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一期一会の旅  #旅のようなお出かけ  @2312



「あんた!まるで仕事するのが趣味みたいに楽しそうじゃねえかよ!」


80歳は超えているだろう・・・見るからに上品そうな男性は、文乃の顔を無遠慮に見つめ大きな歯を見せながら言った。


「ふふふ・・・そう見えますか?ありがとうございます。」


接客中に不必要な話をすることを、あまり歓迎しない上司が留守なので
文乃は人懐っこい笑顔でこたえた。


「犬が転げまわるような声出しやがってまったく・・・歌が好きだろ?」


白髪のじい様はさらに無遠慮に話しかける。こういうとき若い女の子達はたいそう嫌がるが文乃にとっては少し年上のじい様だ。どってことはない。

お喋りするのもなんら苦ではないし、タイム・イズ・マネー・・・お代金を頂戴できるのなら、何時間でも話し相手をすることだってできる。

それくらい年長者との会話には楽しさを感じていたし、何よりも安心することができた。


「わかりますか?歌大好きです。毎日歌ってますよ!」


間髪入れずに返事をするとじい様は言った。


「そうだろ?歌でも歌ってなきゃ、やってらんないんだろ?どうせ!」


図星だった。無意識に浮かべていた笑顔が、次の瞬間、意識していないと泣きそうな表情になっていくように感じた文乃は慌てて話題を変える。


「ふふふ!なに言ってるんですか?そんなことはありませんよ・・・」


辛うじて笑顔を作り直して応えた。


「いいよ!別に!顔見りゃさ、わかんだよ!こんなじい様にそんな笑顔向けるっていうことがさ、そういうことなんだよ!この歳になるとさ、お見通しなんだよ!でもな・・・歌もいいけどよ!アナウンサーがいいよ!犬が転げまわるようなその元気な声は・・・アナウンサー・・・やってみろよ!な!みんな元気でるぜ!歌よりアナウンサーな!」


そんな無駄話をしている間に、じい様が注文した品が袋にはいってカウンターに置かれた。


文乃はじい様から代金を受け取り、お釣を手渡すとふたたび人懐っこい笑顔で頭をさげる。じい様は手をひらひらさせながら店を後にした。


傍で見ていた若いパート仲間が冷やかすように話しかける。


「よくあんなじい様の話の相手できますね?しかも満面の笑顔で!私、ああいうがさつな人すごく苦手なんですよね・・・」


いわれたことには答えず、なんとなく適当にかわしながら思う。がさつか・・・確かに・・・がさつと言えばそうかもしれないな・・・とは思う文乃だった。


けれど、歳が歳だ。たとえ今日、いまここで元気にしているじい様だって、もしかしたら明日にはその命が絶えることだってある。それはじい様だけではない。


自分の身の回りにいる大切と思う人すべてが、もしも今日限りの命だとしたら・・・そう思うと、たとえどんなことであっても笑って受け流すことができるような気がしていた。

けれど・・・年寄りが自分より年少の人間に話しかけるというのは、よっぽどのことだ。

たいてい、どこにいるじい様もばあ様も、今までさんざん生きてきたんだ。不本意極まりない嫌な思いだって、自分よりもたくさん経験してきただろう。

だから、もうその歳になってつまらない気持ちにはなりたくないと思っている・・・それがたいていの年寄りの考え方だ。

自分と同年代の人間以外とは必要以上に口をきくことはない。それは、自分からわざわざ嫌な気分に飛び込む必要などない・・・そう思っているから。

だから、そういうじい様やばあ様から話しかけられるというのは、話をするに足る人間だと見込まれた・・・ということであって誇るべきことなのだ。自意識過剰の自己満足かもしれないが、文乃はそんな風に考えていた。


***


娘を育てながら朝から晩まで仕事をしてる文乃は、休みの日だといってもすることがてんこ盛り・・・外出するとしても電車に乗って映画を観にいったり、夕方早くにジャズバーでウィスキーを2,3杯飲みながら演奏を聴く程度だ。


けれど、その日常の中に、人にはわからない旅がたくさんあった。


バス停までの道のりは、その時の気分によって毎日、別のコースを歩いていた。同じコースを歩いていれば、それはだたの通勤風景だ。

けれど、日々、違った道を歩いて、違ったバス停からバスに乗る。そうすることで、道に咲く花、すれ違う犬や人、木々の葉や畑の作物が輝いて見えるから人間の感覚というのは不確かなものだ。


里芋の葉っぱの上で玉になる朝露さえ、2、3日前とは違った顔を見せてくれる。そしてこころが揺れるのだ。すぐにスマホをポケットから取り出して写真を撮る。


スマホだろうが、デジカメだろうが、フィルムカメラだろうが、何かを見つけてカメラを構えた瞬間、文乃のこころは大きく開き、そのものに対峙している。


それはその場所やその人やその物との一期一会のとき。こころが大きく開いた瞬間に文乃は居ながらにして、どこか遠くへ旅をしているような気持ちになっていた。


どこへも出かけない。バスに乗って毎日仕事へ向かう。ただそれだけでも、文乃にとっては一期一会の旅そのものだった。


もちろん、電車に乗って遠くへ行ったときは、たとえ日帰りだろうがりっぱな旅行だ。こころの中では小躍りして喜んでいる、安上がりな文乃だった。そんな感覚で日々を暮らすおめでたい文乃の宝物はきっと、旅でこころ揺れた時に撮りためたたくさんの思い出であることに間違いはないだろう。


【 完 】


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この記事はアセアンそよかぜさんのこちらの企画に参加しています。
アセアンそよかぜさん、素敵な企画ありがとうございました!


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◆コトバンクより◆
1 住んでいる所を離れて、よその土地を訪ねること。旅行。「かわいい子には旅をさせよ」
「日々―にして―を栖(すみか)とす」〈奥の細道〉
2 自宅を離れて臨時に他所にいること。




おしまい


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