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本音と建て前?ダブルスタンダード?

noteでは、本音を書いている。
例えば、

これは、極端かもしれないと後で少し後悔した。
でも、一応社会人を長くやっているので、実際の仕事ではここまで言うはずもない。
この前も、他の施設の方と会議でお会いしたとき、「こういう子はこういうところに行った方がいいよね」的な話をした。選択権は保護者にある、と偉そうに書いたのに。

それでもよく考えると、そのときの会話も本音だ。建て前で合わせたわけじゃない。となると、なんだろう。

本音ってなんだ?

本音を言いすぎて失敗した経験もある。正論であれば否定されることなんかない、子どもたちのためになるのなら他の支援者に嫌われようが知ったことじゃない、そういうスタンスではダメだった。結局それじゃあやりたいことはできなかったし、チームワークは悪くなるだけだった。

本音を言わなくて失敗したこともあった。日本じゃなかったけど。自分の正直な気持ちを伝えたら、誤解が解けた。その時は、やっぱり本音は言った方がいいんだと思った。

一体、本音ってなんだ?

ダブルスタンダード

「ダブルスタンダード」という言葉がある。
意味を調べると、
・同じ事柄を二つの異なる基準で評価すること
・二重基準
とある。
わたしの「選択権は保護者にある」という考えを持っているのと、「こういう子はこういうところに行った方がいい」という考えを持っているのは、ダブルスタンダードになるのだろうか。

たぶんそれは理想と現実

こうやって書いているとなんだか頭が整理されてきた。
きっと、どこを選択しても同じ質のサービスを受けられるという条件の下で、「選択権は保護者にある」と考えているのだ。
現実には、サービスの質にかなりの差があるから、「こういう子はこういうところに行ったほうがいい」になるのだ。
ダブルスタンダードじゃないけど、なんだか自分勝手で偉そうな考え。どっちにしても、支援者としては失格だ。

初心に戻って、謙虚にならないと

noteで自分の中にあることを言葉にしていると、心の中にあるだけでは気づかなかったことに気づく。
わたしは、もっと謙虚にならないといけない。
そんな当たり前なことに、気づけてよかった。



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