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震災に遭っての記録(その後)#077

おはようございます。
佐伯です。
昨日は仕事始めの方が多くいたかと思いますが久しぶりのお仕事は如何だったでしょうか?
まだ体が正月休みが抜けてない方も多いと思いますが徐々に体を慣らしていけば大丈夫かと思います。

さて、昨日は今回私が体験した震災の記録を記載しました。
主に発生直後の動きと判断すべきタイミングなどを克明に記録しました。
中々、想定していたとおりに物事が進まないことをお分かり頂けたかと思います。

今回は、本震が終わりどのようにして日常に回帰するためにどんなことをしたのか、またどんな事に苦労したのかを記録したいと思います。
この記事が皆様の今後の防災対策に役立てばとても嬉しい限りです。


①一晩明けて、被害が分かり始める

眠れない夜を明かし、太陽が昇りました。
揺れは夜中も数回ありましたが、太陽を見るととても落ち着きました。

その日は、安全のため私の家族3人と義理の母、義理の祖母の5人で私の自宅に集まって寝ました。
義理の母と祖母はやはり慣れない環境だったのかとても疲れた様子を感じました。
太陽が昇り、7時頃、義理の母たちは自宅の被害を確認するため帰宅しました。

私の実家、姉からも続々と被害の状況について連絡がありました。
幸いにも実家、姉宅は無事でした。
多少、食器が割れるなどの被害はありましたが特に問題は無くホッとしました。
しかし、姉の職場は無惨にも建物のひび割れや書類棚の転倒など半壊まではいかずとも中々の被害にあったそうです。
不思議なことに古い旧館は何とも無かったらしいですが、新しい新館は結構な被害があったそうです。
やはり建物とは新しければ良いという訳では無いようです。
設計思想というべきか、建築に係る丁寧な作業が多少とコスト高になるものの安全性と長期の使用に耐えうるだけのスペックを実現していると実感しました。

②町の姿が一変する

私が本当に運が良かったことは、高台にある頑丈な建物に居住していたことと振興住宅に位置していたため比較的水道管が新しく揺れで破損しなかったことです。

大きな道路を挟んで旧住宅地は水道管の故障に伴う水不足が深刻でした。
市の水道局が給水車を派遣していましたが中々必要な量を確保できていない様子でした。
ローリングストックで水や食料を定期的に補充することをオススメします。

飲料水も去ることながら、生活用水が全く足りないのです。
トイレをするにしても、排泄物を流すことができないのです。
もちろんお風呂なんて夢のまた夢です。

昨日の夕方、隣町のスーパー銭湯は水が無事で営業していました。
すると大勢の方々が押しかけ道路にまで人が溢れる状況でした。
地震発生から2日が経過し、体を洗いたいのでしょう。

蛇足になりますが、防災トイレなるものが世の中にはあります。
排泄物を固めて普通ゴミとして捨てることができる商品です。
我が家も1箱用意してあります。
皆様もトイレの対策をしておく事強くオススメします。

③1番困ったこと、辛かったこと

物品が足りない、建物が痛むなど色々ありますが、1番辛かったのは余震によるストレスです。

余震は想像していた以上に頻発します。
その度、体が強制的に緊張状態にシフトするので気が休まりません。
2日目の夕方頃にはメンタル的に疲れ果ててしまいとても辛かったです。
震災における精神的なケアは最も重要なポイントだと知りました。

私の場合は仕事柄、様々な日本茶、紅茶、ハーブティーなどを取り扱っているのでカモミールティーを淹れて飲んでリラックスできるようにしていました。
それでも朝昼晩、関係なく発生する余震には本当に参りました。

④今後に活かしたいこと

今回、実際に被災してどんな事が大変だったか骨身に染みて理解しました。
この経験を文字にして皆様にお伝えすることが1番大事無事だと思い、2日間に分けて記録を取りました。

今後、事業でも防災や被災した際のケアについて考えていきたいと思います。
備えがあると言うのは普段は「無駄かな」と感じていましたが、実際被災した時は何よりも心強かったです。
正直な話、高額な火災保険にだけ加入するより保険料の半分でも防災グッズに投資した方が生存確率と被災後の生活に余裕が持てます。
これは自信を持ってお伝えする事ができます。

今後は被災後の生活に主眼を当てた商品群を構築したいと思います。
それで1人でも多くの方が「まさか!」の時に安心して対応できるような事業を考えたいと思います。

それでは皆様、ご機嫌よう。

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