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父のカレー

いつもは「今日こんなものを食った」で昼夜をまとめて書くのだけど、今日の昼に作った「インディアン・スパゲッティ」を見ていて、ふと亡き父を思い出していた。

ぼくの父親は平成二十九年の二月に亡くなった。八十七歳だったから一般的には普通か、あるいは長寿になるのかも知れない。
前年の暮れに母親が亡くなった。
母親は長期の入院の末、老衰といっていい亡くなり方だったから、ぼくも父も心構えはできていた気がする。
だが父の場合、ぼくは心構えなど微塵もなかった。

名古屋に一人で残している年老いた父のことは始終気にはしていた。
だからというわけではないが、一週間に一度電話をして話をした。
別に用があるわけではないし、男同士の電話だから長話をするわけでもない。元気かどうかを確認するだけだ。

二月の小春日和の月曜日。
いつもように九時くらいに電話をすると出なかった。
父は携帯を持っていない。
買い物に行ったり病院に行ったりすると電話に出ないこともあったから、さして気にしなかった。
ただ、その日はぼくに用があった。
一人でいるのも退屈だろうから、暖かくなったら東京にしばらく来るのはどうかと話すつもりだったのだ。
家人とも話をしていて了解はとっていたし、なんならそのままいてもいいと思っていた。

またかけたらいい。
そう思った。

その後昼前にかけたが、やはり出ない。
少し気になったので三十分ごとに電話をした。
やはり出ないのだ。
ぼくは嫌な予感しかなかった。
午後の仕事を放り出し、たまたま八王子インターの近くにいたので、そのまま車で名古屋に向かった。

家人にことの次第を話すと近所の人か警察に言ってみてはどうかと言う。
でもどちらも心許ない。
無事ならそれでいいが、何かあったのだとしたらどちらの選択も、ぼくは「嫌」だったのだ。

夕方には名古屋に着いた。
途中何度もかけたが、やはり出ない。
ぼくは半ば覚悟を決めた。
実家の玄関を開けて「父さん」と呼びかけた自分の声の虚ろな響きは今でもちゃんと覚えている。

ぼくは父をたったひとりで逝かせてしまったのだ。

救急車を呼んだり警察が来たり。
そのから数日は色々なことが一気に流れてきて、正直あまりちゃんと覚えてない。

父と電話をしていて、ちゃんと食えてるのかと聞いたらカレーを作っている最中だと言ったことがあった。
色んな野菜を刻んで煮込んで作るのだという。
「カレーはよく煮込むと旨いだろ?」
父はそう言った。
祖母を早くに亡くしているから父は母と結婚するまで家のことをよくやっていたと聞いた。
だから料理をすることは驚かなかったが、台所でカレーを作る父を想像して、なんだか泣きそうになった。
八十七の父親にひとりでカレーを作らせるべきじゃない。
理由はないがその時そう思った。
だから東京に呼ぼうとしたのだ。

それからぼくはカレーを作るたび父を思い出している。
肉類はあまり好きではなかったから、父の作るカレーはあっさりしたものだっただろう。
根気のいい人だからじゃがいもなんかは形がなくなっているかも知れない。
一度食ってみたかったな。
そんなふうに思う。

生きていれば九十五歳だ。

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