできる技術と基準を持ってるってすごいことだよ。

確かに元々持ってる器用さとかはもあるだろうけど、まぁいいやって、1人だとできちゃう怖さがあるのに、よくぞここまでって感じ。

ここに辿り着くまでに
これじゃだめだって
自分で自分に何度もNOを突きつけてきたってことなんだよね。
その目を、その基準を持ってるってすごいことだよ。
なんで?どうやって?
そこに至るまでどんな修行してきたの?

と興奮気味にBさんは話す。

Aさんはしっかり作るのは当然のことだと思ってた。
当然でありながらも
それを伝えることも価値だと思ってた。
だからいつも
"しっかり丁寧に作っています"
とブランド紹介でも表現することがいいと思ってた。
確かにそういうふうに書いているハンドメイド作家もいまだ多い。

だけどBさんの言葉で気づいたのだ。
"しっかり丁寧に作ってます"
って
とても主観的な言葉で
根拠なんて何もない。
大袈裟に言えば
10人が下手だと言っても
自分が丁寧に作ってると思ったら
嘘ではないんだから。

だからAさんは
"私が1人でしっかり丁寧に作っています"なんて表現をブランド紹介の肝にはしなくなった。
主観に過ぎないもので
自分で発するソレにはなんの価値もないと気づいたから。
自分が判断することじゃないって
気づいたから。

何がどうってわけじゃないのかもしれないけど、Bさんの言葉で、Aさんの思考は確かに変わった。
変わったというか、1つの物事には違う側面があることを、身をもって知ることができた。


2つめのハナシ。

Cさんという人がいて、縫製工場を営んでいた。アパレルの工賃は安く、しかし求められる事は膨大で、クオリティはもちろん、納期もカツカツ。
昼夜問わず縫い続け、たったの数千円で仕上げた洋服が何十万という価格で市場で売られてる事を知って愕然とした。
自分はこんなにも虐げられてるのに、と。
その恨みつらみは、時間の経過と共に尾ひれが付く。
Cさんは自分のブランドを立ち上げ、自分の城を築くことに夢中になった。最初はただただ純粋な想いで。
失敗もした。人とうまくいかないこともあった。
それを繰り返すうちに、感情はすり減る。
自分はこんなにすごいのに!
なぜ?
直接的にそう言葉にしなくとも
それは周囲にも伝わる。
どんどん極端な思考に支配されるようになっていった。
自分に付いてこれない人がだめな人。
繰り返しその言葉を言うようになっていた。
自分は技術もノウハウも持っている。
自分が正解なんだ、と。

それを傍観していたDさんがポツリと言った。

Cさん、今あなたが持っている技術、クオリティを見極めるその目、それらはあなたが持って生まれたモノですか?

違う。

それは昔あなたに仕事を依頼してきた、何十万の服を売る事ができるそうそうたるブランドの基準であり、それを求められたからこそ、結果、あなたの技術が向上したのでは?
取引先の求める基準があって
それにあなたは応えられた。
確かにその時点での工賃には、あなたは納得していなかったのかもしれないけど
結果として、その後も腕一本で食べていくに相当する、自分の武器となる技術をあなたは得られた。
クオリティを追求するクライアントがあったからこそ、今のあなたがあるのでは?
それでも全て自分が正しくて、全て自分のおかげですか?


と。



私が何が言いたいかというと
ここに出てきた
BさんとDさんのものの見方って
すごいなって思って。

2つのハナシの内容って
特にAさんとCさんにフォーカスしてみた時、まぁ、よくあるハナシだと思うんですよ。
ものづくりしてる人のハナシというか。
そこにBさんとDさんの切り口、角度って、なるほどなーと、私は思いました。
よくあるハナシじゃなくなったというか。
私にとっては、ですけどね。
すごいハナシを聞かせてもらったなというか。



麻袋をメイン素材にものづくりをしてきて、いろんな言葉に会いました。

◦汚い
◦ケバケバがつく
◦すぐボロボロになる
◦夏だけの素材
◦流行りのやつでしょ

とかが頻度が高いかな。

なんとまぁネガティブオーラ満載の言葉たち、笑

あくまでもこれはネガティブVer.の出会った言葉で、もちろんポジティブVer,の出会った言葉たちもあるんですが
今はこのネガティブな思考に支配された人たちに伝えたいなと思って書いています。
(読んでくれるか、わからないけど、笑)

ネガティブな印象も
確かに間違ってはいないんですよ。
正解という言い方は違うと思いますが、事実ではあるんです。
だけど、ネガティブに感じたことって、自分の中に、それが諸悪の根源かのように染み付いちゃうんですよね。
わかります。私も嫌いな人の事は沼に沈めたいくらい嫌いになりますから、笑。

だけど私も年齢を重ねてきて
それでもまだまだ未熟だけど
その中でも
違う考え方に触れて
楽になることも多々あって
それが例えばこのBさんとDさんのような考え方だったりすんですよね。
私も元々はAさんとかCさんみたいな考え方だと思うんです。

ものの見方を変えるって
とても大変な印象ですよね。
先入観のパワーってほんとすごいなぁって思う。
自分を根本から変えるくらい
大変なことのように感じる。

だけど、事柄を変えると
あれ?なんかそうでもないなって思う事ってあって。

例えば
動かぬモノがそこにあったとして
そこに影ができる。
という事実がある。
当たり前の現象。

だけど太陽の位置によって
影の出る位置も、長さも変わる。形も変わる。
影は、夜になると消える。
曇りの日も見えない。
当たり前のこの変化を
私たちは受け入れている。
なんで影がないのよ!なんて言わない。
なんで、太陽がないのよ!なんて言わない。
そんな日もあるってこと、知ってるから。

むしろこのことをなんで?と聞かれることの方が、困る。
当たり前だから。

逆に、困るんです。

ね。

そうか、当たり前になればいいのか。

これも極端なハナシかもしれないけど、大きなヒントですよね。

だから私たちは
ネガティブな事を言われても
え?そうですか?
素敵だと思いますけどね、麻袋。
みたいな顔してます、笑。

事実、そこなんですよ、私の原点って。

なぜ自分は麻袋に魅力を感じているのか、
麻袋の最大の個性ってなんなのか、
それを考えた時
やっぱりあの素材感なんですよ。

難があると言われ続けている
あの素材

あの質感があってこそ
ザ・麻袋なんです。

あの質感は
アパレル雑貨としては通常ウェルカムではない訳です。
素肌に纏うなんて、もってのほか…。
だけど、ファッションとしてみた時、目から入ってくるあの質感、マットさ、立体感は最高にカッコよくて、この素材が加わる事で、今日のコーデがキマる、その感覚を私は知ってしまったんです。

ネガティブを1つずつ"隠していく"
なんてことをしたいわけじゃなくて

アップサイクルしたからすごいでしょ?
エコでしょう?
コーヒー好きさん集まれー!

でもなくて
自分が感情を揺さぶられた事を
ただただ純粋に追いかけているだけ。
それが結果
ネガティブをぶっ飛ばせ、になっていたというか。
それを継続していたら
今はもう
私の当たり前になってる。

良くも悪くも
当たり前って
継続からくるのかもね。

言っちゃうと
製作している過程の方が
もっともっとケバケバと戦っているんですよ、笑
皆さんが思う何倍もケバケバを感じています。

だけど、必ず素敵にするからねって思って作ってます。

麻袋のいいところ
私が必ず伝えるからねって思ってやってます。

出来上がった時の感動、これだけ作ってきてもいまだにあるんですよ。
これいいなーって。
ひとつずつ。
全て。
惚れ惚れ自惚れタイム、あります。

私たちの麻袋愛、麻袋でものづくりしてるから、いっぱいみてるからでしょ?って言われることもあるんですけど、むしろ原点に忠実にいるだけというか。

ネガティブな感情をぶつけられて
私たちもネガティブに襲われそうになったこともあったけど
それを救ってくれたのは
麻袋と出会った時の感情、あの原点の感情だったんですね。

生きてきた環境で
どんな感情を持ちやすいか
考え方、ものの見方は個人差がある。
それが当たり前。

それをベースに
違うからと言って非難しない
違うからと言って馬鹿にしない
でも
違うからと言って特別でもないし
優ってもいない

自分を変える必要もないかもしれないけど、変えたければいつでも変えられる。

自然なこととして受け入れたら
変化は怖くないのだなと
なんというか
ケセラセラ…

違うか、笑

今目の前にあるもの
それはホンモノだし事実かもしれないけど
全てではない。

それをまずは頭の中に入れておこう。

ここ数日、考えてることです。




この記事が参加している募集

多様性を考える

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?