自分のアウトプットを考える
素敵なエッセイを読んだ。
日常のほんの一瞬の出来事から、自分の感情や考えを深掘りして言語化されている。
力が入っているわけでもない。
飾らない自然体の文章で書かれている。
自分の文と何がどうちがうかって…
思考の深さや広がり。
圧倒的にちがう。
自分のnoteでの言語化、アウトプットの質をあげたいと色々なエッセイを読んでみる。
自分の思いを自分の中に溜め込みがちだから、まずは「アウトプット」、「言語化」することが大前提ではあるが…。
日記になってしまいがちなアウトプット。
エッセイとはなんぞや。
どう書けばいいのか。
ちょっと考えてみる。
アウトプットせず自分の中で思うだけだと、深い考えに至る前に昇華されてしまいがち。
思っても、忘れていることもたくさんある。
忘れることも生きていく上で大事なはず。
だけれど、ふと感じたことから深く考察したり広げる事で深みもでるのではないだろうか…と思ったり。
それを言語化することで自分の中に落としこめたり、モヤモヤしていたことがストンと納得できることもあるのではないだろうか。
そもそも、深く広く考えを巡らせるということがまた難しいかも…と思う。
ふと気がつけるのか、思考できるのか。
見たり聞いたりする情報の大半を、感じずに素通りしている気がする。生きる時間が長くなるほど、無意識に取捨選択している気がする。
きっとこういうことを思えるのも、今noteで書く時間考える時間があるからかな。
考えたことを言語化するというのがまた難しい…こっちは語彙力の問題もありだな。
投稿を躊躇った中途半端な下書きが増える。
悩みながら取りとめもなく今日もnoteに書く。
とりあえずそれでいいか。
最後は一歩進むための開き直り。
そして公開。
その積み重ねが自分を作っていく。
たぶん。
いつか素敵なエッセイが書けるといいなぁ。
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