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ビジネスオワコン論 「スキルアップとか人脈とか副業とか投資とか不労収入とか金儲けとか言ってる場合じゃない」(【4】まで書いた)




【0】このnoteの目的




この文章を読む時間がない人のために結論だけ書いておきました。


①これからは『友人がいない人間は死ぬ時代』が来る。


②超情報化社会では、すべての嘘・すべての過去は必ずバレる。


③ゆえに、

●『嘘をつかない』
●『悪口をいわない』
●『アドバイス(批評)をしない』
●『好きな人に好きと伝える』
●『SNSで自分の活動を公開し続ける』
●『友人を養い、友人に養ってもらう』

この6つを大切に、生きようね!







この文章は、「これからの時代をどのように生き抜くべきか」をがんばって考えた結果を書いています。





これからの時代とは、旧来の『貨幣経済社会』から新しい価値観である『評価経済社会』へと変化している時代のことです。




なんだか聞き馴染みのない言葉が書いてありますね。

『貨幣経済社会』が貨幣の流通を中心とした社会を指すのに対して、
『評価経済社会』とは評価の流通を中心とした社会のことを指します。





「貨幣が流通ってのはわかるのけど、評価が流通するってなんだ?」と思われるかもしれません。



 



それではまず、「評価の流通とはなにか」を説明していきます。


私たちは今、バイト先、仕事先を『給料の良し悪し』ではなく、『おもしろそうかどうか』『人間関係がいいかどうか』『自分らしく働けるかどうか』『しっかり休めるかどうか』で判断しています。

「24時間戦えますか」といったCMのキャッチコピーは今では通用しません。そんなに仕事をするぐらいなら、早く家に帰ってゆっくりしたい。そう考える人が多数派なハズです。




これは我々の関心が、「お金をどうやって稼ぐか・どうやって使うか」よりも、「自分のもっている時間をどうやって楽しむか」に切り替わっていることを示します。この変化の先にあるのは、『お金よりも大切な時間』を『誰と過ごせば最大限に楽しめるか』と考える時代です。

「どの店で買えばより安く買えるか」から「誰と遊べばより楽しめるか」に変わったわけですね。




そして、その誰かとは『優秀なヤツ』ではありません。『良いヤツ』です。

 

一緒にいて楽しい、安心できる。自分のしたことに対して感謝してくれる。だってお金を稼ぐわけじゃないんですから。優秀だけどプライベートでは付き合いたくないヤツは会社だけの関わり合いで充分。というかそもそも嫌なヤツなんて自分の人生に関わって欲しくない。とにかく良いヤツ。



そいつといればどこへ行っても楽しい。なにをしてもおもしろい。一緒にいれば良い気分になれる。そんな人を探して、友達になろうとする。

逆に、ビジネスライクな関係という時間の無駄遣いは誰もしなくなるでしょう。良いやつならプライベートでも付き合うべきだし、嫌なヤツなら最初から関わらないほうが精神衛生上、健康でいられる。いくらお金をもらったって、嫌なヤツと一緒にいるストレスにはかないません。



つまり、お金よりも時間を重要視する社会になるということは、『良い人』の価値がものすごく上昇していく社会になるということです。




それではどうやって良いヤツかどうかを判断するのでしょうか?

そのためにはその人が周囲からどんな評価を受けているかを知るのが重要です。

「あーアイツね。うん。すげー良いヤツだよ」

なのか。

「あーアイツね‥。うーん。ちょっとね‥」

なのか。

第三者を通した事前の情報収集がおこなわれるワケですね。



評価経済社会では、その情報収集と判断をネット上でおこなうことになります。

私たちは商品を購入する際、気軽にネットでその評判を調べますよね。

それと同じことが、人間を対象にネットで起こるのです。



「いやいや、それはモノの話だからありえるのであって、人間に評価をつけるなんて非人道的なことはないでしょ」

本当にそうでしょうか。今やネットを通して友人をつくることが珍しくありません。




その人と知り合いになった時、その人がTwitterでなにをつぶやいているか気になりませんか?

「今度リアルで会おう」と約束する前に、その人がどんな人なのか知りたくありませんか?



(この人、同じ趣味で気が合うけど本当かな?実は勧誘目的じゃないかな)

(今度参加してくれるこの人、もし態度が悪かったらどうしよう。自分たちの集まりをぶち壊されたら‥)



人間関係の失敗と不良品の購入ではダメージが違います。なぜなら商品であればお金を失う程度でキズは済みますが、時間は取り返しがつかないからです。



ゆえに、人生でもっとも大切な時間を守るために、『その人がどんな人か』という事前情報が商品のレビューと同じようにネット上で流通するのは当然のことと言えます。

ということは、それに応じて社会のシステムや日常の振る舞い方も変化していくハズです。




このように、時代が大きく変化している今、旧来の生き方をするのはかなり危険だと私は思います。

ゆえに、なぜ危険なのか、ではどうすれば良いのかを研究し、まとめました。




具体的には5段階に分けて説明していきます。

【1】今の時代ってこうだよね。

『誰も買わない。ゆえに売れない』

【2】するとこういう不安があるよね。

『週5で一つのコミュニティに所属するのは怖い』

【3】だったら、その原因からこんな対処法がわかるよね。

『お金は恩を生まない』

【4】そのためにはこんなアイデアがあるよ。

『4タイプ判別法』

【5】となるとネット上ではこうやって振る舞うべきだよね。

『いい人戦略のススメ』

【6】そして現実ではこうやって振る舞うべきだよね。

『嫌金と仕事サーフィンの時代』



注:この研究は、岡田斗司夫さんの、

【「いい人」戦略: 超情報化社会におけるサバイバル術】と

【僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない】と

【4タイプ性格判別】をもとにしています。

ぜひ読んでみてください。








【1】誰も買わない。ゆえに売れない。



私たちは就職をします。

職種はどうあれ、義務教育のあとはどこかの会社に所属し、給料をもらう。

それが普通であり、もっとも安定した生き方です。



ですが、それが通用しない時代になりました。

理由は二つあります。

それは『世の中が便利になったから』、そして『経済が悪化したから』です。





まずひとつ目は『世の中が便利になったから』。

つまりIT化です。

AmazonやGoogleといった巨大企業の提供するサービスにより、仕事がドンドンと減っているのです。

彼らの企業努力によって、私たちは便利さと安価な商品を手に入れました。商品と消費者の間に立つ中間業者を失くしていくことで、モノは早く届くようになり、ますます安くなったのです。

素晴らしいですね。




しかしそれは逆に言うと、AmazonやGoogleの登場によって中間業者の仕事をしていた人たちが職を失っていったと言うことです。

世の中が便利になると、それまであった仕事がなくなる。

仕事がなくなるということは企業が倒産して、その企業に所属していた人たちが失業者になるということです。



インターネットの登場はこれまでの流通のプロセスをガン無視し、私たちと生産者を直接つなぎました。その結果、中間業者である本屋のような小売店業は不必要と判断され、潰れる危機になりました。

「Amazonの台頭で本屋は潰れる!」

「出版社はどうやって生き延びるべきか!?」

なんて騒ぎも記憶に新しいハズです。

私も集英社の就職説明会で聞いた覚えがあります。



IT化は不必要な仕事を減らすだけにとどまりません。

どうしても必要なプロセスは機械に置き換えてしまうのです。

スーパーのレジ打ちは無人レジにかわり、配達はドローンに切り替わる。その結果、人間を減らすことで安価にモノを提供できるようになる。

人間を雇うのはお金がかかるのです。



「金さえあればなんでも手に入る」



なんだか漫画の悪役のような台詞ですが、貨幣経済社会(資本主義社会)の誕生は、階級制度によって選択の自由を奪われていた人たちにとってはまさに驚くべき衝撃だったハズです。


どんな生まれの人間であっても努力とアイデア次第で成り上がることができる。
なんと平等で可能性に満ち足りた社会でしょうか!




資本主義社会は、いままで上級階級の人間が独占していた特権を市民に開放しました。シェフがつくるおいしい食事は『外食レストラン』になり、宮廷音楽家が奏でるメロディは『オーケストラ』として誰もが利用できるサービスになったのです。


現在のアメリカが是とし続けるこのシステムは本当に素晴らしいものであったと思います。欲望を原動力にしたこの貨幣システムは、今に至るまで技術の発展と文明の豊かさを推し進めてくれたのですから。




しかしそれも、機械のレベルが低い頃までの話です。
資本主義社会が推し進めた技術発展により、現代では、あまりに優れた機械たちが産まれてしまったのです。



人間の労働をサポートしてくれるちょっとしたアシスタントだった彼らは、性能の上昇につれて逆に仕事の主役として振る舞い出すようになり、人間は彼らの都合に合わせて行動するようになりました。

そして、ついには人間を職場から蹴り出し、その役割を完全に奪うまでになったのです。



機械は睡眠も食事も休憩もいりません。もっと会社に感謝してほしいと考える自尊心すらありません。

ということは、感謝の具現化である『給料』すら彼ら機械は受け取らないのです!


出勤も退勤もせず、ただひたすらに反復作業をおこない続ける機械たち。給料を受け取らないばかりか、その進化はどれだけ遅いものであっても決して止まることはありません。

つまり、機械一つあたりがこなせる仕事量が上昇するということであり、それに応じて導入する機械の数も少なくすんでしまう。導入コストすらゼロに近づいていくとはあまりに無欲すぎではないか。




このように、動力とアルゴリズム(手順)さえあればいくらでも労働してくれるワーカホリック(仕事中毒者)である機械労働者たちの登場により、人類労働者は駆逐されることになりました。


なぜなら、いくら努力とアイデア次第で成り上がれるといっても大半の人間は機械よりも賢くもなく、やる気もなく、体力もないからです。



そのくせ労働に対してやりがいやら仕事環境の向上を求めるし、一度雇うと法律の関係でなかなかクビにすることができない。

こんな気まぐれな人類労働者を雇うよりは、黙ってただひたすらに仕事をこなしてくれる機械労働者を雇ったほうが商品の価格を下げれて消費者にも喜んでもらえる。



コンビニの登場で商店街の空き店舗が増えたように、消費者にとっての利便性を追求すると労働者が職を失ってしまうわけです。



つまりIT化とは、商品を届けるまでの過程で存在していたムダなモノを叩き潰し私たちを幸せにする魔法である一方、それに関わる人たち全員をクビに追い込み、次々と人の仕事を奪うおそろしい呪いでもあったのです。

IT化にとってのムダとは私たち人間のことだったわけですね。






ふたつ目は『経済が悪化したから』です。

経済とは『モノを買うこと』です。

商品自体は木に生っている果物でも、工場でつくられる精密機器だろうがなんでもいい。とにかく、目の前のモノに対して価値を感じてお金を払ってくれる。そんな人が多いことを好景気と言います。



逆にお金を払う人が減れば景気は悪化します。

そして日本は少子化ゆえにこれから先も国民、つまりお金を払う人はドンドンと減っていきます。

これでは景気が良くなりようがない。

起業する人の数とか、商品の質とか、アイデアの斬新さではないのです。

一人ひとりの支出にはそう違いはありません。

なぜなら人が一日で食べれるご飯の量、遊べる娯楽には限りがあるのですから。

ゆえに母数の問題なのです。



また、先ほどの説明で、「レジ打ちや配達は機械でもできるが、人間ならではの仕事なら大丈夫。

創作の仕事は機械にとってかわられることはない」と思われたかもしれませんが、この環境変化の前ではエンターテイメント業界も危険です。



漫画やアニメ、映画など、無限の娯楽が無料で提供されるYouTubeなどのインターネットサービスの前では旗色が悪い。タダの漫画、ゲーム、動画が毎日手元に届く。しかもおもしろい。こんな状況で有料コンテンツが成り立つわけがありません。




私自身、本や漫画を定価で買ったのはいつだったか。

まずはメルカリやAmazonで検索して、なかったらBOOKOFFへ。それでもなかったらやっと本屋で買う。

無料で提供される無限の娯楽の前では、有料コンテンツの価値は優先順位が落ちてしまうのです。



お金を払う人が多ければそれでもクリエイター全体を支えることができました。

しかし国民の数が減少する今、一部のトップクリエイター以外の中堅層の商品、漫画や小説などを進んで購入してくれる人がいないのです。




他にも、「ネットで探せば安く手に入る。むしろ定価で買うのは情弱」なんてセリフを聞いたことがあるのではないでしょうか。

メルカリのCMでは「それ、新品じゃなくてもいいんじゃない〜?」という恐ろしいセリフを歌っています。



そう、もはや有料コンテンツはよほどのことがないと定価で買わない時代になってしまったのです。



雑誌やネットでも、「安くすむコツ」「節約」「賢く買うために」など、できるだけ定価で買わずにすむ方法があふれていますが、『定価で買わない』ということは、『いかに製作者にお金を渡さないか』と同義なのです。

これでは作家や漫画家・イラストレーターなどのクリエイターの生活が成り立つハズがない。

ゆえに私はこれから先、漫画家、イラストレーター、小説家、声優、芸人などエンタメ業界でプロを目指すのは絶対にやめておいた方がいいと思います。




エンタメ業界を目指すのをやめた方がよい理由はもう一つあります。

それは、どんな業種であろうとビジネスの絶対条件は「お金を払ってもらうこと」だからです。

つまり、同じ内容の仕事を同じ完成度で、しかも無料で提供されればそのビジネスは絶対に勝てないのです。



当然ですよね。同じモノなら誰だって無料の方を選びます。

事実、ゲームが無料でアプリとして提供されるようになった結果、一部のブランド作品(ドラクエなど)を除き、ゲーム会社の売上は下がる一方です。

その原因は「お金をもらえなくてもいい。ただ創るのが楽しい」というアマチュアが大勢いるからです。




彼らは毎日お金をもらうどころか無給でゲームをつくり続ける。

それと同様に漫画や小説、アニメも無料で提供するアマチュアが増えていくでしょう。



なぜなら評価経済社会では人間関係への時間の投資が優先されますから、家で一人でゲームをするよりも、創作活動を通して仲間を創る方が重要視されるからです。



だって誰かの創ったゲームをするよりも、自分たちでゲームを創る方が楽しいのですから。

自分のもっている時間を楽しもうとすれば、人のゲームをプレイするよりも、気のあった人々たちと仲間になり、一緒に創作活動をした方が関係性も深くなる。(もしくは実況プレイをするか、他人の実況動画を見て一体感を楽しむ)





しかも技術の発展にともない、創作技術はますます便利に、誰にでもできるモノになるハズです。

漫画はアナログからデジタルになり、背景を自分で描く必要がなくなりました。

アニメはボイスチェンジャーにより、一人でも複数人の声を当てることができるようになりました。





つまり、創作において『人を雇う必要が減ってきている』のです。

このように創作のハードルが下がり続けるとともに無料で作品を創るアマチュア人口は増え続けるハズです。

それに伴い、『有料で協力する』というスタンスを取らざるをえないプロの必要性はドンドンと低くなっていくでしょう。



「私にはこんなスキルがあります。だからその創作活動のために雇ってください」と申し出ても、

「いや…そもそもお金を稼ぐために創ってるわけじゃないから売上はないし、人は雇えないよ。それに友達同士でやってることなんで…」と断られるハズです。

その習得した技術がどれだけ高度であっても、いずれテクノロジーによって代用される、もしくは無料で参加してくれる『友人』には勝てない。プロはその仕事が終わったら他人ですが、友人はその経験をもとにより関係性が深くなるのですから友人の方が優先度は上です。





ゆえにプロがお金を得ることができる機会は減っていくに違いありません。

だからエンタメ業界でプロを目指すのはオススメできないのです。

創作は趣味でやる分には最高ですが、お金をとろうとした途端、それで生活しようとした途端、待っているのは無限の無料作品に押し流される極貧生活でしょう。




話が少しズレましたが、つまり不必要な仕事は消え、必要な仕事は機械に変わり、そうでない業界も無料サービスの前ではお金を得ることが難しくなっている。

インターネットの登場によって、全体的に労働者がお金を稼ぎにくい時代が来てしまったのです。



すると企業は当然、新たに雇う人の数をしぼるハズです。

なぜなら人を雇うということは、その人がそれ以上に会社に収益をあげてくれることを前提とした投資だからです。

その人を雇ってもモノは売れない、それどころかインターネットにより新たな革新的サービスが生まれたら自分たちの会社は不必要と判断され潰れてしまうかもしれない…。

そんな不安な時代なのです。




ゆえに今の時代はどんな職種であれ、倒産・人員削減による解雇・再就職先が見つからないという危険性があるのです。

これが貨幣経済社会から評価経済社会へと社会が移行したキッカケです。

つまり、「稼ぎにくいお金の力に頼るよりも、信頼できる人間関係に頼った方が生き延びやすい」と人々が気づいたわけですね。








【2】週5で一つのコミュニティに所属するのは怖い。




生産と流通のムダをなくし、より便利により安価にモノを流通させた結果、人の仕事はドンドンと減っていきました。

さらに人口の減少と比例してモノを購入する人が減っていきました。

その結果、いつ自分の勤めている会社がなくなってもおかしくない時代になったのです。



ということは週五日でしっかり働いて、会社のなかで『自分が良いヤツで、働き者で、正直者』という評価が溜まっていたとしても、もしそのコミュニティを放り出されたらそこで自分が積み上げてきた評価がゼロになってしまう。

次の仕事を探したとしても、自分の評価はまた一からやり直し。

これは恐ろしいことです。


なぜなら会社の人間以外にとって自分は赤の他人。どんな人間か分からないからです。

評価経済社会ではどんな人間か分からない人に大切な時間を使っている余裕はありません。

財布のなかのお金が少なければすでに価値を知っているモノを優先的に買おうとするように、自分の知っている人、自分のしてあげたことに感謝してくれる人に対して優先的に時間と労力を使います。



わざわざ知らない人に対してなにかをしてあげるよりは、自分の大切な人になにか贈り物をしてあげたい。どこかへ一緒に旅行へ行きたい。そうして人間関係を強化したい。

それは当然の感情です。



ということはこれからの世界は、身内と他人の線引きがものすご〜くシビアな社会になるということです。

身内は大事。ほかは無視。

地元ラブなマイルドヤンキー的な生き方や、親しい人たちで擬似家族関係をつくるマフィア的な生き方が主流になると思っています。



なぜなら人に与えられる愛情、優しさ、気遣い、好意、配慮といったモノには限度があるからです。

気力と体力を使うので全員に分け与えることはできない。

なら身内だけでこの有限の資源を独占しようと考えるのは当然のことでしょう。



また、これから先景気が好転するとは言えない以上、国営の福祉サービスは縮小していくに違いありません。

つまり、会社を辞めた瞬間にその人は誰の助けも借りれずに、たった一人で生きていかなくてはならなくなります。

これはかなり生存確率が低いでしょう。




2ちゃんねる創始者のひろゆきさんは『無敵の人』という言葉を提唱しました。

それは社会の誰からも相手にされず、無視され、関係性をもつことを拒否された人のことです。


そういった人がヤケになり、重大な事件をおこす。

一つのコミュニティにのみ時間を投資する人は、そんな未来を迎える可能性が高いのです。




ではそんな時代に私たちはどうやって生きればいいのか。

その解決策は、「所属するコミュニティの数を増やす」ことです。

さきほどの問題点は、企業が潰れることによって、自分のコミュニティをたやすく失ってしまうことにあります。

これは依存です。

友人が一人しかいない人は、その友人と喧嘩することを恐れます。

なぜならその友人を失ってしまうと自分は一人ぼっちになってしまうからです。



お金を複数の銘柄の株に投資するように、自分の時間を複数のコミュニティに投資する。

それはなんでもかまいません。

家族でも、元クラスメイトでも、趣味の集まりでも、できるだけ多くのコミュニティに所属し、そのなかで信頼関係を築く。そうすれば会社を解雇されたとしても誰かが助けてくれる。そのようにセーフティネットを自分で築く必要があるのです。

そのためには週五日を一つの会社に投資するのは危険と言えます。



ただしこれは、仕事をやめちゃえと言ってるわけではありません。

自己啓発本では「仕事が嫌ならやめちゃえよ」と気軽にアドバイスするのが流行っていますが、それは断じて違います。

なぜなら会社を辞めると所属しているコミュニティが減ってしまうからです。



もしあなたが会社以外にコミュニティを持っていないのであれば、いきなり一人ぼっちになってしまいます。

また、他のコミュニティに参加するためのお金(交通費、参加料)がないと詰みの状況になりかねません。

つまり、今の会社にいながら、残りの時間を他のコミュニティの発掘と維持に使う。

これが大事なのです。




「いやいや、いろんなコミュニティで評価なんていちいちためなくても高いスキルがあればどこでだってやっていけるでしょ」と思われるかもしれません。

実際、「不景気だからそれに通用するなにかスキルを身に着けよう!」というのは自然な考えです。




その会社が倒産したってスキルがあれば、またどこかで雇ってもらえる。

本当にそうでしょうか。

どうせスキルを身につけるのであれば、できるだけ高度で、他人には真似できないモノの方がいいですよね。

しかしそのスキルが凄ければ凄いほど、それを習得するにかかったコストはふくらみます。

するとその時間とお金を取り返すためには、自分のスキルにより高い値をつけてくれる会社を選ぶべきです。



ところが、そんな高額の報酬で雇う人は企業にとっても負担なのです。

それならその人をずっと雇い続けるよりは必要な時に外注すればいい。

そう企業は考えます。

これはさきほどの『優秀なヤツ』よりも『良いヤツ』と一緒にいたいという感情と似ています。

優秀なヤツは必要な時しか呼ばれない。




すると毎日出勤してくるわけでもないし、外注するのであればネットで海外の人を雇ったっていいわけです。 

ということは、ライバルは自分の住んでいる地域から全世界へと一気に増えてしまいます。

この過当競争を勝ち抜くのはあまり現実的ではないし、コスパが悪すぎます。




優秀なヤツになるのはコストがかかり、なおかつライバルが多すぎるのです。




つまり、一つのコミュニティだけしか人間関係がない人はそのコミュニティを失えば終わりだし、スキルに頼る人も結局はコミュニティに入れてもらえない。

ゆえに生き延びるには、複数のコミュニティに時間を投資する。そして信頼関係を築く。それが大切なのです。




しかし信頼関係を築くといってもどうすればよいのか?

次は、コミュニティ内でどのように振る舞うべきかを説明します。






【3】お金は恩を生まない。



お金は大切です。

なぜならお金があれば好きな時に好きなモノと交換ができるからです。

これは国がお金の価値を保証しているからなのですが、だからこそ私たちは知らない相手ともスムーズにやりとりができます。



これによって私たちは誰とでも価値の交換ができるようになりました。人類史において素晴らしい発明の一つだと思います。

その結果、商売と流通を通してコミュニティはドンドンと大きくなりました。



しかし、その結果、なんだか変な状況になってしまっているのです。

それは雇い主と労働者の関係です。



雇い主は「これだけ払ったんだからもっと働いてくれよ!」と思うし、

労働者は「これだけ働いてるのにこれしか対価をもらえないのかよ!」と思う。

毎日雇い主のために働いているハズなのに、そのどこにも恩が発生していないのです。



これはなんだか変です。

仕事とは『相手のためになにかをしてあげること』であり、『代わりに対価をもらうこと』です。

しかし人間同士が集まってなにかをしているのに、そこに感謝どころか相手に対する不満が発生してしまっている。

なぜでしょうか?




仕事が嫌という話はよく聞きますが、しかしよく聞くとそれは人間関係のストレスであることがほとんどです。

どなる上司がいる。面倒くさい客がいる。頑張っていても誰にも感謝されなくてむなしい。

でもお金が必要だからやめられない。

いやはや、人間の大発明であるお金は、嫌なことをする我慢料に成り下がってしまいました。




これはコミュニティが大きすぎるのが原因です。

コミュニティが大きくなると一人ひとりの恩を管理できなくなります。

「○○さんに○○をしてもらった」と一々覚えておくより、その場その場でお金で処理する方がコミュニティ維持には楽なのです。

すると相手がどんな人間かどうかという個人情報よりも、どれだけお金をもらえるかに人間の関心がシフトするのは当然です。



しかしその結果、私たちはつらい思いをしてお金を稼ぎ、その時間を取り戻すためにお金を使うというマッチポンプ的な生き方をしています。

お金は関係性を広げたかわりに、つながりを極限まで細くしてしまったのです。

そしてそれは、仕事を『人の役に立つこと』から『お金を稼ぐこと』へ歪ませてしまいました。



その結果、私たちは顔も知らない社長のために、誰かも知らない人を相手に毎日仕事をしています。

(今自分がやっている仕事は本当に必要なのかな…?)

と悩みながら。

これでは恩が生まれるわけがありません。



この仕事は誰のためなのか、誰の役に立っているのか。それが分からなければ仕事が楽しいハズがない。



つまり、お金が生まれたことで私たちは『知らない人ともモノのやりとりができるという可能性』を手に入れた。

しかしそれは同時に、『自分の毎日を知らない人のために使わなければならない』というなんともやりがいのない人生を人間に負わせたのです。



なんだかネットが引き起こした『魔法と呪い』と似ていますね。どんなモノにもいい面と悪い面があるのです。



では私たちが幸せになるにはどうすればいいのか。

具体例をあげます。

自分はボードゲームが好きでよくネットで募集している集まりに参加していました。

そこで好青年と出会いました。

彼は笑顔が素敵で、場を盛り上げようとしてくれる良いヤツでした。

彼の無償の行動に感動した私は彼と良き友人になれるかとウキウキしていたのですが、その後彼は二人で食事をした時にアムウェイの商品を渡してきたのです。

この結果、私は彼と二度と会うことはありませんでした。



もし彼がいまでも友人で居続けていたとすれば、二人で車を借りてドライブへ行ったり、モノをシェアしたり、貸し借りをしたりといろんなことができたハズです。

関係性が深まればモノは互いに融通しあえるようになる。

すると定価で一々モノを買わなくてもよくなるのです。

「これ高いから二人でシェアしようぜ」

「あー、お前ならこれ○○円でいいよ」

「いいよ。欲しいならタダであげる」

このように評価経済社会では評価が高い人物は周囲と協力しあうことで、その商品の値札に左右されない生き方ができるのです。



つまり、彼は無償の行動をした結果、『良いヤツ』として周囲に認識され、恩が貯まり、いずれは値札に左右されない生き方ができるハズだった。

ところが彼の行動が実は周囲に気に入られ、自分にとって都合のよいビジネス相手を探すための利己的行動だとバレた結果、『嫌なヤツ』として認識され、まわりから関係性を断ち切られ、これからも値札通りの値段でモノを買わざるを得なくなり、お金を稼ぎ続けることになった。



現代のお金を稼ぎにくい時代で下の生き方をするのは茨の道でしょう。

無理にお金を稼ごうとすると、必要のないものを人に売りつけるハメになり、自尊心は傷つくし、しかも他人に感謝されない。

つまり彼は貨幣経済社会の考えのもと行動した結果、無限の可能性がある評価経済社会へ参入できなかったわけです。



基本的にアムウェイは人間関係の焼畑農業だから評価経済社会では最悪の手法なんですね。


これでは幸せとは言えません。



つまり幸せに生きるには『仕事とは相手を助けて感謝されること』という原点に立ち返るべきであり、『仕事のつらさは人間関係であり、仕事を楽しむには自分がよく知っている相手を助けてあげる必要がある』ということです。



そのためには現代のコミュニティの代表である会社の逆をすればいいのです。



つまり、コミュニティはできるだけ小さく。メンバー全員がどんな人間かを知っている。お金を介在させない。



するとどうなるのか。

よく知っている人であるならば、自分がしてあげたことをいつまでも覚えていてくれるハズです。

だとしたらそれがいずれ別のカタチで帰ってくる。

「これあの時のお礼!」

「あ、マジで?ありがとう」

このようにコミュニティのなかでお金を使わないと、それが『恩』として貯蓄されていきます。

正確にいうと、一々『恩』をお金に変換しない。

無償の奉仕で相手を助けてあげる。



その結果、周囲から「あの人はいい人だ」という評価が貯まっていき、それとともにそのコミュニティのなかでのモノの価格がゼロに近づいていく。



すると、それがより人間関係を深めていく。

「そういえばあの時、あんなことしてもらったよな。お返しになにかしてやるか」

「こないだあれもらったし、アイツの好きなモノをプレゼントしてあげよう」

数字で厳しく定められている『お金』では、その同額を返すしかありません。

しかし『恩』はその不定形さゆえ、必ず相手にしてもらった分よりもいくらか余計にお返しがおきるのです。

その結果、相手はもらったその余計なお返しの分、またなにかをしてあげたいと思うでしょう。

このように『恩』は借りた返したの額が厳密に定まっていない分、無限のお返し連鎖が続くのです。

するとそのコミュニティは無償の行動とお返しと感謝にあふれた素敵な生活の場になる。



お金を介在させないことで、よく知らない、好きでもない人と付き合う必要がなくなる。

その結果、その時間を見知ったコミュニティの仲間に使うことができる。

それが評価経済社会の良いトコロなのです。



そう、今や時代は、知らない相手と『お金を稼ぎ、お金を貯める』から、知っている相手と『恩を稼ぎ、恩を貯める』へと切り替わったのです。

こう書くとなんだか打算的ですが、しかしこれまでの『好きでもない相手に愛想笑いやへつらいをしていた生活』よりも、『自分が選んだ良いヤツを喜ばせてあげる生活』の方がずっと素敵で人間らしいと思いませんか?



しかしこの考えには問題が一つあります。

それは恩が帰ってくるかどうかは不確実ということです。

世の中にはなにかしてあげてもそれに感謝の気持ちを抱かない人や、むしろ自分は相手から奉仕してもらって当然という面の皮が厚い人がいます。

そんな人たちに無償の奉仕をしても恩が帰ってくるとは思えませんよね。

ゆえに相手はしっかりと選びましょう。

つまり誰とコミュニティを築くかこそがお金のかわりに恩が流通する、この評価経済社会では重要な要素なのです。



それでは大切なのはどんな人とコミュニティをつくるかですよね。

それを説明します。








【4】4タイプ判別法。



世の中には4タイプの人がいます。

成長するのが好きな人。

注目されるのが好きな人。

勝つのが好きな人。

理解するのが好きな人。



それぞれが異なる思想と価値観で生きています。

ゆえに相手がどんな人物か知らないと喜ばせるどころか怒らせることになります。



たとえば、相手のためを思って必死にアドバイスしたのに、逆に相手にキレられた。

一人じゃ寂しいだろうと話しかけてあげたのに、邪険にされた。など。



人間関係の失敗は、この4タイプを知らないがゆえに生まれます。つまり相手がどのタイプなのか、なにをされると喜ぶのかを理解していなければコミュニケーションはうまくいきません。

「相手のためにしてあげたのによろこんでくれない…」というモヤモヤが生まれているということは、それは無償の奉仕どころか相手への嫌がらせになっているということです。



こんなことにならないように、相手はどのタイプなのか、なにをすれば喜ぶのか、なにをすると不快に思うのかを見極めなければなりません。

これは共同生活を送る上でもっとも重要な情報です。



だからこそ、この4タイプを知ることが、コミュニティを維持するうえでなによりも大事なのです。



あなたはどのタイプか。周囲の人はどのタイプかあてはめてみてください。

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○理想型:職人タイプ


自分の成長を実感できた時、自分の理想を理解してもらえた時が一番うれしい。

でもそのこだわりから、周囲からは頑固、天然、変人と思われることも。

嫌いなことは相手におべっかを使われること。

●チェ・ゲバラ
●徳川家康
●ニコラ・テスラ
●宮崎駿さん
●百田尚樹さん
●田原総一朗さん
●小飼弾さん
●松岡修造さん(注目寄りの理想型)

○注目型:エンターテイナータイプ


人をもてなすのが大好き。
でも気を遣い過ぎて疲れちゃう。

自虐をしてでも笑いをとっちゃう。
みんなが仲良くしてるのが一番大事。
仲間はずれは見てらんない。

嫌いなことは無視されること。

●チャップリン
●豊臣家康(司令寄りの注目型)
●小藪さん(司令寄りの注目型)
●雨上がり決死隊の宮迫さん(司令寄りの注目型)●明石家さんまさん
●HIKAKINさん(注目寄りの理想型)
●加藤純一さん(司令寄りの注目型)
●もこうさん(司令寄りの注目型)


○司令型:軍人タイプ


勝ち負け大好き。
みんな仲良くなんて馴れ合いはしたくない。

自分が一番上に立ちたい。
だから下剋上上等。

嫌いなことは負けること。

●織田信長
●ナポレオン
●堀江貴文さん(法則寄りの司令型)
●田端信太郎さん
●キングコング西野さん(注目寄りの司令型)


○法則型:学者タイプ


なるほど!となった時が一番しあわせ。
自分の感情を他人に動かされたくない。

一人で思索にふけているのが好きだから放っておいいほしい。

嫌いなことは分からないこと。

●アインシュタイン
●キュリー夫人
●ひろゆきさん(司令寄りの法則型)
●池上彰さん(理想寄りの法則型)



あなたはどのタイプでしょうか?

会話のなかで「○○するべき」といったフレーズが出るのであればあなたは理想型です。

ちなみに私も理想型です。



YouTubeのコメント欄で「私のコメントにたくさんのいいね!ありがとうございます!びっくりしました!」とか書いてるのは注目型です。

他人に注目されるのが気持ちいいんですね。



先輩後輩関係を重視する。

「一国一城の主」、「なりあがる」といった言葉が好きだったり、Twitterで「月収○○万円!」とか書いてるのは司令型です。

彼らにとってお金とは自分のゲームスコアであり、他人よりも優越している証拠なのです。

だからわざわざ書きたがる。



SNSで単語の羅列だけ書いてるような人は法則型でです。

他人とのコミュニケーションよりも自分の思考のほうが大切なんですね。



このように、自分とは違う考えをもっているとは分かっているつもりでも、具体的に相手がどんなタイプかを把握していないと悲劇が起こります。

たとえば、家庭がうまくいかないのは男女の脳の違いだからではなく、それぞれのタイプが違うからです。

男性は理想型か法則型が多いのに対し、女性は注目型か司令型が多いように思います。

すると、注目型の奥さんは単に話を聞いて共感してほしいのに、理想型の夫は嬉々として自分の理想論でアドバイスしてしまう。もしくは法則型の夫はそもそも会話をしてくれない。



司令型の奥さんは子供の成績が悪いのにイライラしているが、理想型の夫には理解ができない。

「子供の好きなようにやらせてやればいいじゃないか」と夫が言うと「○○さんの家の○○くんは〜」なんて比較し出す。



このように互いのタイプが違い、またそれを知らないと互いに対する疑問と憎しみで関係性はめちゃめちゃになります。



それではどうすればいいのか。

自分と似たタイプの人とコミュニティをつくるべきです。

なぜなら同じタイプの人とは、大切にしているモノが同じだから価値観が合うためです。

すると互いの無償の奉仕と感謝のサイクルがスムーズに進みます。



逆にいうと、ミニマム化していくコミュニティのなかで価値観が合わない人がいることは致命的です。

その人に調和を乱された結果、コミュニティは崩壊してしまうでしょう。

ちなみに私は司令型の人が嫌いです。




ゆえに私は、タイプによる世界の分断がおきるべきと思っています。

それぞれがそれぞれのタイプの人とともに暮らす。

そうすれば余計な争いがおきずに済みます。



現にTwitterなんてひどいものです。

互いの行動規範が違うから理解しあえないし、そもそもそれを理解しあうには文字制限数が少なすぎる。結果、議論にもなっていない言い争いばかり。




これを現実でもしているのが今の世界です。




これはつまり相手を判別するための情報が間違っているのです。

どこの国の人とか、何歳とか、男とか女とか、職業とか肩書とか、相手がどんな人間か把握するために偏見を利用しているから相互不理解がおきる。

だから自分の考え、言い方が伝わるハズだと思いこんでしまう。そして「これを理解できないなんてアイツはバカだ…!」なんて思う。




違うのです。

大切なのは相手が4タイプのうちどれなのか。

そしてそれは自分と同じなのか。

それを前提に人間関係を探す必要があります。

それでは次は、どのようにしてその人間関係を探すかです。





(↓以下、未整理)

【5】いい人戦略のススメ。


SNSを利用しましょう。

さきほどTwitterの悪口を書きましたが、そんな議論に参加さえしなければ素晴らしいツールです。

自分と同じモノが好きな人、同じ価値観をもっている人をフォローしてゆるい関係性を構築する。

Twitter以外にもジモティーやイベントサイトなど、SNSは友人を探すためのツールとしては最高です。

参加費をとらずに開催

つまり、『いい人』として

○設定画

ホメが流通します。

ホメとはつまり、評価

それともう一つ、もしあなたがネット上で他者への悪意を
いますぐやめてください。

いずれaiによって選択され
未然にミュートされるのは見えている
もはやコレクションからセレクションの時代へと移ってしまった




ここから先は私と同じ理想型の人に対して書きま

評価経済社会では個人の評価がネット上で流通します。

もしネット上で、とてつもなく邪悪な存在を見つけたとしても、それに対して

価値観が合わない人と議論してもムダ。それどころか周囲から嫌なヤツとまとめられる

SNSでは自身の理想をおさえる。

理想型は常に怒りとともに行動しています。

それは理想に達せぬ自分であったり、美意識がない行動をする他人です。

SNSではそんな美意識のない人間が大勢います。

その結果、「それは違う!」と熱くなって訂正したくなったり口論をしたくなったりするでしょう。


しかしそれは周囲はめんどくさい人

だれもじっくり読みはしません。

だからSNSではいいひと戦略のみをおこなうべきです。

理想は自身の創作にくみこみ、その創作物でじっくり語る。

街頭演説のようなツイートでは、だれも中身には興味がない。

Twitterで議論をおこすのは基本的に司令型と理想型です。

理想型からしてみては、悪は放っておけぬ?

しかしはたから見れば同じ穴のムジナ


Twitterは新しい友人をつくる、友人の近況を知るためのもの。

きらいな人間に時間を使うものではない



ミュート&ブロックで世界の分断が超速で起きている

ホモ・サピエンスは議論の生き物。

公衆の場で大声で相手を言い負かし適応度をあげるのが生存戦略だった。

女が泣くのも同じ

だからついったーでも議論がおきる。

しかしそれが意味のない時代が来た。

意味ないどころか有害。時間のむだ。

絶対にやめるべき。

かわりに

毎日つぶやく、好きを伝える

友人をつくるために


ビジネスも同じ。お金をもらうために嫌な人と付き合う。


高度情報化社会では嘘、隠し事、過去はすべてバレる。それが嫌で匿名でいるとなにも恩恵を得られない。

蒸気機関により人は強さという

を奪われた。

コミュニティのなかで力っぷしが強くても尊敬されなくなった

科学はすべての人を公平にする。

目が悪い、耳が悪い

その先にあるのは優秀な人はいらない

最後に残るのは友達

自分はこれを「友人経済」と呼んでいる

仲間の優先度(仲間内で資源獲得競争が起きた場合)
例オタサーの姫
①友達:感情の共有ができる
②道化:ペット
③賢者(師匠)

敵:資源獲得競争の相手

空気がよめない、悪口、陰口、攻撃的、感謝の気持ちがない、貢献する気持ちがない。


コミュニティに対して消費者の立場にいつづけるクレーマーはいずれすべてのコミュニティから追い出されることになるハズです。


お金がないと誰もコミュニケーションをとってくれない。だからお金を稼ぎつづける必要がある。

つまり、いい人だけで国をつくりたいという世迷い言が実現する恐怖の時代ともいえる。


人間なんて不自然で不安定で不衛生なものよりも、同じく不自然であっても機械に頼ったほうが安定かつ衛生的。



【6】

生涯求職社会
嫌金
相場
お金を多数所有している人は困る 
知らない人相手にしごとをする仕事時代じゃない
いわば出稼ぎ、外貨稼ぎはそこそこに抑える

資本主義による剰余価値の搾取と、ホモサピエンスの献身性の悪魔合体
やりがい搾取

詳しくはここに書いたんですが、


5年とはつまり、大学を卒業した労働希望者の誕生を5回までは現在の日本社会が受け入れられる余裕があるだろうなーということです。
一人で住むな

別れて住むほど貧乏になる

それと拠点を3つ持て

コストダウンのための仕事の分割と外注によって、仕事に慣れるための簡単な仕事がなくなってきている。即戦力しかいらない。

死にたくない。 だから、これから来る信用経済で生き残る方法を探しています。