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濹東綺譚

「墨東綺譚」を再読した。
この「墨」という字は本来「さんずい」が付く「濹」という文字であるが、全ての環境で再現される文字ではないかも知れないので「墨」とさせていただく。

写真は吉原

ご存知の方も多いと思われるので本の詳細は省く。
舞台は昭和初期の東京、向島近辺であり、隅田川の東側である。
現在の東向島駅から「玉の井いろは通り」、そして浅草方面に向かうと「鳩の街商店街」という場所がある。
地名としての「玉の井」はすでにないが、ここはいわゆる「赤線」地帯であった場所であり、「鳩の街」もカフエーと呼ばれた「特飲街」の街であった。
「墨東綺譚」は玉の井が舞台とされている。

そこはもう玉の井の盛場を斜に貫く繁華な横町の半程で、ごたごた建て連った商店の間の路地口には「ぬけられます」とか「安全通路」とか「京成バス近道」とか、或は「オトメ街」或は「賑本通」とか書いた灯がついている。

登場人物の「お雪」が使う言葉が好い。

窓口を覗いた素見客が「よう、姉さん、御馳走さま。」
「一つあげよう。口をおあき。」
「青酸加里か。命が惜しいや。」
「文無しのくせに、聞いてあきれらァ。」
「何云てやんでい。溝ッ蚊女郎。」と捨てぜりふで行き過るのを此方も負けて居ず、
「へッ。芥溜野郎。」
「はははは。」と後から来る素見客がまた笑って通り過ぎた。

主人公の大江は雪に幻想を抱いており、雪は大江に現実を見ている。
故に雪は大江に「あなた、おかみさんにしてくれない」と言い、大江は雪に対して一変して教う可からざる懶婦となるか、然らざれば制御しがたい悍婦になってしまうことを恐れる。
大江は壮齢であると推察されるが、まるで中学生のような心持ちである。

当時、東京は関東大震災後の復興を遂げ、街並みが大きく変貌した時期であった。
そんな中、懐古趣味と言って良い大江は居心地の悪さを感じていたはずである。

主人は頭を綺麗に剃った小柄の老人。年は無論六十を越している。その顔立、物腰、言葉遣いから着物の着様に至るまで、東京の下町生粋の風俗を、そのまま、崩さずに残しているのが、わたくしの眼には稀覯の古書よりも寧ろ尊くまた懐かしく見える。震災のころまでは芝居や寄席の楽屋に行くと一人や二人、こういう江戸下町の年寄りに逢うことが出来た。──たとえば音羽屋の男衆の留爺やだの、高島屋の使っていた市蔵などという年寄達であるが、今はいずれもあの世へ行ってしまった。

と記している辺りにも、その片鱗を窺うことができる。
その大江には玉の井のラビリントに居場所を見つけ日参したのは、雪という象徴的な実存を除いても必然であったようにすら感じる。

だが時は流れる。
大江もそれをどうにか出来ると思い込むほどの症候群ではない。
それ故に雪を遠ざけ、幻想の中に仕舞い込む。
ずるいとする向きもおいでだろうが、これは悲恋の物語であろう。

他にもメタファを幾つか思いつくが、ここでは止めておこう。

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