運命とは?(本当にある)

どうも、こんにちは、こんばんは。また、少し時間ができたので、思い付きタイトルで書き始めてみようと思います。

本日のタイトルは、「運命とは?」です。

皆さんは自分の人生において「運命」なるものが存在しているかどうか、考えたことがあるだろうか?

おそらくは、そのほとんどの人がこれらについて考えたことがあると思う。大体、これらを意識する時は人生においてネガティヴな状況に陥った時であるとは思うのだが、自分の想い通りに人生が動いた時、それら両方に自分がいる時にこれらを感じていることと思う。

では、この「運命」とは一体なんなのか?

スピリチュアルの世界ではこれをブループリントと呼び、人間は生まれる前に次の人生で体験することを自分で決めているようなのである。

あの性格の両親の元に産まれ、こういう環境で育ち、結果として、自分で決めて来た自分の目標である何かを修得していく。

その大体の流れを「運命」と呼ぶようなんですね。

そこで出会う人々をソウルメイトと呼び、これも自分が生れる前にそれぞれの存在と出会う期間を決め、そして、実際会うことにより、お互いを刺激し合い、やはり、今生の目標とした何かを修得していく。

人における「運命」とはこういったものを呼ぶそうなのだ。

だから、人生における「運命」というものは、どんな人生においても必ずあり、そこで出会う人たちにおいても、すべて、意味があるものになる。

だけども、それら自分で作って来たブループリントにおいては、いいことばかりではなく、もちろん、悪いこともある。

むしろ、悪い方が多いかも知れないが、それら自分を取り巻く現象、障害があるからこそ、人はある一定の方向に自分が向かわされていることを意識させられるのである。

意識させられているというか、本来は自分で描いて来たシナリオであるブループリントを生きることにより、自分でその方向に持っていかせているというか、だからこそなのだが、ここは自論なのだが、神は人に無理なものは課すせない、という話があるが、それらは真理ではないかと思うのだ。

だって、自分で描いて来たシナリオだから、自分が乗り越えられないようなものはそもそも描いてこないでしょ?

しかも、そこで自分の命が終わってしまうのならば、本来、今生で修得する予定であったものを得ることができなくなるわけであるから、そこまで自分が無理な人生は描いてこないと思うのです。

でも、人はこれら自分で描いて来た人生のシナリオに耐えられなくなり、うつになったり、最悪は自分で自分の命を殺めてしまう場合もある。

そこはこう考えて欲しい。例えば、うつになってしまった場合。前、僕は人の病気というものに対して、それらは自分の魂が自分の体を通して、なにか自分に気づかせる為に発症する、ということを書いたと思うのだが、うつもしかりなのだ。

うつになるから、自分を振り返ることになるのである。

ただ、うつで問題なのは、自分の考えが空回りしてしまうところにあり、これらは実際、薬やらカウンセラーの力などを借りて、自分の気持ちが自分のネガに極端に向かわないよう、方向づけをさせてあげる流れをつくらなければいけないのだが、そのうつが快方に向かう過程において、いままでの自分の人生を振り返り、なにがいけなかったのかを反省する機会を得るのだ。

そして、悩みに悩んで反省し、そして、ゼロからまた自分が描いて来たブループリントに向かって生きはじめていくのである。

これは自分の人生に立ちはだかる障害においても同様で、それらがあることにより、自分自身というものを見つめさせられ、その結果として、やはり、自分が描いて来たブループリントの方向に人は生きはじめるようになるのである。

ここで少し話は変わるが、それら人生における障害について補足という意味で注意したいことを挙げておく。

これら自分で乗り越える為に設定して来た障害は、回避するのは自由なのだが、なにか自分に課題があってそれら障害を自分で設定して生れて来たわけであるから、一度、回避したとしても、形を変えてまた自分の人生に立ちはだかってくる、という、少しやっかいな設定があるようなのだ。

なぜか?

答えは簡単。それらを修得する目的で僕らは生れてきたわけなので、それらをいろんな意味でクリアするまで、僕らの前に何度も表れてくるように設定されているようなんですね。これが本当にやっかい。

これを例えばでいえば、どんなケースがあるかな?

例えば、ダメ男ばかりを選んで、人生を失敗してしまうパターン(笑)

これはおそらくだが、母性本能をくすぐられ、それらダメ男を選んでしまうと思うのだが、これらダメ男に自分の人生を狂わせられたくないのであれば、その自分の中に沸き立つ母性本能を別の対象に向けるか、自分で封じ込めればいいわけなのであるが、自分の人生を本気で狂わせたくないのであれば、自分でそう選択するしか方法はないでしょう?

ようは、自分の人生を本気で変える意志が自分にあるのか、という点。

ここが大事なのです。

だから、自分の人生で繰り返される障害において、なにか同じポイントが自分でつかめたのなら、それが自分の人生においてどんな課題を自分に課しているのだろうかがわかってくるはずだから、それをどう乗り越えるかを自分で考えていけばいいのです。

そういう意味では、それら障害から逃げてはいけないのです。

逃げてもいいんだけど、自分の影と一緒で自分の人生にいつまでもついてくるのだから、どこかの時点で自分で解決しなくてはいけないのですね。

もうそんな障害を自分の人生に迎え入れたくないから。

迎え入れたくないのなら。

だから、できればそれら自分の人生に起きてくる障害は、なんとか自分で乗り越えた方がいい。

それをここでみなさんに再度強く推奨させていただきます。

で、話は戻ると、「運命」です。

これは必ず、どんな人においても、ある。

それらは神、ではなく、自分でそう選んで生れて来たものだから。

だからこそ、自分の人生において繰り広げられているドラマに注目し、そこになんの目的があるのか、そこを正視し、できれば自分の人生を生きやすくした方がいいんじゃないですか?

という、自分の「運命」、ブループリントを自分の人生に探すことをおすすめする、今回はそんなブログとさせていただきます。

なんとなく、わかっていただけたろうか??

あまり、自信はないが、やはり、そろそろ約3000文字。自分のあたまのカラータイマーが鳴り始めてきたので、ここらで本日のブログは終了させていただきます(笑)

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今日もまた、皆さんにとって素敵な1日でありますように。

それでは、また、徒然なるままに。








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