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さまよえる30代

 私にとっての良い人生ってなんだろう。それを考えるために、まずはこれまでの人生を振り返ってみる。自己紹介も兼ねて。

※自己紹介のつもりで書いてない文章を使う、言い訳です。

 生活は厳しかったけど、家族には大事にされて育ったと思う。父と母の仲良い記憶はないけど、互いの悪口を私に言うことはなかったし、兄はいつも優しかった。お人形遊びも外遊びも好きだったけど、沢山の着せ替え衣装が欲しいとか、ミニ四駆を集めたいとか、コレクター気質は持ってなかった。
 小学校中学年あたりで、自分の家が裕福でないことは気付いていた。でも、鉛筆が買えないとか、服が買えないとか、友達とプリクラを撮りに行くとか、そういうことができないほどでは無かったから、そんなもんだと思っていた。同級生に「いつも同じ服着てる」などと言われるまでは、なんとも思っていなかった。洗濯してるし、何より気に入って着ていた。兄のお下がりの服や自転車も使っていたけど、使えれば問題なかったし、背が伸びると気に入って買った服も使えなくなるのが嫌だった。今で言うところの、コスパ重視派だったのかもしれない。
 その嗜好は今も変わっていない。今日着ているのは父方の祖母が亡き妹に編んでもらったというセーターだし、もう五年くらい使っているショルダーバッグも高級ブランドというわけでなく、リュックのブランドとして有名なものだ。流行りにはかなり疎いが、機能性があるもの、長く使えるもの、そして思い入れのあるものが好きだ。
 好きなものといえば、昔から小さいものが大好きだ。子どもの頃に欲しがったものは、記憶にある限りだとローラーブレードと、ゲームボーイカラー、それとシルバニアファミリー。持っていたのは大きくてベーシックなアレじゃなくて、『おかしの家』だった。チョコレートの扉、クリームの屋根、家具もキャンディの枕など…おとぎ話のままのそれはとにかく可愛くて、そこに暮らすのは愛らしいうさぎさんやくまさん。夢があって大好きだった。こればっかりは大人になった今、コレクション欲が出てしまうところではある。
 さて、時を進めて中学校生活はどうだったか。これも楽な生活ではなかったけれど、部活動もしていたし、二年生になると部内で購入が許されるエナメルバッグも買ってもらえた。
 それもちょっと珍しいやつで、通常は白地に、縁が一色の線で囲ってあって、真ん中に同じ色でブランドロゴがドンとプリントされているか、その逆でロゴが白抜きになっているかだったけれど、私は学校の誰かしらとその色が被るのが嫌で、色々探していた。結局購入を決めたのは、白地に縁も白で、真ん中のロゴマークが虹色になっているバッグだった。他のものよりほんの少し高い値段に設定されていたけれど、ここぞとばかりにねだってこれを手に入れた。「大事に使う」という約束通り、高校卒業まで五年間大事に使った。
 高校生になる頃には、既に両親は離婚していた。母は元々パート掛け持ちで頑張っていたけれど、それを機に正社員になって懸命に働いていた。父は自分のお店を畳み、あらゆる仕事をして養育費は出してくれていた。兄はアルバイトしていたし、私もアルバイトができる年齢になったから、当然のように働きながら学校生活を送った。普通の生活をするために、我が家全員が働いていた。
 それまで、勉強は頑張らなくてもそれなりにできる方だった。でも高校での理系科目は理解するのに時間が必要で、早々に諦めてしまった。進路は、早く社会人になれるし手に職がつくからと専門学校を考えたけど、今の生活を変えるには大学に行った方が良いと判断した。奨学金は高いけど、まともに就職できれば返済できない額ではないし、当時はとにかく現状を打破したくてたまらなかった。そのための投資だと母を説得した。幸い、父も母も私の進路に意見を言うことはなかったおかげで、無事に希望の大学に進学した。
 専攻は芸術学部写真学科。カメラマン志望の私は、〝日芸〟の後ろ盾を得られればどうにかなると思っていた。新聞社のカメラマンになれるとか、広告代理店の仕事に就けるとか。
 甘すぎる見通しに、危うく八百万円もかけるところだった。入学して早々、スタートラインが全然違う同級生の存在に気がついた。カメラに触れる機会が早かったとか、創作活動ができるだけの余裕があるとか、いわゆる機会格差みたいなものも感じたけれど、それ以上になんというか…コスパを考えるような世界ではないなと思った。いや、今にして思えば入学金や学費からしてそうなんだけど。 この頃も必死に、その居場所での『普通の生活』を送るために必死になって働いていた。最終的には睡眠時間2時間で、飲食店でのアルバイトと運送系の夜勤バイトをこなす日もあった。その上で、ほぼ寝ながら授業を受けて、適当なレポートや課題を提出し、サークル活動に勤しんでいた。東日本大震災があった翌年の夏に、ふと「なにやってんだ私」となった。夏休み中に就職活動をして、なんでも良いからカメラマンになれる仕事を見つけて、その夏のうちに退学した。
 その後、本来の希望だった報道系のカメラマンになるまでに五年くらい紆余曲折するのだけど、この時の決断は間違ってなかったと自分を褒めてあげたいといつも思っている。 実は入学した日、サークル勧誘のポスターが貼られている掲示板のところに印象的な文言があった。
「日芸は中退ほど、ビッグになる」という旨のものだった。
 確かに、調べてみるとその例は散見された。そのほとんどは在学中に仕事が取れるようになって辞めてしまったのだろうけど、なるほど仕事につながってさえしまえば、後はどうにかなるなと当時の私は解釈した。
 実際、日芸のネームバリューは中退でも十分通用した。もちろん特定の業界、業種だけではあったけれど、それが希望の世界なら何も問題はなかった。おかげで奨学金八百万円を全額かけずに職を得られたし、人並みの給料で、返済も早くから始められるようになった。少し時間はかかったけれど、希望の業界でも働くことができた。本当に英断だったと思う。
 一方で、夢を持ってその世界に入っても、実際には「こんなもんか」と思うことは古今東西よくあることだ。一生懸命それを変えようと試みて、多勢に無勢となることもまたよくあることで、私は今いる場所が変わらないなら、自分が変わる方が早いと、大学に通い直した。中退する時から、通い直しは頭にあった。それをするチャンスだなと思った。
 ある程度社会人として生活してからの学問は面白いものばかりだった。ずっと前から勉強しているはずの万葉集や英語の基礎ですら面白い。学友も職業、年齢、居住地がバラバラで、人の数だけ人生があることが身に染みて感じられるとても良い環境だった。
 奇しくも入学から一年後にコロナ禍になり、卒業するまでその調子だったので、通学や対面での学友とのコミュニケーションはほとんどなくなったが、インターネット上でのやり取りが増えたし、その分直接会いにくい人とも会う機会ができたりもした。
 そうした時間を過ごすうちに、情報技術をもっと知りたいと思うようになった。それと同時に、自己表現についても興味が高まった。なにせ画面上のやり取りが増えた分、なんだか『生きている』実感を持ちにくくなった。でも、画面上でそれを得られる人もいることは確かで、その違いは何か?と考えた時、自己像がはっきりしているか、そうでないかなんじゃないかと思った。その自己像があれば、表現はいくらも、どのような形でもできる。それこそ情報技術の発展で、いろんなことが実現可能になったからだ。
 ただし面白いのは、そのどちらもが常に変化するものだということで、ちょっと投稿しないだけで何かあったのかと心配されるほど流行ったSNSも、今は皆が更新せず放ったらかしだったり、異性から圧倒的に支持を受けていた地下アイドルが、数年後に恋愛トラブルなどでシングルマザーになり、同じ境遇の同性からの支持を厚くしたりする。逆に、廃れたSNSが「かえって良い」と回帰する人もいるし、ずっと一貫した自己像を培ってきた人にスポットライトが当たることもあるのが、今の情報社会だと思う。
 その点でいえば、私の自己像は今、消えている。カメラマンを本業としなくなって、その類の発信もしなくなり、苗字も変わって、まだたいした知識もない業種で在宅勤務をしていると、「私ってどんなんだっけ?」となってしまっている。そんなわけで今、これを書いている。
 そんなこんなで、再び子どもの頃に立ち返ってみる。長持ちなものが好き、小さいものが好き、流行は無頓着、機能的なものが好き。本当に欲しいものは我慢しない、決断力と実行力には長ける。…あとはなんだろう。
 好奇心は強い。曲がったことは嫌い。食べ物の雑学とか喋るのが好き。働くことは好きだけど、稼ぎにならない時間は嫌い。抜きんでた容姿はなく、欲しくはない。記憶力は良くないけど知識欲は強い。リアリストゆえに夢想家。出世欲はないけどお金は欲しい。生きていることを、誰かに承認はされたい。
 うーん、そんな私にとって『良い人生』ってなんだろう。とりあえず今の自分はSNS映えしないのは確かだろうな。でも、映えなきゃ人生じゃないってわけじゃないし、その意味では今日も良い人生の一部分なのかもしれない。こんな駄文を書いていられるくらいには無事だし、元気だから。
 今のところは、流行りかどうか、有名になれるかどうかとかはあんまり興味がなくて、無事に生きている今、やりたいことをやって、それに1人でも共感してくれる人がいるのか知りたいというのが一番先にある‥気がする。
 そんなわけで、noteでは特にジャンルや方法を絞らず色々やっていこうと思います。よろしくお願いします。
 

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