私生活におけるスポーツの位置とその距離

はじめに、現在満36歳の私は10歳からラグビーをプレーし、生活の近いところにラグビーがありました。
記憶に残るW杯は99年ウェールズ大会(5か国共同開催)。
自分たちのやっているスポーツの国内最高峰が世界では全く歯が立たない情況は、正直つらかった。
そもそも、ワールドカップで勝ちを意識して観れた試合など、NZ大会のカナダ戦以降のようなものだ。
つまり、自分の現役時代には代表に今のような熱狂はなかった…
もちろん、レジェンドたちの功績があって今がある。
話は脇道にそれるが、昔はジムに行けば斉藤裕也選手がいたり、堀越正巳選手にパスを教えてもらったり、ずいぶん距離が近かった。
そういう意味で言うと、ラグビーもプロスポーツとしての礎を気づき始めたようにも思える。
わたしは、野球、サッカー、NBA、テニスのツアー、F1とスポーツの趣味がとっ散らかっているが、これだけのスポーツに目移りしている理由はただ一つ、毎日の生活が充実するからだ。例えば、今であれば火曜~日曜はDeNAの結果を気にしながら午前中は大谷という怪物の動向を追い、週末はラグビー。先日まではウィンブルドンで新星アルカラスの登場で盛り上がり、先週の平日は渡邊雄太のサンズの契約とドュラントとの再タッグに心躍らせ、週が明ければF1の結果を見てフェルスタッペンの強さを目の当たりにしながら、アロンソってまだやってんだとか思っている。
こんなに毎日が楽しいのは、テレビの向こうの超人たちのおかげである。
自分もラグビーをかじり、今でもゴルフ、野球、ラグビー、水泳と体を動かしている身としては、彼らの超人ぶりを理解しているつもりである。
勝ってうれしい。まさにこれが醍醐味。負けて悔しい。確かにこれも醍醐味かもしれない。ただ、彼らが日々、我々に与えてくれる活力を考えてほしい。分析はいいことだと思うし、私も漫然と試合を見ているよりは、あーだこーだ言いたいタイプだ。ただ、負けたフラストレーションを選手にぶつけるのはいかがなものか…今は恐ろしいもので、選手に届いてしまう。ヤジに対する矢野選手や四位洋文騎手のブチギレなどを思い出すとまだ趣を感じられるが、ツイッターなどに散見される選手批判はいただけない。
プロスポーツを享受する私たちは、ただひたすらに得られる幸福に満足していればいいではないか。
そんな思いから、2015、2019のワールドカップは日本代表を信じきれなかった私は、今回はテストマッチの結果に関わらず、とにかく勝てることを信じて手放しで応援しようと思う。この信じる力が、感動の源になり、万が一悲劇が待っていても、私たちは明日も会社に行くのだから、感動を与えてくれた時には感謝を…

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