十月二日@ブダペスト

今日は九時から授業だったが、指定の短い論文二枚を全く読んでいなかったので、朝のスピニングはキャンセルしてカフェに行く。一枚はもう読んだことがあったが細かいことは忘れている、もう一枚は初めて読む論文。

朝の言語獲得(乳幼児および他の動物)のクラスだが、久しぶりに純粋に楽しいと思える。私の大学院は人数が少ないので授業中に質問をせざるを得ないような状況がしばしばあり、長らくそれが苦痛だったが(自分が質問するのが得意でないため)、三年目で慣れてきたのかこの先生の授業のやり方が合うのか、自然に質問が出るし他人の話を聞いてても面白いと思う。今の状態で一年生から始められたらどれだけ吸収できることが多かっただろうか。分野への知識が乏しかったのもあるが、圧倒的に英語力が弱かった。

とはいえ、英語力と一概にいっても意識的に上っていることだけが言語力ではないと思うので、一年生や二年生の頃にその場にいて何も理解してなかったことも、一部は何か理解して自分の身になっているのかもしれない(意識的には何も学習してなかったようにしか実感できないが)。

部屋に帰ってデータ分析の続きをする。続きというか、昔やったやつをまとめてるだけで知的生産は何もない。何も不満はないがいまいちやる気が出ない。

三時前から先輩のEEG実験(授業用のパイロット)を手伝いする。何度やってもらってもEEGは若干痛い。痛かったら言ってくれと言われるが、ちょっとの痛みにもいちいち反応していたら痛いの連呼が止まらないので我慢できるとこまで我慢するが、これは日本人的なのだろうか。先輩にこの痛みの話を聞くと、自分自身は被ったことないからわからないと言われた。ちょっと驚いた。

夜はコロキアムが終わったあと、友達が参加していたSzabad Egyetem(The Free University)という、簡単にいえばハンガリーでの学問の自由と民主主義を守るための運動団体を元にしたドキュメンタリーの映画上映会だった。

上映前には同じ学部のポスドクの先輩がたまたまいたので一緒に座って上映開始を待つ。ポーランド人だが、一つ目のポスドクでオーストラリアに行き、そのあと喉の手術のためヨーロッパに戻ってきたが、今のところテニュアの職が決まっておらず、次はなるべくポーランドに近いところに就職したいと聞く。その先輩は私より四つ上だが、自分が三十のとき決めた目標を全然達成できてなくて焦っているという。私は今三十だが、三十四のときにどうなっていたいのだろうか。

なんてことを考えると上映が始まる。お客さんは狭い部屋いっぱいに埋まって四十人ぐらいいたのではないかと思う。

話すと長くなりすぎるので書かないが、ハンガリーでは今学問の自由がなくなってきつつある(私の大学院は国外追放でウィーンへ移動、ジェンダー学の禁止、政府が国立研究機関の研究内容や資金の管理をし始めるなど)。2010年に現首相のヴィクトール・オルバン率いるフィデス党が政権が取ってから年々どんどん民主的な風潮はナショナリズムを掲げた独裁政治のような感じ変わりつつある。

残念ながらというか恥ずかしながらというのか、私は政治の話に疎いのだが、疎い私でも外国人として「思っているよりやばい」ということぐらいは実感としてわかる。Szabad Egyetemのドキュメンタリーを通して、また一つ考えるきっかけとなった。

民主主義とか何かの自由というのは、そのもののシステムのことではなくて(意思決定の制度とか)、やはり人なんだと思う。そう思うとハンガリーもまだ一応民主主義だが、こういうような運動を通して声をあげる人がいなくなったら、それはもう民主主義の崩壊なんだろうなと思う。実際ハンガリーではデモに参加しているのがバレたりすると生活に支障がある人が五万といるといるので(ゆえに参加しない人も多数)、自由に発言できる機会が失われてきている。しかし声を上げなければいけないのだ。

そう思うと、若者の選挙離れというか、国に対する期待のなさとか、自分たちの無力感というのは、民主主義崩壊の第一歩だろう。日本でも選挙に行かない人は多いし、実際行ったって何も変わらないと思っている人も多いはずだ。

自分もそのような若者であったので過去の自分を責めるしかないのだが(私は選挙は行っていたけど、それは行けと言われるから行っていただけであまり深く考えていなかった)、今からでもまだ遅くないと思いたい。人生勉強することがつくづく多いなと思う。