象徴的なニュース〜うつ病患者と共に生きる〜

おはようございます。
今朝、こんなニュースが耳に飛び込んできて
急遽、noteに書くことにしました。

記事を一度見ていただきたいのですが、
本当に痛ましいです。

弟(22)が姉(26)を殺害するために、車で事故を起こした。弟の証人に立った両親は、弟への情状酌量を訴え、姉に「(死ねて)良かったね」と。


これだけ聞くと
耳を疑いますよね。


この背景には、姉の精神疾患がありました。
「長年、メンタルクリニックに通い、うつ病や発達障害の診断を受けていた。
事件が起きた20年は、仕事をしておらず、家に閉じこもる生活を続けていた。」
ということなのです。

そして、うつ病も重度だったのでしょう
「家庭内で、「死にたい」「殺してくれ」「なんで私を産んだの」などと、頻繁に訴えてくる」
希死念慮が頻繁に、
もしかしたら何度も自殺未遂があったかもしれません。

「その度に、母親は落ち込み…」
弟「が慰めてくれることもあったとのこと。」

実際には違うかもしれませんが、
きっとご家族も、姉の病状に戸惑い、案じ、心配し、
相当な努力をなさったと思うのです。
そんな中で、支える側の家族も疲弊してきて、限界に及んだ。
弟が最後の手段に出た。
いえ、弟も相当に追い詰められるまで
苦心し、苦しみ、もがいてきたと思うのです。
弁護士の話で
「心神耗弱の状態で、価値のない自分と姉は生きているべきでないという狭い思考を抜け出すことが困難」
と述べられていますので、うつ病に陥っていた可能性もあります。

「車を走行中に、故意に速度を加速させながら、法面へ乗り上げ、電柱に衝突させるなどして、同乗していた」姉を「殺害した」

想像を絶する苦しみがあったのではないでしょうか。
自分も死んでしまうかもしれない。
いえ、弁護士の叙述の通り、「死ぬつもり」だったのかもしれない。
22歳と言えば、
大人の世界に踏み出して、可能性が無限に広がる
そんな時期です。
その時期に、、、。
本当に痛ましいです。


さて、僕がこのニュースで
1番注目したのは次の母親の言葉です。

「あれだけ(死を)望んでいたので「良かったね」と言ってあげました」

最初に断っておきますが、母親を非難するつもりは全くありません。
もちろん、本当にそう思っているかもしれませんが、
母親も苦しみに苦しんで、そうでないとわかった上でこうするしかなかったかもしれません。
そうであれば、どんなにか苦しい言葉でしょう。。。

願わくば、このニュースをみた人に、うつ病についての誤った理解が広まらないこと、うつ病についての前向きな議論が広がることを望みたいのです。
既にネット上の掲示板には「メンヘラの姉」とか「親ガチャ」とか
心ない言葉が散見されます。

僕はうつ病ではないので本当のところは分からないのですが、

希死念慮は本当に「死」を望んでいるのでしょうか?

確かに、うつ病患者本人の言葉を表層的に捉えると、「死にたい」「消えてなくなりたい」のです。
しかし、なぜそう思うのか、それは「自分が不要な存在に思える」からなのです。
何かがきっかけで、自分の価値を自分で認められなくなってしまった。

思うに、生命は須く「(広い意味で)生きるために」存在していると思います。
「死ぬため」ではありません。
全ての命に死は不可避ですが、死はあくまで結果だと思うのです。
生きて「命をつなぐ」それが人類という大きな枠での目的、
それが本能だと、そう思います。

だから、「死にたい」というのは、本能が正常に機能していない状態、
病気、エラー、何かがおかしなことになってしまっているのです。
あなたのせいではない。
あなたの「意思」でもない、そう思うのです。

このニュースで一番注目されて、認知され議論になって欲しいのは
「うつ病」は本人だけでなく、家族(支える人)も苦しむ病気である
ということです。
もちろん、姉がうつ病になってしまった原因もですが、
彼らを救うことはできなかったのか、
苦しみながらも、なんとかしてうつ病の姉を支え、寛解へ・・・
家族で笑顔を取り戻すことはできなかったのか。

うつ病について僕が思うのは、
支える人間が限界を迎える前に、支え続けられる環境を社会でどう作るか、
そのことなのです。

今回の事件は、「うつ病」を社会が救えなかった
そんな象徴だと思うのです。

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