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【考え事】炎上を避けるための、行間を埋める説明や配慮、お断り

noteやTwitterで文章を書いていると、「変なふうにとられたくない」とか「誤解を招きたくない」というような思いが頭をよぎる。炎上している現場に出くわすと、そりゃそうだという明らかな理由がある場合もあれば、言いがかりに近いのではと思える時も。そんなときは、書き込んだ人の心中を察してしまう。

変にとられないように、と考えると、エクスキューズになるようなくだりや、補足説明が増えてしまう。ネット社会の片隅であっても、近所迷惑になるボヤ騒ぎは起こしたくないし、でも伝えたいことはあって…という気持ちがある。 

突然だが、きょうは父親の話をしようと思う。

 決して自慢をするわけではないけれど、私は父親に誇りを持っている。

 父はわりと表にでたがる性格ということもあり、小学校をはじめとする学校での活動に積極的に協力していた(活動に協力しないことを否定するということではない。会社勤めではこうはいかないことも多いだろうし農家は時間の融通がききやすいという面もある、いや法人化してたらそうもいかないかもなあ…)。私はそんなでたがりな父を、正面からけなすことはなかったけれど、恥ずかしいと思うこともあった。「あ、◯◯のお父さんだ!」と指をさされることは多かったし、PTA役員としてのあいさつでもいちいち受けを狙ったことを言っていたので。とはいっても、役員になったからといってPTAの存在そのものを全肯定していたわけではなく、委員をお願いする立場として苦労もあったと聞いたけれど。

 しかし、私たちのために時間を割いて活動してくれたことに違いはない。我が子として優遇されたとは思わないけれど。それに、家業の農業を継いだことが、はじめは不本意だったけれどもこうやって私たち家族を養ってくれたわけだ(「家族」という枠組みで育つことが大切だということをアピールしているわけではない)。

 私たちきょうだい(性別を特定するものではない)が社会人(生まれたときから社会人だというお声もあると思うけれど。今は全員30代)になってからは自分の仕事を深める余裕(仕事が楽ちんだというわけではない。農家仲間に頼らなくてはやっていけないと聞いている)も出てきて、田んぼの水温管理を徹底するために高額な温度計を購入して(決してだまされて買わされたのではない)、うまい米作り(甘みや粘り気など味の感じ方は人それぞれだけれど)に精を出しているようだ。加齢とともに100%とはいかなくなる日もあるので「ようだ」としている。そもそもそこまでやることを農家全員に求めることをよしとしているわけではなくて、一つのやり方として、いいなあと思う。

 いつか聞いた「百姓(差別的意図はなく本人自らこう言っている)は米さえあれば食いっぱぐれないから」という言葉が印象的だ。米農家はもうかる、という話ではなく、土地と種もみさえあれば、最低限自分の家で食べる米は育てられ、生きることはできるという意味で私はとらえている。ほかの作物を否定しているわけでもなくて。

 父親に対して思うことも、私自身思う生き方と同じ。いつか死ぬ時に「いい人生だった」と思えるような生き方をしてほしい。親に対してえらそうな言い方だろうか、けれども、そう思っている。

カッコで後書きをするのがそもそも読みづらいのだけれど、こういう行間を埋めるような説明、どこまですればいいのだろうか(わざとやりすぎにしたけれど…いや、やりすぎというわけではない)。やり出したらキリがない。あきらめて、炎上するならすればいいと腹をくくるか。そんなに気合い入れてやるものなのか。あっ、炎上してしまう。

新聞社の社員なら、それを考えるのも仕事のうちだろうと言われそうだ。でも、出来事や言葉に対する世の中の捉え方は日々変わっていて、その中で、そう簡単には変われない自分がこう思うということを、世の中と照らし合わせて模索していくしかない。単なる考えすぎ、思い込みになるかもしれないし、いやまだ配慮が足りないということになるかもしれないし。さじ加減ひとつで、悪意なしに炎上することは十分ありうる。

まとまりが悪い文章で申し訳ないけれど、けっこう難しいことだと思うのだ。

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