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若者の政権支持の背景にある現状肯定は「あきらめ」から生じているのではという話。

「若年層ほど内閣支持率が高い」という毎日新聞の記事が少し話題となっていた。

内閣支持率は若い世代ほど高く、年齢が上がるにつれて減少。菅義偉首相による日本学術会議の会員候補の任命拒否は「問題とは思わない」との回答が若年層ほど高かった。米大統領選では、若者ほどトランプ大統領が当選した方が日本にとって好ましいと答えた。

〔出典〕日本は若者ほど「政権支持」「トランプ支持」 世論調査で見る現状維持志向(毎日新聞)

この記事の元となった調査結果はこちらで無料で読める。記事のタイトルを見たときには割と常識的な結果だと思ったが、今回の調査結果を細かく見ると、非常に興味深い状況になっていることに気づいた。それは、あまりにも極端な年齢による支持率の差である。

以下の画像にも示されているように、11月調査での18歳から29歳の層の菅内閣の支持率は80%。前回より13ポイントも上がっている。一方で、40歳以上の支持率は概して50%程度である。70歳以上の層はわずかに過半数を割って48%であった。そして、18~29歳と70歳以上の間には32ポイントもの差が存在するのである。

〔画像〕11月7日実施 全国世論調査の分析と結果(社会調査研究センター)https://ssrc.jp/blog_articles/20201107.html

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自民党、ひいては現在の菅政権が一定の割合で支持されているということには特に驚かない。今回の調査結果が不思議なところは「30歳未満の世代の支持率があまりにも高い」こと、そして前回の調査から若年層の支持率のみが他の年齢層の流れと逆行したことである。その結果、若年層が政権支持率を「強力に押し上げる層」となっているのだ。これは2ヶ月前の状況とまるで異なっている。

社会調査研究センター代表の松本正生氏による分析では、結果の解釈について多様な可能性を考慮しながらも、「現状肯定・受動的態度」という態度のあらわれであるとこの状況を説明する。この解釈が妥当か、すなわち菅政権の支持の強さが本当に「現状肯定」の意識に支えられているのかについては今後の検討が待たれる。

が、せっかくの興味深い状況なので、自分なりにも「現状肯定」意識について考察してみたい。

自民党支持につながる「宿命主義」

ところで、菅政権を支持する理由についての実証研究はさすがに行われていない(はずだ)が、近年の自民党支持の背景については学術的な立場からの分析がある。その一つが、『分断社会と若者の今』(大阪大学出版会)という本に掲載された社会学者の松谷満による分析「若者はなぜ自民党を支持するのか」(松谷, 2019)である。ここではジャーナリストの石戸諭がその研究を紹介した記事を引用する。

結論から言えば、若者の自民党支持は、壮年層と比べて下げ止まっている。データからは高学歴で正社員、特に大企業のホワイトカラー層で支持が強まっていることが観察できた。

研究者が背景にあると考えているのは社会意識だ。若者の自民党支持はイデオロギーとは結びついていない。保守政党と相性が良い伝統主義、権威主義的な意識は弱いからだ。関連していると考えられるのは3つ。物質主義、新自由主義、宿命主義だ。

〔出典〕なぜ若者は自民党を支持するのか? キーワードは「努力しても無駄」な宿命型社会(石戸 諭)※太字は筆者による。

ここで、最後に取り上げられている「宿命主義」に注目したい。宿命主義とは、石戸の言葉を借りれば「いくら努力しても報われず、あらかじめ家庭環境等によって人生は決められている」という価値観のことである。松谷(2019)で分析された調査(参考)の中では「本人の社会的地位は、家庭の豊かさや親の社会的地位で決まっている」という質問で測定されている。

石戸は取り上げていないが、この宿命主義について、松谷(2019)の知見には非常に興味深い点がある。まず、宿命主義が高まっているのは若年層〔注:20~30代〕に特徴的なことではなく、壮年層〔注:40~50代〕においてもみられる傾向である。しかし、この宿命主義による自民党支持への影響はまったく逆なのである。すなわち、若年層では宿命主義が高いほど自民党を支持する傾向がみられたが、壮年層では宿命主義が高いほど自民党を支持しない傾向がみられている。

石戸も紹介するように、若年層の自民党支持に影響する要因は、他にも「新自由主義」や「物質主義」がある。これらの変数は壮年層においても自民党の支持をポジティブに規定する要因の一つとなっている。すなわち、宿命主義という変数のみが若年層と壮年層での影響にギャップ(反転)がある変数と言える。

あくまでも仮説には過ぎないが、最初に紹介した世論調査において、若年層のみで異様に支持率が高まったことと、壮年層以上での支持率の低下を考えれば、この宿命主義という価値観の影響が大きいと予想できるように思う。

宿命主義から期待感の低さ、そして現状肯定へ

若年層の宿命主義について分析したものに、土井隆義の『「宿命」を生きる若者たち』(岩波書店)がある。土井(2019)は、現在の日本社会が成長期を終え、成熟期(高原期)へと移行し、その時代変化の中で「宿命論的な人生観」が広がってきたこと、またそうした中で、特に若年層においては「最初から未来に期待していない(できないのではなく)」という心性の高まりや、それに伴う幸福度(あるいは生活満足度)の高まりなどがもたらされてきたことを論じている。

そうした宿命的な価値観の高まる社会の中で、若年層においては格差が拡大し、厳しい生活を強いられるという状況にも拘わらず、幸福度や満足感が高いという反転現象が起こっているのだという。すなわち、あまり高い期待を持たないことで(苦しさがあったとしても)”不幸とは思わずに”生きているのである。

調査会社のインテージリサーチによる調査で「若者が期待を持てない社会が令和時代の課題では」という指摘もあった。

一方、「これからの30年(令和時代)に期待することは」という質問には、50%が「特に期待することがない」「分からない」「30年後は生きていない」などと、回答無しという結果となった。特に10代~20代男性や10代女性の6割弱が無回答となっており、若年層が特に令和の新時代への期待をあまり持てないでいる状況が浮き彫りになった。

〔出典〕次の令和30年、半数の人が「特に期待することはない」と回答 若者ほどドライ?(ITmedia ビジネスオンライン)

また、宿命主義は「未来への期待の低さ」と深く関わるだけでなく、将来のために努力するよりも今現在を楽しむことを重視する志向性、すなわち現在志向のマインドとも関わっている。

この現在志向と政治的な意識の関係性について、先ほども取り上げた『分断社会と若者の今』の中の、狭間諒多朗による分析「現在志向からとらえる現代の若者」(狭間, 2019)にて分析されている。少し確認しておきたい。

狭間(2019)は「政治委任意識」(政治のことはやりたい人に任せておけばよい)と「格差肯定意識」(今後、日本で格差が広がっても構わない)という意識に現在志向が及ぼす影響を分析している。

分析の結果、現在志向は「政治委任意識」と「格差肯定意識」をいずれも強めていることが示された。すなわち、現在志向が高いほど、政治をやりたい人に任せておけばよいと考え、格差を是正しようという動機が弱いのである。

そして、ここが最も悩ましい問題と言えるだろうが、「学歴の低い若者ほど現在志向が強いために政治を他人に任せ、格差を肯定するという因果経路がある」(狭間, 2019, 48)傾向もみられるのだという。すなわち、一般的に見て生活により苦しんでいるはずの層が、より声をあげようとしないという状況があるというのだ。

昨年、「安倍政権支持の空気」を取り上げた朝日新聞の一連の記事もこうした観点から読み直すと非常に興味深い声が多い。

例えば、無職男性(33)の「国に責任ですか。そういう考え方もあるんですね」、アルバイト男性(31)の「世の中にあれこれ言う前に自分を鍛えなきゃ」、そして、記事タイトルにもなっている「僕が生きていけているので。」

苦しくても自分の力で解決しようとする。政治に頼ろうとはしない。こうした心性もまた、狭間(2019)の分析と重なるように思える。そして、似たような声はこの新型コロナ禍でも少なからず存在するのではないだろうか。

また、宿命主義と関わる「未来への期待感の低さ」には、単純に自らの人生への期待感の低さだけでなく、政治機構やこの社会の未来への期待感の低さも含まれるのではないかと思う。

例えば、言論NPOによる日本の民主主義に関する調査では、「政治家を自分たちの代表とは思わない、政党や政治家に課題解決を期待できないとの声が多く、特に若い層にその傾向が強い」ことが指摘されている。

こうした「政治に期待できない」という回答が若者で多い中で、自民党や菅政権が支持される(不支持が少ない)理由もやはり「宿命」的なものになっている可能性が考えられる。

すなわち、そもそも「政治」というものに最初からあまり期待していないからこそ、実際に行われている菅政権や自民党の政策に不満を抱きにくく、その結果として安定した高い支持率となるのではないだろうか。

以上が、この現状についての私なりの考察である。だが、もっとも大切な問題をまだ解決していない。なぜ、今回の世論調査で「若年層のみにおいて支持率が高まったのか」という問題である。

これについては、同調査の前回(9月)の後から11月調査までの間に「宿命主義」的な感覚を一時的に高める社会的な要因(政策や変動)があったのではないかという予想を立てることはできる。(あるいは、宿命主義の"影響力"を高めた要因が存在した可能性もあるだろう。)

これを踏まえて、宿命主義を高めた要因とは何だろうか......と考察したいのだが、筆者は諸事情あってこの2ヶ月ほど政治や社会のニュースと距離をとっていたため、明確に「宿命主義」を高めていた要因について指摘することができない。

ただ、例えば、コロナ禍での苦しい生活を、宿命的に「諦めて受け入れる」ために、期待水準をより下げるという形で現状に適応し、感染者が比較的落ち着き、かつての生活を取り戻せたというこの秋(9月から10月)の経験が政治への高い評価につながった可能性は挙げられるかもしれない。

この点については今後の世論調査の動向を見つつ、今後の課題としたい。もしも誰か他に検討してくださる方がいたら幸いである。

おわりに

最初の記事について、Twitterを見ている限りでは、政権支持派らしき人たちの「若者はちゃんと正しい情報を見て判断している」といった見解が最も多かった印象がある。ただ、私個人としてはこうした支持層の方々が期待するような「積極的な」支持はあまり高まっていないと見ている。

むしろ、本稿で示したのは、若年層における菅政権や自民党への "消極的な支持" の高まり、言い換えれば「政治があきらめられており、自分の生活や政治への期待度が低く、不満を感じにくいので、菅政権は支持されている」というやや逆説的な状況が生じている可能性である。

こうした仮説が正しいかは分からないが、正しかったとして、もう少し言及しておきたい点がある。

最初の世論調査に関して、関連するツイートを見ている中で、こんなツイートが目にとまった。Business Insider Japan の記者である竹下郁子さんの意見である。

「『現状維持』志向って、いま足を踏まれている人たちへの想像力がなさすぎてヤバイ。」
「現状維持とか全く理解出来ない。他人の痛みに鈍感で自分にも甘い、怠惰なだけ」

政権不支持派であり、社会問題とも向き合ってきた竹下さんらしい真っ当な意見である。「現状維持」を志向する心性は、想像力がなく、他人の痛みに鈍感で、自分に甘く、怠惰なものかもしれない。確かにそう思う面はある。

実際、土井(2019)も宿命主義の高まりによる「活気と意欲に乏しい若者」の増加を懸念し、「宿命論的人間観」を認識論的誤謬の一つと位置づけて、そこからの変革について考察している。筆者自身も「現状維持」を志向する心性が必ずしも良いとは考えていない。

だが、そこで責められるべきは本当に「現状維持」を志向する者たちなのだろうか。宿命主義的な価値観は、成長期を終えて成熟期(高原期)へと移行してきた社会の影響を受けて強まった価値観である。まずもって、現在志向はそうした社会的な背景の中で育ってきたものであり、個人だけの問題に還元されるものではない。

また、現在志向を持った若者の多くは非大卒の層であり、この格差社会の中でいわば「足を踏まれている人たち」もかなり含まれるだろう。彼らに対して「いま足を踏まれている人たちへの想像力がなさすぎてヤバイ」ということを、自分は口が裂けても言えない。むしろ、彼らの中には「他者を想像する余裕がないほど必死に今を生きている」存在も少なからずいるのではなかろうか。

若者たちの現状維持の心性は、単なる「知識の欠如」でも、単なる「想像力の欠如」でもない。むしろ、その本質は「期待の欠如」にあるのではないか。そんな視点こそが必要だと思う。

なぜ、若者は自民党を、ひいては菅政権を支持するのか。そこにあるのは本当に「積極的な」支持なのか。本稿ではこういった問いに向き合い、消極的な支持の可能性を示した。しかし、いま述べたように、政権支持派も不支持派も、その支持は「積極的」という前提があり、どちらも「彼らに寄り添っていない」ように思える。

私には、高い期待を持つことをあきらめ、政治への期待も持たず、「with コロナ」の生活の苦しさをあきらめ、自力で可能な範囲の中のみで楽しく生きようとする、そんな心性が少なからず広がっているように思える。

だが、そのように若者たちが考えるこの社会は、本当の意味で"幸せな"社会と言えるのだろうか。

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最後に、ザ・ブロードサイド・フォーの「若者たち」(1966)という曲を紹介する。この曲がヒットした高度成長期の時代精神がはっきりと歌われた作品。だが、現代の「若者たち」と明らかに大きなギャップがある。

本稿で取り上げた内容をこうした過去の精神との対比の中でとらえると、こんな風にも考えることができるだろう。

「君の行く道は 希望へと続く」と歌った頃の"若者たち"はちょうど現在の70代以上の世代である。先に紹介した政権支持率の32ポイントのギャップは、まさにこの歌のような価値観の有無というギャップなのではないか。そんな風に思う。

君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで

君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる

〔出典〕若者たち(作詞:藤田 敏雄)より抜粋

★主な参考文献
・吉川 徹・狭間 諒多朗(編)(2019)『分断社会と若者の今』 大阪大学出版会 http://www.osaka-up.or.jp/books/ISBN978-4-87259-679-3.html

・土井 隆義(2019)『「宿命」を生きる若者たち』 岩波ブックレット
https://www.iwanami.co.jp/book/b454598.html

※Webの記事については省略しました。

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