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流れを感じよう。

※この記事は音声を加筆修正して作成しています。

皆さんこんにちは、codyです。
気づいたら前回の投稿から10日ぐらい経ってしました。
面倒くさがりなことが完全にバレてしまいました。
貧血のせいにしておきます。

せっかくの入院生活なので、いろんな映画を見てみようとディズニー+を登録しました。
この機会に、今まで見ようと思って見てなかったスターウォーズやパイレーツオブカリビアンに挑戦しようと思います。

道を覚えられるのは認識のおかげ

本日は自分とか人を一つの概念とか認識で縛らないという話をしたいと思います。
少し前にちくま新書から出ている般若心経を読みまして、自己概念について考えました。
自分や世界をどういうふうに認識をするかという話のような気がします。

チンパンジーは右や左を理解しているけど、犬は右左ではなくタダ横と認識をしているようです。(本当?)
もし本当なら犬は道の記憶が出来ないということになるのかもしれません。
物事を上手く認識出来ると便利だったり、ミスしなくなったりします。
つまり、横という一つの認識から右、左という二つの認識が作れたら道が覚えられるようになります。

認識を変えていこう

認識が固定化されることは便利な反面、ダメなところもあると思います。
それは自分はこうである、あいつはこうであると人間のイメージを一度作った認識で縛ってしまうというところにあると思います。

般若心経でよく出てくる「色」というのは、元々ルーパというインドの言葉で単純にcolorという意味もあるけど、移り変わっていくものという意味も持つそうです。
また全てのものは移り変わっていくものなんだと般若心経では考えます。
つまり人間が作った人間の認識も本当は流れの中で切り取った一枚の写真のようなものだということ言えると思います。
(この辺は正しく理解出来ていないと思います。)

この話を踏まえて、私が言いたいことは何度だって自分の認識を作り変えていっていいんじゃないかということです。
というか変えていかなきゃいけないんじゃないかと思います。
だって元々私たちは流れの中にあって、固定化されたものではないのですから、自分だけが固定化された認識の中に留まっていたとしても、その実際はどんどんと移り変わってしまう。

だから自分の生死を実感することとかは自分が固定化されていないという認識をする?作る?例なんじゃないかということです。

なんだか訳が分からなくなってきましたが、要はどんどんイメチェンしてもいいじゃん、元々俺たちは固定化されたものじゃないんだからっていうことが言いたいのです。
文句言われても関係ないです。

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