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かさぶたカサカサお受験記(1)埼玉漫画事変と死のロングウォーク

小春日和の気持ちよい10月の午後。
厚子は仕事の合間をぬって「お受験 辞退届」「小学校受験 入学辞退 方法」「合格 辞退 例文」というキーワードでひたすら検索をしまくっていた。

終わらない仕事、全く仕上がらない息子、毎晩帰宅しない夫(定期)を抱え、どうみても間に合っていない小学校受験準備の中、間に合っていないからこそ「このままだとマジで東京考査にたどり着く前に朽ちる。今どこかしらを受験したところで不合格は確実不可避、しかし母の心を鍛え(主に不合格を受け止める強い気持ち)息子の経験を積むためにいくしなかい。」と終戦末期の特攻隊のごとくノー準備ノー装備、満身創痍で挑んだ埼玉校でまさかの合格をいただいてしまったのだ。


事前に行われた親子面接で、校長先生の「朝起きて1番最初にすることは何ですか?」の質問に

「お父さんとお母さんはグースカ寝ています!僕が1番最初に起きてYouTubeでマインクラフトとかパジャマスクを見てますげへへ」

*原文ママ

と満面の笑顔で答えた息子を間に挟みながら、凍り付いた笑顔を崩さなかったのは我々夫婦がサラリーマンとして幾多の困難を乗り越えてきた経験からだろうか。


面接は大得意、何を聞かれても必ず答えるのはぼっちゃんの強さであり武器ですよ!とお教室の先生に太鼓判を押され、差をつけるならこれしかないと向かった面接での大失態。1年たった今でも息子のセリフを1文字1句忘れず覚えていることこそ、その衝撃と絶望が未だ昨日のことのように記憶のふちにこびりついていることの表れだ。

終わった…試合開始前から終わった。これが世に言うZETSUBOUか。

「よりによってグースカって!グースカって言葉どこで覚えたんだよ!?」とピントのずれまくった説教をはじめる夫。直前に蚊に刺されたことで延々と膝裏をかきむしる息子(「こういうところをかくと気持ちいんだよね~」と夫のことはほぼ無視)。ざわわざわわ、揺れるサトウキビ畑のごとく放心しきった母。


地球に隕石が落ちてきて世界が滅亡するなら今しかない。家族3人がそろっている今この瞬間、いっそひと思いにやってくれ。
来世では湖の端に控えめに咲くエーデルワイスになりたい…

そう願いながら、遠く埼玉の空を眺めていた。

行きしなの公園で見つけた野生クワガタ

そして考査当日。もうすでに諦めきっているかさぶた家には活気のカの字もなければ生気のセの字もない。基本的に死んだ魚の目をしている大人と、ちょっと小腹がすいたんだよね~とおにぎりを3個も平らげた息子。片道1時間半の電車内はさながら晩秋の紅葉をめでる観光列車である。

ひとり旅行気分の息子よ、大変残念なお知らせだからお知らせはしないけれど、君の今日の不合格は確実なんだ。だから、お願いだからせめて周りのお友達に迷惑をかけないで。輪を乱さないで…と願うしかできなかった。

子供たちが各会場に吸い込まれ、待機場所で待つことになった厚子。左横ではノートPCで英文メールを書くお母さん。右横には全編フランス語でつづられたペーパーブックを黙々と読み込むお母さん。

そうだ、ここは小学校受験の会場なのだ、そして私立小学校に進むということはこういった立派なお母さん方と肩を並べて6年間を過ごすということだ。そもそも身の丈に合っていなかった挑戦である。夫譲りのなんちゃって関西弁と東北弁のバイリンガルである厚子の居場所など、どこにもなかったのだ。

諦めと受容、心を整えるために費やした待機時間。すごすごとお手洗いに向かう途中あるお父さんの手元が目に入った。

ここで厚子は信じられない光景を目撃する。

(お、お父さんがスマホで呪術廻戦を…読んでいる!!!??)

私立小学校の受験会場である、親の待機場所である。
小学校受験とスマホで呪術廻戦。こんなにもミスマッチな組み合わせが他にあるだろうか。キュウリとわかめが出会って酢の物として数世紀以上日本の食卓を彩った以来の夢のコラボレーションである。その光景は、私のような一般人の想像の枠をはるかに超えており、情報処理が追い付かない。


よりにもよって、なぜ呪術廻戦。そして数多の閲覧手法がある中でスマホ。会場でスマホの電源を入れることさえNGと教わってきた我がtwitterの叡智は一体どこへいったのか。ちょっとtwitterの皆さん聞いてください!ここにスマホの電源を入れている人がいます!電源を入れているどころか漫画を読んでいます!読んでいるタイトルは呪術廻戦です!!!多分渋谷事変あたり!!!!

厚子は絶対チクらないけれど、奥様にばれたら向こう半年口をきいてもらえない事件である。渋谷事変どころか埼玉漫画事変である。もうさいたま新都心も崩壊だ。しかしそれを何の疑問も持たず堂々とやってのける漢、お父さん。

瞬間、我が息子がこの御人のご子息ご息女となんとしてでも同じグループでないように祈った。勝てるはずがない。圧倒的自由を得た人間に勝てる現代人はいない。このただっぴろい会場で、私立小学校の世界において、あのお父さんはまさに無敵の人である。

英語、フランス語、呪術廻戦ー。やはり私立小学校は魔窟である。そう思った瞬間、考査終了のアナウンスが流れた。

子供たちの待機場所である教室に我が子を迎えに行くと、息子の机の上にだけぐっちゃぐっちゃに丸められた布の塊が乗っていた。
他のお子さんの机の上には几帳面にたたまれたゼッケンがおかれているに、どうしてうちの子の机の上にだけ布の塊が乗っているのかな?

ゼッケンをたたむというその発想自体を持たない息子。1年半お教室に通った息子。お洋服のおたたみ、風呂敷、リボン結び。すべてマスターしていたはずの私の愛する息子は、周りのお友達が学校からお借りしたお道具であるゼッケンをきっちりたたんでいるその間何もせずただ無表情で水筒のストラップを指でくるくると丸める作業に没頭していた。

私はどえらい子供を産み育ててしまった。

こんなに見事な敗戦が果たして小学校受験界隈に存在するのであろうか。息子の一挙手一投足にさすがのお母さんももう脱帽である。こんなにもはっきりと「不合格」を確信したシーンは、後にも先にもこの埼玉校だけであった。

それから3日後。
見なければいけない合格発表のページ。いや、見なくてもいいんだ、だってもう結果は分かっているから。twitterで何度も見かけていた「グレーにかすむ画面。葬式のような画面。お祈りされる画面」そんなものをわざわざ見に行く神経を疑うわ、ドM根性もほどほどにしてほしい。しかし見なければいけないのだ。なぜなら受験してしまったからだ。

恐る恐る息子の生年月日と受験番号を入力し、エンターキーを押した瞬間「ひぇっ」という謎の声が出た。
そこには満開の桜のごとしピンクの画面が広がっていた。

「合格です。」

その文字を繰り返し繰りかえし読み、なんなら何度かログインログアウトを繰り返しリロードしまくって再三確認した。

嘘やろ…

グースカ寝ている両親、朝からマインクラフトの動画でゲラゲラ笑う息子、ぐちゃぐちゃにまるめられた布の塊。

こんな家族を、いったいどうして受け入れようと考えたのか。何かの間違いなのではないか。我が家の学校研究が甘かっただけで、実は超ぶっ飛んだ学校だったのではあるまいか。

もしくはなんらかの呪いが発動した結果、試験会場に夜の帳(とばり)がおりてマジモノの埼玉事変が巻き起こっていたのかもしれない。呪術高専壊滅、呪いの圧倒的勝利、捕らえられた五条悟先生、生死不明の野薔薇ちゃん、そしてパンダとぼっちゃんの合格である。

数々の疑惑と疑念が頭の中を駆け巡る中、私の脳裏に爪の先の先0.5mm程度の等閑と杜撰な気持ちが生まれたのもまたこの瞬間であった。

(案外…受かるもんなのではないか)

1年たった今だから言える、お前マジ大概にせいよ。受からないわ。そう簡単に受からない。案外とかないないのない、ないよりのない。倍率3倍を超える学校である。あの会場にいたご家族の半数はご縁を結べなかったのだ。
それなのに、厚子はうっかりにも思ってしまったのだ、案外いけるな…と。

この究極の勘違いが、この後2か月間に及ぶ死のロングウォークの始まりであり、己を苦しめに苦しめ続けるなんて知る由もなかった我が家は、その後家族会議を経てこの学校の「辞退」を決めた。

こんなにもぼろくその状態で案外いけた埼玉。この調子なら、今必死に準備している神奈川も案外いける。なんならこの勢いに乗って熱望の東京校も射程圏内に来たのではないか。

であれば、今この手元にある「合格」を早々に手放すことこそ正義であり徳を積む第一歩なのではないか、合格ホルダーよろしくなんぼ合格を抱えても進学できる先はひとつ。我が家の未来(神奈川、東京)には可能性と伸び代しかない。であればここは早々に辞退の一手を打つことこそ美徳でありお受験クラスタとしての真っ当な生きる道である…そう考えた当時の私に渾身のドロップキックを決めてやりたい。


今思えばどうしてこれほどまでに現実度外視の上方修正ができたのか。根拠と実績のないポジティブさはどこから湧いて出たのか。

この時に、あのぐちゃぐちゃに丸まった布の塊をもう一度思い出していれば、きっと違った結果になったはずだ。

しかし厚子はそうしなかった。
ネットで調べまくり礼を尽くしてまとめた「入学辞退届」を鳩居堂の中でも高級な部類にはいる価格で購入した便せんにしたため終わった頃

(もしかしたら、同じ届をもう2~3通書くかもしれない)

と、マジで本気でガチでそう思って原本のコピーをとっているお前に言ってやりたいよ。それ2度と使わないから。なんならストレートな合格は後にも先にもこれ一度きりだから。

世界で一番無駄な使い方してるから、いますぐコピー用紙とインクに謝れと。

持ち主がそんな地獄の淵に立たされていることなど知る由もなく、SNSお受験クラスタにはおなじみのブラザーA3コピー機はゾーゾーと空しい音を立てながら淡々と「入学辞退届」のコピーを吐き出していた。

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