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#40 ボリビアでの日々をふりかえって -日本へ帰る

2023年3月19日 domingo
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10日後にはラパスを発つ。過ぎてしまえば、あっというまだったボリビアでの時間。あたりまえだけど。
三年前のちょうど今ごろ、けっこうな脱出劇さながら、国境が封鎖される直前にあわててボリビアを出国してから1年9ヶ月ほど日本で過ごし、再びここに戻ってきた。三年前とは違い、今回はいろんな人たちに見送られ、ここでのことを思い返しつつ、帰国までの時間を過ごしている。
2021年11月に、たったひとりでボリビアへ戻ってきた時のことをおもうと、なんだか感慨深い。今はJICA海外協力隊のボランティアもボリビア全土で20人まで増え、にぎやかになった。自分のペースで過ごしたい私は、人が多くなりすぎる前に活動を終えられて、いいタイミングだった!とおもってはいたものの、今は、ここで出会った仲間との時間も有意義で楽しかったな、と、別れがさびしい気持ち。
何回経験しても、お別れは慣れない。

サプライズの送別会をしてくれて、、泣く。
みんな素敵な人たち。ボリビアのボランティア隊員&元隊員

職場のボリビア人同僚も、帰国日について何度も聞いてきたり、(や、いい加減スケジュール管理してくれ・・・)「5月のイベントにアツコも参加してよね!アツコ帰らないで!」と、どこまで本気かはわからないが、別れを惜しんでくれている。「で、いつボリビアに戻ってくるの?」とか。

配属先、生徒に託すもの、いろいろを整理。
自分のやってきた活動の概要、資料をまとめる。

もう日常の一部、ロドリゲス市場での買い物の時間がなくなることも、私にとってはさびしく感じる。

週末の、賑やかなロドリゲス

ラパスで一番好きな場所、ロドリゲス。「Lleváte carserita!!!(ジェバテ カセリータ)」の声、いろんな匂いが混ざった活気のある市場の風景は、いつ行っても私を癒してくれる。寝ながら商売するチョリータさんの姿も私を惹きつけて止まない風景のひとつ。いつも、くだものを買うお店のおばちゃんは、必ずおまけをしてくれる。今日はメロンを値引きしてくれて、9ボリ(180円くらい)で買った。ちっちゃーいバナナの試食も。
↓*動画は最後のあいさつに行った時のもの。

おばちゃんに最後、10円玉とレッグウォーマーをプレゼントした。そして、みかん、マンゴー、チリモヤを私に食べさせてくれた。「もう最後だから!」と。でも、また会いに来るよ!

Yungas[ユンガス]のみかん丸々一個とマンゴーを少し切って、私に食べさせてくれた。
あと、Chirimoya[チリモヤ]も。じつはこれ、高い。


2023年4月2日 domingo (日本に帰国後)
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帰国前の日々は仕事のまとめ作業と、人に会う予定がぎゅうぎゅうで、ボリビアで40本目の記事まで書こうとおもったが、時間を作れなかった、ので、日本に到着した今、ゆっくり振り返りつつ書く。

2月に急遽決まった展示(障害者のデザインプロジェクトの成果展)の準備諸々で、いろんな予定が後回しになり、そのせいもあって本当に帰国前の日々は何をしていたか思い出せないほど、動きまくっていた。でも、ありがたいこと。

急いで展示のビジュアルロゴを作成

ボリビアでの仕事の集大成のような形、タイミングで展示ができたのもすごいことだけど、さらにボリビア全土からボランティア全員がラパスに上がってくる日の夜にレセプション、という奇跡。わたし、持ってます!!(笑)。

Espacio Simón I Patiño, La Paz のエントランスギャラリーにて
レセプション。スピーチで絶対泣くとおもったが、なんとか泣かずに喋り切れた。

おかげさまで華やかなスタートを切ることができた展示オープニング。私の生徒やボリビア人の友達、日本から訪れていた元ボリビア隊員、今ボリビアで活動するボランティアの仲間からお花をもらい、幸せな気持ちでいっぱい。本当にたくさんの人で埋め尽くされる会場の様子に今までの道のりを思い出し、目頭が熱くなる。そして、活動していた障害者施設の担当の女性と話をして、号泣してしまった。

ボランティア仲間が集合。しあわせ。
障害者施設のディレクターの女性と。号泣。。。

後日、あわてて出した子供たちの外出申請が認められ、施設から連れ出せたことも本当にうれしかった。
いろんな方々のサポートもあって、ボリビアのテレビ、新聞社など各メディアも取り上げてくれ、展示会場を提供してくれたパティーニョ財団からは、2024年の頭にも同じプロジェクトの展示をしましょう、というありがたい申し出まで。「アツコ、展示を一緒に作るためにボリビアに戻ってきてね。」と。涙。。。

展示を観に、というより、おでかけがうれしい彼ら。ずっと私にくっついて歩く。
El Diario紙に掲載された記事
ATB(テレビ局)の取材インタビュー

JICA trabaja en la inclusión social de personas con discapacidad La Agencia de Cooperación Internacional del Japón...

Posted by Estudio Abierto on Monday, March 13, 2023

展示が始まり、一仕事終えたあと、最後の国内旅行に、ボリビア憲法上の首都「スクレ」と、そこから車で二時間ほどのところにある村「タラブコ」へ行った。タラブコは、前にスクレへ行った際に出会った女性 Adela(アデラ)がいる村で、さらに彼女はその村で織物や伝統を発信する組織の代表を務めているという。

やり手の女性 Adela

日本のデザイナーとのコラボレーションの可能性を探りたい目的もあり、帰国前に一度訪ねてみたかったのだ。
スクレの中心地で彼女と再会し、彼女の車で村まで連れて行ってもらった。

その日は日曜日だったので、村に着くと、市場が賑わっている。

広場のまわりにも、タラブコの織物を売る人たちが。

日差しが強かったので、彼女のお店の帽子を借りて被り、一人で散歩をする。今まで見ていたボリビアとは様相がずいぶんと変わり、イメージする「途上国」の雰囲気。

ラパスでは見られない景色
貧しさは見えるのに、なんかホッとする風景
帽子を被ると、おばあちゃんが可愛く見えるのはなぜだろう。

砂糖の袋を売るトラックの前に集まる少年たちの一群に声をかけられ、しばらく話す。

ここで声をかけられ、しばらく彼らと遊ぶ。
みんな14、5歳だけど、たくましく生きている感じ、ひしひし。

日本語で彼らの名前を書いたり、日本の歌を歌わせられたり、カメラで遊んだり、、、。みんなここで働いているのか、元気でたくましい。
突然
「君は結婚しているの?」と聞く少年。
「してないよ。」と私。
「僕が君の夫になってもいい?」と少年。
14歳の男の子にいきなりプロポーズされて「無理かな!君は若すぎるから!!笑」と。楽しい会話を交わしていると、周りからどんどん子どもが集まってくる。そして私に「あなたは私たちをどんなふうに助けてくれるの?服をくれるの?英語を教えてくれるの?」と。こんな感じで、明らかに助けを求めてくる子どもたち。中には病気の子どもを持つお母さんが、ラパスの病院の情報を欲しい、と言ってきたり。この村で初めて、ボリビアの逼迫した貧困の様子が見えた、実感として。少し苦しい気持ちになりながら、最後にここに来れてよかった、と心底おもった。

売り物の袋にみんなの名前を書いていく

その後、アデラと合流し、彼女が代表を務める組織の会議に参加した。ここではケチュア語がメインで話されるので細かい内容はわからないが、3月後半に実施するイベントをどうオーガナイズするか、について話しあっていた。二時間ほどそれに同席し、最後に村の人たちに私を紹介してくれ、あいさつをした。
少しずつでも日本との協働の可能性を探って、形にしていけたらな、とおもう。

会議で話す私
隣におしゃれなおばさんが座っていた。ずっとポップコーン食べてた。

最後の旅行を終えてから、報告書、プレゼン等の発表資料を作りつつ、すべての仕事をまとめていく、そして、生活を閉じていく作業。身の回りのものはかなりの量、友人や生徒に残していくことにした。持ってきた時と同じ量で日本に帰るために。
そして、最後に会いたい、踊りに行こう、ご飯食べよう・・・の、怒涛のお別れ会の嵐。そんなふうに私に時間を割いてくれるたくさんの人に囲まれ、ボリビア生活を過ごせたことに改めて感謝する、し、本当にさびしくなるなあ、と、泣きすぎて吐きそうな日々を過ごした。

ボリビアでスパイスカリーを振る舞いまくった最後の三ヶ月。おかげさまで、その間、レシピが進化しました。そんなレシピを残すべく、ラパスであと一年半ほど働く後輩に伝授。彼が引き継いでみんなに振る舞っていくことを願う。(再現できるかは、知らない。)

ボリビア人の友人にもレシピを伝授。お気に入りのチョリータエプロンを着け、ご機嫌の私。

そしてラパスで働く仲間とのおバカで楽しかった時間も恋しくなる。
みんなクレイジー。

帰国までいよいよカウントダウン。18日土曜日は、お世話になった調整員の方とランチの後、同僚とボリビア音楽専門のバーへ、踊りに。

ディスプレイもかわいい店内。ライブ演奏に合わせて踊る。
同僚と、ラパスで活動する仲間と。

19日日曜日、生徒とお昼にお茶をしてから、

予定がありすぎてうっかり忘れていた生徒とのデート。汗。。。

夜はボリビア人の友人宅で持ち寄りのパーティ。ここで最後の振る舞いカリー。後輩がレシピを覚えているか復習も兼ねて一緒に作る。

怒涛の振る舞いカリーも、グランドフィナーレ。
最後に記念撮影

20日月曜日はボリビア人の友達と夜ごはん。落ち着いて話ができる友人のひとり、パオラ。食事のあと、コーヒーを飲める場所を探し、一緒に夜の街をぶらぶらした。

お肉を食べまくった最後の日々。。。

その翌日は、大使館の方にもご馳走を振る舞っていただいた。この日はちょうど日本のWBC決勝の日だったこともあり、大盛り上がりの送別会となった。ああ楽しかった・・・。みんないい人、楽しい人たちで、ほんとありがたい。

この日もお肉。最後に一本締め(とても日本人的!)をして、ハグ。

その次の日、展示をさせてもらった財団の担当者から急に連絡があり、何だ?と、訪ねると、私へのプレゼントを用意してくれていて、「いつでもここに帰ってきてね」と。また涙。

みんな、、ありがとう・・・

24日の金曜日、JICA事務所で最終報告会を終え、事務所の方々に挨拶。まだコロナ禍、ボリビアボランティア派遣第一号としてたった一人で戻ってきた時のこと、それをずっと支えてくださった事務所の方々への感謝の気持ちと、今までの日々、感情を思い出し、、涙がでた。

最終報告会
いろいろ支えてくれたナショナルスタッフとハグ。

その翌日は配属先での現場の教員に対しての最後のプレゼンテーション。その後、ディレクターや教員、見にきてくれていた生徒から「アツコありがとう」の言葉を次々ともらい、また涙して、、予想外に重い、大きな贈り物の数々を受け取り、一気に涙がひいた。

現場の教員に向けての最終報告会
た、たて???!!!重いよねー・・・

最後の日曜日は、同僚のエンジニアと街歩きデート。
待ち合わせの時間だけ激しく雨が降り、足がびしょ濡れになった。「アツコがいなくなるからラパスの街が泣いてる。」と彼。ピアノのあるカフェで私が全然弾けなくなったピアノ演奏を披露したのち、最後にラパスの街を歩きたかったので、ふたりで二時間、セントロ(私の住んでいる場所)からソナ・スール(南に降りたお金持ちエリア)まで15km歩いた。

そして彼に私のボリビア名もつけてもらった。
Alicia Atsuko Choque Choque(アリシア・アツコ・チョケ・チョケ)
私が不思議の国のアリスっぽい、ということで。
そしてテレフェリコに乗り、上から街を見下ろす。その後、遅めの夜ご飯を食べて、家まで送ってもらった。

私のデザインしたチョリパカTシャツを着て来てくれた

その翌日、最後の挨拶に配属先の学校に行くと、サプライズのちょっとしたお別れ会。ケーキには「Hasta Pronto Atsuko」(=またね、アツコ)と。
誕生日の習慣にならって(いや、誕生日ではない)ケーキに顔をつっこまされました。

そのあと生徒が最後に会いたい、と言うので、大使館挨拶の前にカフェでランチ。彼女には、Julia Atsuko Flores(フリア・アツコ・フローレス)
と、ボリビア名をもらった。そして私がかつて「それかわいいね!」と言っていた、彼女のつけていたペンダントトップと、手紙をくれた。
別れ際、「ずっとアツコに聞きたいことがあって・・・どうやってお肌を綺麗に保ってるの?」とかわいい質問をしてきた彼女に、「化粧品余ってるから、私の家に寄って持ってく?」と最後、化粧品と私の服も色々渡した。

生徒の存在がなによりの宝。みんなかわいい♡

大使館挨拶が済んで、最後のチャランゴレッスン。
レッスン後、弦を張り替えてもらいながら先生とちょっと話す。
その日は「人生で後悔したことある?やり直したいことは?」と。物静かな人だったけど、彼とのレッスンや、たまにポロッと出るお互いの人生についての会話がいつも楽しかった。

その後、ボリビア人の友人とのご飯に出かけると、数人友達が集まっていた。サプライズのお別れディナー。ああ、もう泣きたくない。

泣きすぎて、もう目がおかしい。

28日火曜日午前中、最後に障害者施設訪問。休憩中の何人かの子どもたちに会い、一緒に座って話をする。明日、日本に帰る、とは言えなかった。
そしてお世話になった看護師さんに会いに。ラパスに残る後輩のボランティアの子を彼女に紹介し、新たな活動につながれば、とそんな話もしつつ。

お世話になった看護師さん
彼女が誰より一番、最後まで私の帰国を惜しんでいた。

なんとか荷物をスーツケースに収め、いよいよ慣れ親しんだ家を出る。
最後のホテル滞在の夜、後輩二人が一緒にご飯を食べに、ホテル近くまで来てくれた、ふたりとも私のデザインしたTシャツを着て。
特に何を話すこともなく、いつも通り、二人がわいわいと楽しそうに仕事の話などしていた。そして私に近しい人たちの寄せ書きのプレゼント。ありがとう。別れ難く、ホテルの前で夜中1:30まで話し、体が冷え切ったラパス最後の夜。

出発の日の朝は、卒業生の女の子がホテルまで会いに来てくれたので近くのカフェで彼女と朝ごはん。

以前、家に招待してくれた彼女。この時ちょうど彼女の甥っ子からもメッセージが。

その後、JICAボリビア事務所のインターンの女の子が会いに来てくれ、障害者のプロジェクトの発展の可能性についてふたりで話をした。

最後にひとりで街を少し歩いてからホテルへ戻り、事務所の方々に見送られ空港へと向かう。
2021年11月、しとしと雨の中、曇るウィンドウ越しに車中から街の景色を眺めてラパスに入り、また雨の中、空港へ。なんだか信じられない気持ち。でもきっとまたここに戻ってくる、と心におもっていたからか、不思議と穏やかな気持ちだった。

空港に着くと、すぐにチェックイン。荷物の重量ギリギリセーフ!の記念写真パチリ。

あと100gのところ!やりました!!

少し時間があったので、カフェでお茶でも、と歩いていると、後輩とボリビア人の友人の姿が目に入った。
「えーーーー!来てたの??!!」
最後の時間、みんなでゆっくりおしゃべりしてから、お別れ。
またすぐ会えるよ、と言って。

エルアルト空港にて。寄せ書きのボリビア国旗を持って。

Se acabó la primera fase de mi estadía en Bolivia ahora.
Muchas gracias todos que me había ayudado.
¡Los quiero a ustedes mucho!

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ATSUKINO(アツキーノ)

2006年〜日本でグラフィックデザイナーとして働いた後、2013年に渡英。スコットランドの The Glasgow School of Art で修士号(Communcation Design: Graphic Design)を取得。帰国後はアートディレクター、キュレーターとしてデザインディレクションとともに現代アートの展示企画制作なども行う。海外での生活、旅を通じて得られる新たな表現や人との出会いが次の可能性につながると信じて動く、旅するデザイナーでありアーティスト。現在は南米のボリビア、ラパスにてJICAボランティア活動中。デザイン教育環境の改善にあたっている。
http://nakanoatsuko.com/
https://shadow-candle.com/







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