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パーフェクトデイズとマイスモーランド

あぁ、スマホで入力か。。。ここ最近、記事を更新していないのは、楽天のワイファイがめちゃ繋がらず、いつもnoteの更新で使っていたクロームブックが使えないからだ。まぁ、いい。おかげさまで新しい施設にもだいぶ慣れてきて、ようやく、これを書いているのだが、最近、タイトルのように、2つの映画を観た。1つは「パーフェクトデイズ」。そして、今日観たのは、以前より観たいと思っていた「マイスモーランド」をスマホで観たのだ。「パーフェクトデイズ」はぼくの敬愛するヴィム・ヴェンダースが監督だったということと、「マイスモーランド」は、その音楽を昔、声をかけたことのある、ロットバルトバロンが手掛けているという理由で気になっていたのだ。「パーフェクトデイズ」の方は、評価は高いようなのだが、じつはしっくりこなかった。その理由は、たぶんだが、いまの自分とかけ離れた主人公の生活に共感を覚えなかった、というのは嘘で、なんだか、ヴィム・ヴェンダースにしては、お仕着せがましいなと思ってしまったからだ。こういうのっていいでしょう?みたいな。映画を見終わっていろんな人の評判とか読んではじめて知ったのだが、この映画の副タイトルが「こんな風に生きて行けたら」だ。ね?お仕着せがましいでしょ??それはこの作品のプロデューサーでもあるユニクロの御曹司の柳井さんだから言えることなのではと。誰が好き好んで人が汚したトイレを清掃しなきゃならないのさ。この映画の主人公である中年男性は毎日、近所の竹箒で掃除する音で目覚め、自分が寝ていた布団をたたみ、下の階の狭い台所で髭を整え、決まった持ち物を持ち、玄関を出、今日もいつもと変わらずいい日だなんて表情をしながらいつもの決まった缶コーヒーを買い、自宅アパート前の仕事用軽自動車に乗り、クルマのカセットに自分の好きな昔の曲をかけながら、都内のトイレ掃除に向かう。そして、仕事が終わり、決まったようにいつもの銭湯で躰を洗い、そして、いつものお気に入りの駅中の飲み屋のいつもの決まった場所で、またもや、お決まりのつまみと焼酎を飲み、帰宅し、気に入った本を眠くなるまで読む。こんなルーティンがずっと描かれている。彼の過去は最後まで明かさないが、どうやら、裕福な環境にあったようだ。この設定が嫌い。柳井さん、そのものじゃないの。ぼくも似たようなもんだが、どんだけ苦労したって上に這い上がれない人もいる、という事実を彼は知らない。ヴィム・ヴェンダースは今回頼まれたから監督したまでであって、この映画は先に柳井さんとかの企画が先にあったのだ。だからか、あまり、日本をロケーションできていないせいか、ヴィム・ヴェンダース独特の映像美も感じないし、終始、小津安二郎的なミニマルな生活が描かれるだけ。ぼくは昔、この主人公のような生活をしていた時期があって、それは肉の配達をするというものであった。毎日、夜中2時に起き、雨だろうが風だろうが、台風だろうが大雪だろうが、毎日決まった時間に決まった納品先に肉を届けていた。いつも決まったコンビニに寄り、朝飯と缶コーヒーを買い、それを車内で食べていた。そんな生活をコロナまで続けていたが、それもコロナで終焉した。っつー、生活をしていた身としては、なんだかなぁ、という感想だったのだ。そんな生活がしたければわざわざ「こんな風に生きて行けたら」なんて副タイトルまで付ける映画など作らず、そういう生活をすればいい。ただ、それだけの話である。これに対し「マイスモーランド」は違った。クルド人における日本政府の不寛容さというか、この映画は事実に基づいた映画だそうだが、法律的に縛られたクルド難民の日本での、非常に限られた生活が描かれている。普通に働くことさえ許されず、働くことができなければ、その家族も日本で生きていくことなどできない。こんな不自由さがあっていいものかと。主人公のクルド人の女の子は、恋愛さえも許されない。なんだ、この差は、と、思ってしまった次第。リアリティーが「パーフェクトデイズ」には、まったく感じられなかったのだ。まぁ、趣味の問題なのかも知れないが、ぼくは「マイスモーランド」を観て、何度も涙した。いい映画だった。この映画の主人公役をつとめた普段はモデル業をしている嵐莉菜さんの陰のある演技力に魅了されっぱなしであったが、この映画の監督はこの映画で素晴らしい仕事をしている。日本における移民問題や、それだけでなく、人が平等に生きる権利だったり、はたまた、家族愛であったり、ひとが生きる上において必要な様々なことを問いかけてくれている。なかなか凄い監督とお見受けした。とまぁ、こんな寸評を久々の記事に上げておく。スマホ入力で疲れたので、今日のところはこれにて👍

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