知能検査への警鐘を鳴らす1925年の論文
雑誌『心理研究』(心理学研究の前身)の1925年に刊行された記事に『米人知能十四才説その他に關する論爭』というタイトルのものがあります。今回は,この論文を読んで思ったことを書いてみたいと思います。
1920年代には,まだ平均と標準偏差に基づいて知能指数を推定するという,偏差知能指数(D. IQ)が開発されていません(あと十数年くらいでしょうか)。ですから,当時の知能指数と言えば,精神年齢と実年齢の比率から算出される数値だということになります。
精神年齢
さて,この論文は,1922年に「アメリカ人の平均精神年齢は,わずかに14歳にすぎない」と主張した論者がいたことからスタートしています。この「精神年齢14歳」というのは,何を指すのでしょうか。
そもそも「精神年齢(mental age)」というのは,知能検査用語なのです。パソコンの辞書を検索しても,次のような意味が出てきます。決して「なんとなく幼そう」とか「なんとなく年寄りそう」といった意味を表す言葉ではありません(もう,そういう意味でしか使わない人も多いと思うのですが……)。そして,精神年齢とは何かを明確に定義することもなかなか難しい問題です。
フランスの心理学者アルフレッド・ビネは,パリの小学生たちにいろいろな問いやパズルのような問題を行い,同じ年齢のなかで65%から75%くらいの子どもたちが解くことができる問題を集めていきました。そして,5歳の子どもたちが解くことができる問題を解くことができれば「精神年齢5歳」,10歳の子どもたち用の問題を解くことができれば「精神年齢10歳」と,問題の難易度を年齢に当てはめていきました。
これが,精神年齢です。
スタンフォード・ビネー検査
ビネは1911年に研究の道半ばで亡くなってしまいます。次にこの仕事を受け継いだのが,スタンフォード大学のターマンです。カリフォルニアの子どもたちに問題を実施していき,精神年齢を求める問題を精査していきます。
そして,精神年齢を実年齢で割り,100をかけることをします。これが知能指数(IQ)です。なお,論文のなかでは割り算の答えと言うことで「知能商」と書かれています。たしかに,IQは「Intelligence Quotient」の略ですので「知能指数」よりも「知能商」のほうが「Quotient」の訳語としては正しそうです。「指数」と訳してしまったことも,IQの一人歩きを許してきたように思えてきます。
陸軍式検査
IQを算出しない知能検査もあります。たとえば,第一次世界大戦中にアメリカ陸軍が採用した,陸軍式知能検査(アーミー・テスト)です。この検査では,結果がIQではなく得点で示されます。
もうひとつポイントがあります。ビネが作成した知能検査も,スタンフォード・ビネー検査も,「子ども向け」の知能検査です。せいぜい16歳くらいまでの人々を対象とする検査なのです。そうしないと,精神年齢を算出することができません。
その一方で,陸軍式の知能検査は徴兵に伴って検査を行いますので,「大人が対象」です。
では,この「子ども向けの知能検査」と「大人向けの知能検査」の結果を,どのように対応づけて考えていけばいいのか……これが,今回読んだ論文のなかで混乱のもととなっている問題ではないかと思いました。そして,当時の研究者たちも,もしかしたらこの解決策を思いついていなかったのだろうと思います。
その後……
その後,知能検査の世界で何が起きたかというと,成人を対象に検査を行い,知能指数(偏差知能指数; D. IQ)を算出することができる検査が開発されます。でもそれは,子どもを対象としたときの精神年齢と実年齢から算出する知能指数とは異なる値です。
これは,身長を例に考えてみればよくわかります。年齢の平均身長と実年齢,そして子どもの身長から「身長指数」を算出することを考えてみましょう。
子どもが小さいとき,「大きいね。◎歳くらいの身長だね」と言うことがあります。そして5歳の時に6歳の平均身長くらいの身長をもつ子どもは,5歳で6歳の身長ということで,身長指数は「120」になります。子どもが成長していくと,身長の伸びは緩やかになり,第二次性徴でもう一度大きく伸びることになります。しかしいずれにしても,この子どもが10歳の時に12歳の平均身長になればその段階でも,身長指数は「120」となります。
10代後半になると,それ以降はもう身長が伸びなくなっていきます。私自身,小学校の頃から大きかったのですが,身長の伸びは中学3年生までで止まってしまいました。多くの子どもたちの身長の伸びが止まると,もう「何歳の身長」と言うことができなくなっていきます。
大人になると,身長についてどのような言い方をするでしょうか。「大きいですね,40歳くらいの身長ですよね」とは言いません。大人になると,平均身長と比較して,人々のなかでどれくらい大きいかという観点で,身長を語るようになります。平均から標準偏差1つ上に位置すれば「身長指数いくつ」と表現するようになるのです。これが,偏差知能指数の考え方です。
この身長のたとえが,子どものときの知能指数と大人になってからの知能指数の捉え方の違いです。そして,そもそもの知能指数(IQ)と,偏差知能指数(D.IQ)の違いです。
では,子どもの知能指数と大人の知能指数を,同じものだと見なすことができるのでしょうか……?身長について考えても,なかなか難しい問題がそこにあるように思いますよね。この問題が,『米人知能十四才説その他に關する論爭』にも通じる問題点だと思ったのでした。私は15歳か16歳くらいから身長が伸びていないわけですから,「大人になっても16歳のときの身長と同じ」となるわけです。多くの人は,高校3年生くらいになるとほとんどそのあとは平均身長が伸びなくなっていくわけですから,そうなると「日本人の身長は17歳か18歳相当だ」ということになるわけです。
文献
『米人知能十四才説その他に關する論爭』は,こちらです。
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