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兄弟姉妹への生前贈与にモヤった話

ちょっと自分でも困惑している。

自分にこういう感情があるとは。

前回の記事でも書いたように、僕に子どもができたので、親からお祝いするという提案があった。

とてもありがたい提案だし、金額的には、出産関連費用で消えていく額なのだが、それでも足しにできるだけありがたいと思っていた。

でも、僕は思い出してしまった。

母が、僕の2人のきょうだいに毎年生前贈与していくという話をしていたこと。


きょうだいへの生前贈与


ちなみに僕には生前贈与はない。

理由としては主に2つ。

① 今後父から自社株を引き受けていく必要があるので、贈与税の非課税枠をそれで使うことになるため。

② 後継ぎということで、事業に関連する資産を引き継いでいくことから、そっちで受け取るから生前贈与はいらんよな、ということになったため

母からきょうだいに生前贈与したい、という話は僕に事前に相談があった。

そして、その時僕はいいと思う!と答えてその話はGOになった。

母の資産をどう分配するかは母が決めることだと思っているし、子どもへの資産移転が進むのは若ければ若いほど使い方の幅が広がるためいいと思ったからだ。

なので、生前贈与は、僕以外の人にしていく、ということで全然納得していたはずだった。

だけど、今回出産のお祝いをくれるという話をもらって、いきなり僕は生前贈与にモヤりだした。

母からの提案では、お祝いの金額は単年の生前贈与の金額と同じ額だった。
(生前贈与は数年間かけて完了させる予定である)

あれ?
なんでおれは出産費用で消えていく費用を今年だけもらって、まだ家庭もなく自分への支出しかないきょうだいへは毎年同じ額が渡されるんだ???

と思ってしまった。

てか、子どもがいないきょうだいに毎年それが渡されるなら、おれに子どもができたお祝いなんてお祝いでも何でもないやんけ!

きょうだいに10発ずつ渡す予定だった弾を1発だけ俺によこしただけやんけ!

と、モヤったので、それを母に伝えたところ、②の理由をごり押ししてくる。

あなたは後継ぎだから今後もらうことになるでしょ?と。

いや、それ本当か?

むしろ将来やばいからいろいろやらなきゃいけないって一番ジタバタしてるのおれだよね?

それは少しずつ形になっているけど、まだまだやらなきゃいけないことあるよね?まだまだ発展途上だよ?

そのおれの将来っていうのは、会社経営や不動産活用に関して、本当にやるべきことをやった結果初めて待っているものだよね?

逆にそれに関して協力する覚悟はあるのね?と問いたい。

だいぶまだまだやらなきゃいけないことあるし、”肉を切らせて骨を断つ”アクションだって必要になってくるぞ?

まさかそれらが見えてなくて、悠長なこと言ってるんじゃないよね?

将来の資産というのはいろいろなことをやった結果、待っているもので、確定のものじゃない。

ちなみに今の僕の給料は普通だ。

会社のことをファーストで考えているので、さあ預貯金しろ!というような役員報酬を自分に設定しているわけではない。

そんな状況で、子育てが待っている自分にお祝いとして渡される金額と同じ金額が、普通に自分の仕事だけして自分の生活の面倒だけ見ればいい人たちに、これから毎年渡される。

あれこれフェアじゃなくね???と超絶モヤった。

相続人の気持ちが分かった


人生ていうのはすべて自分の望み通りになっているらしい。

いやでもおれはこんなこと望んでないぞ。

望んでないからモヤモヤしているんだ。

でももし、この体験がプラスに働くとしたら何だろうかと考えてみた。

これが望んでいることなら、この体験から何らかのポジティブな成果があるはずだ。

すると、それが分かった。

あ、相続人の気持ちが分かったかも、と電撃が走った。

僕は、現在祖母の相続対策に関わっている。

すると、自分が直接的な相続人にならない相続に関して、どうしていくかを考えているわけなのだが、これまではよくある相続人の間の諍いに関して正直こう思っていた。

もらえるだけありがたいと思いなさいよ。
いい年した大人たちが「自分にもっと分け前をよこせ」なんてみっともないよ。
足るを知りなさいよ、と。

だけど、今回、自分がきょうだいへの生前贈与にモヤったことで理解した。

親からの贈与や相続の満足度は、相対的なもので決まるんだ、と。

いくらもらった、何をもらったではなく、きょうだい間でどういう分配がされ、それが自分にとってフェアだと感じるものなのか、ということが受け取る側の満足度にとても影響することを身をもって理解した。

結局金じゃないんだよね。

みんな自分へのリスペクトを感じたいんだと思う。
赤の他人からでもそうだけど、自分の親からだったらより一層そうなんだと思う。

それなのに、相続や贈与の分配の仕方を見て、自分が軽んじられてると思うと、それが苦しいんだと思う。

自分が今回その立場になって、初めて"争続"の本質を理解できた気がする。

結局きょうだいがいる人にとっては、きょうだいの中で自分が公平に扱われているのか、ってことがすごく重要なんだよね。

僕も全くその例外ではなかったということだ。

これらの事情を全く超越して気にしないくらいに大きい人間になれたらそれはすごいことだと思う。

大谷翔平さんだったらそんなこと気もならないのかもしれない。

でも、おれは全然そうじゃない。
そんなデキた人間でもなんでもない。

だから絶賛モヤっているわけだ。

あれ、おれ軽んじられてねーか?ババ引かされてねーか?と。

でも、この経験はおれに必要だったからやってきた。

どうして必要だったかというと、相続や贈与の受取人の気持ちをわかるためだ。
その際、円満に進めるために何が大事かを理解するためだ。

今後、祖母の相続を考える際に、この気づきは強烈に役に立つだろう。

相続人が公平だと感じられるように話を進めること。

一人一人に対してリスペクトを示すこと。

リスペクトが感じられる分配にすること。

これを忘れずに、祖母の相続対策を進めていきたいと思います。

人生は塞翁が馬。

これがあったから、と後に言えるように今後に生かしていきたい。

あ、そんなこと考えてたらもう生前贈与はどうでもよくなってきた(笑)

これから自分が経営をしていって会社を上向きにすることで、自分の取り分なんて後からいくらでも増やせる。

人にもらわずとも、自分のやったことの対価としてもらうお金が一番充実感がある。

大事なのは人から何をもらうかではなく、自分が何をできるか、人に何を与えられるか。

親の資産は全然他の人にくれてやってくださいな。

もうそんな気持ちですわ。

タイトルと結論が全然違うけど、今回はこれで占めたいと思いますw

それではまた。


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