価値観の多様性

多様性を、価値観の多様性、とすると、多様性を否定する価値観とは、

「価値観の多様性を認めない価値観」

ということになる。しかし、自明かもしれないが

「「価値観の多様性を認めない価値観」を認めない価値観」

は、

「「価値観の多様性を認めない価値観」という価値観の多様性を認めない価値観」

であって、つまり結局

「「価値観」の多様性を認めない価値観」

であり、また、この「「価値観」」を認めない価値観は

「「「価値観」」の多様性を認めない価値観」。

以下同様。


結局、"必要最低限"主張して、"余計な事"は喋るなってことじゃないかと。

何が必要で、何が余計かが分からんから終わらんのだ。

秘すれば花ということもある。

と言いつつ、
共有している価値観が「感触的」に理解できているのなら、必要も余計も「感触的」に分かる。

よく分からんとこでよく分からんやつに何を吠えようが、
色がついて見てもらえるはずも、色がついて見えるはずも無い。

結局

"必要最低限"主張して、"余計な事"は喋るなってことじゃないか。

これでやっと
秘すれば花。

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