shutterstock_699585925のサイズ変更

フェイクニュースに騙されるな後編

中編をまだ読んでいない人はコチラから

ーーーーーーーーーーーーーーー

事実と意見を区別する

仕事では「事実」と「解釈(意見)」を切り分けて聴き、切り分けて話せ
当たり前だと思われるかもしれないが、意外とできていない、いや多くの人ができていないのだ。そんなぁ、全然違うよ、と思われるだろうけど、では、それを聴くときにはどうやって聞けば事実と意見は区別できるのか、部下の報告を聴くとき、会議で同僚の話を聴くとき、上司から話を伺うとき、取引先のお客様からお話をお伺いするとき、どうすればいいのか? 

そもそも「事実」とはなんだろうか?

事実の定義は、本当にあったこと、誰にでも確かめられること、例えば、観察する、読む、聞く、触る、知るといった行為によって、なるほど、確かに事実だ、と分からなければそれは事実とは断じることができない。あぁ、これは私が認識している定義であって、意見だと思っていただいてもいい。これを前提に話を進める。

ただし「事実」が「正しい」とは限らないのだ。

確かめられるのは、そういう事実があったのかどうか、厳密に言えば、科学的な追試験や調査での再現性によって確認できる。その結果で「事実」が正しいか、間違いかが決まる。
 
 例えば、科学論文を例にとって恐縮だが、科学論文は発表しただけでは、それは事実と認定されにくい、あくまで自分の主張でしかないからだ、まぁたくさんのデータや考察はついているけど、主張と言っていい。しかし、その科学論文の主張に従って、誰かが追試験、再現性実験をした時に、同じ結果が出れば、そこで事実だと確認されるわけだ。メタアナリシスが可能な状況にまでなっていることが、論文の証拠としての価値が高まるわけだ。

 従って、論文が発表されたからと言って飛びつく科学者はいない、再現できなければ、それはたった一度だけの偶然に恵まれたチャンピオン・データだったのか、あるいは極めて特殊な技術が必要とされるか、大きな勘違いか、もしくは捏造だったか、ということになる。

記憶にも新しいと思うが、理化学研究所の研究者が、iPS細胞を超える人口幹細胞を作る技術を発表したが、ボコボコに叩かれてしまったのは、あの論文を元に同じ実験をしても世界中の誰も再現できなかったから、「事実ではない」とされてしまったのだ。
 

ノーベル賞の山中教授のiPS細胞に関する最初の論文も、最初は単なる論文の一つでしかなかったはずだ、突拍子もない結論に誰も信じられないと思ったはずだ。実際に学会での反応は半信半疑というより疑われた、信じてもらえなかった、と山中教授もインタビューでおっしゃっていた

NHKサイエンスゼロでの対談にて。 http://www.nhk.or.jp/zero/movie/intsp001_03.html

今までの常識に照らせば、荒唐無稽なお話でもはやSFといってもいいような論文だったのだが、しかし山中教授の論文にある通りに、4種類の遺伝子を細胞に導入すると、分化した細胞は未分化細胞には戻らないという定説を覆して、リプログラミングが起きて、幹細胞になることが再現されてしまい、ついに事実として確認されてしまったのだ。
 
 もうちょっと身近な例でいくと、一時期流行ったメントスをコーラのボトルに放り込むと泡が噴出して、大変なことになるというあれ。YouTUBEなどでは動画を見れたが、あれも疑おうと思えばCGかも?って思えないこともない。でも、あれならばiPS細胞と違って自分でも試せるから、やって見ればコーラでずぶ濡れになりながらも「事実」だと確認できる。そういうことなのだ。
 
 ただし、その研究者がノーベル賞をとっていようが、一介の科学者であろうとも、そんなことには関係なく、科学論文一つで何かが「判明する」ことは決してなく、ニュースで騒ぐべきようなことではなく、本来は膨大な検証実験の末に正しいか間違いかがようやく判明するのだ。時間はかかるし、事実と確認される論文の方が少ないといって良い。​

じゃ、仕事の場面で、そういうことってどれくらいあるのか? いや、たくさんある。

​ 例えば、売り上げの分析結果なども、グラフだけであれば「事実」として確認できる。そこに「今月は、風評被害によって売り上げ25%ダウン、しばらくは影響が続く見込みで、年間売り上げ目標未達は避けられない」という記述があったとしよう。

これは事実なのか?解釈なのか?
あるいはケアレスミスの計算間違いなのか?←よくある

本当に風評被害があったのか、あるいは売り上げダウンの言い訳として、適当に書いただけなのか? 
証拠はあるのか?
新聞に書いてある?
信じていいのか、それ?
営業がそう言っている?
それを信じたのか、お前は?

そもそも、どんな風評なのか? 事実か、誤解か、悪意のあるデマか? 誰が言っているんだ?
 
仮に風評があったとして、どうしてその影響で売り上げが下がったと言えるのか?その証拠は、因果関係は証明できるのか?

しばらくは影響が続くとは、どうしてそう言えるのか、何を根拠にしているのか?

年間売り上げ目標未達は避けられない、とは誰の弁なのか?

そうなのだ、そういうことなのだ。会社の中では当たり前のように交わされる会話も、きっちり事実か、解釈か、分けずに鵜呑みにすると経営判断を誤る。基本中の基本だが、この基本が守られていないことは多い。

事実の書き方は『〜だ』『である』『だった』で表現されるべきだ。
また、同様に読むときも『〜だ』『である』『だった』が事実となるわけだ。

だから全部が嘘だと思って読むとちょうどいい。最終的に『事実』だと検証できるのは2割以下くらいか?←これも意見でしかない。 

どうやって話せば、何を書けば区別できるのか?

その前に「意見」の定義をはっきりさせておこう。それは自分の「考え」であり「解釈」であり、自分のもつ尺度や、判断基準に従った極めて主観的に「認識・判断・理解」したことで、正しいか間違いかは、本人も含めて他人には容易には決められない。

 ここでややこしいのは、本人が「意見」だと認識して話す場合と、勘違いして「意見」を事実だと思って話す場合、これには自己欺瞞〜そうであってほしいという願い〜の場合が含まれるからややこしいし、あたかも意見を事実のような語る場合もあって、話す人が「これはあくまで意見ですよ」と但し書きをしてくれるか、もしくは意見の書き方として、
 
『判明した』
『考えた』
『評価した』
『思う』
『言える』
『べきだ』
『理解する』

 
と、読むときもそう書いてあるかどうかで区別するしかないし、本人が目の前にいれば、
「それは事実なの?それともあなたの意見なのですか?」と問えばいいだけなのだ。

 真偽を問うというよりも、事実か意見かを問いただすだけではなく、
「その事実はどうやって確認したのか、できるのか?」と聴きだすことも大切だ。具体的な方法やデータなどの証拠も確認できればなお良いわけだ。

大切なのは騙されないための『読み解くリテラシー』だ。

 こんなことは小学校で教わったから知っているよという方が多いかもしれないが、知っていることと、理解していることと、実際にそれを行動レベルや、思考レベルにまで実際に体現できているかというと別なのだ。スキーの滑り方は知っているが、滑れるかどうか、包丁の使い方を知っていても、うまく使えるか、そう知識とスキルは別物だ。
 
騙されないためにも、事実と意見を区別するためには、知っているだけじゃなくスキルにまでしておかないと、立ち行かない。
 
もし、事実かどうか判別できないのであれば、黒とも白とも言えないのであれば、疑わしきは信じない、ことだ。
いったい、それは
事実なのか?
情報なのか?
意見なのか?
推察なのか?
想像なのか?
伝聞なのか?
質問なのか?

 
区別して情報の海を泳がないと、騙される被害者になるだけで済めば良いけれど、ほんのワンクリックだけで加害者に堕ちてしまうのだ。

ワンクリックでフェイクニュースをつくれるし拡散できる

明日からどうすればいいのか?

 私は、こうしたらいいと思うよ←
■被害者になっても、加害者にはならない、人様に迷惑だけはかけない、と誓う
■何でもかんでも「いいね!」しない
■安易にシェアもしない
■どこかの記事を引用して「これはひどい」と記事を書くスタイルは、そろそろ辞めたほうが良い。経験者じゃない人が、知らぬまま語っても誤解のスパイラルを拡げるだけ。
■事実か、意見かを区別する。「らしい」「だそうだ」「と聞いた」「と思う」「信じる」という語尾をチェックして、分からなければ本人へ確認するか、確認できなければ、信じないでおくことが無難だ。
■今回は触れなかったが、時間はかかるが「本質を見極めるチカラ」をつけること。

つまり
正しいことを、正しい方法ですることで、正しい人に、正しい評価と利益と信頼と尊敬がもたらされる。

 私だって、フェイクニュースを見分ける力があるわけじゃないし、きっとこれから、ますます巧妙になって来るだろうし、意図的に騙そうとするおおがかりな詐欺であれば、もはや太刀打ちはできない。このブログだって、多くの間違いや勘違いや誤解が含まれていると思う。

 自分の発言が、発信がフェイクニュースになる可能性を理解して、生きていくのだ。これは、誰かの投稿やニュースを引用するかどうかにかかわらず、自分が発信する責任を考えれば良いだけで、そのニュースが本物かどうかではないのだ。

間違うことだってあるさ
間違えたら
間違いを真摯に受け入れて
間違いを正して
間違いから学び
間違いを謝るしかないのだ

おしまい

今回は3部作で長かったけど、こういうこと(どういうこと?)に興味がある人は、「学びの本質」グループをのぞいてみるといいかも。


この記事を読んで、支援したいなと思っていただいたみなさま、このブログは自分のヒラメキの備忘録みたいなものですから、金銭的な支援よりは、いいねやスキ♥️ボタンを押したり、SNSでシェアいただいたり、フォローしてもらえた方がはるかに嬉しいのです。 是非リアクションをお願いしますね♪