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35 桜

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忘れられない日々の記憶  ~私が今までの人生で最も美しい桜に出会ったのは、父が亡くなる3日前の桜だ。地面一面の桜の花びら。優しい風がそよぐ中、私はこれからどうしようかと決断するべ… もっと読む
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35 桜 (1)

35 桜 (1)

私が今までの人生で最も美しい桜に出会ったのは、父が亡くなる3日前の桜だ。地面一面の桜の花びら。優しい風がそよぐ中、私はこれからどうしようかと決断するべく、暫くその公園のベンチに座っていた。

この1ヶ月弱、まだ寒さが残る4月の上旬から毎日のように病院と実家を歩いた。とにかく歩きたかった。歩いて歩いて、1日2万歩近くも歩いても、まだまだ歩き足りないくらいで、常にこの先のことを考えたり、泣いたりしなが

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35 桜 (2)

35 桜 (2)


私には姉と弟がいる。姉はちょうど2人目の子供を産んだばかりで、1番忙しい時期だった。弟は実家から同じ県内ではあるけれど、まあまあ離れた場所に住んでいた。帰ってくるにも車で2時間強はかかる距離だ。

私は高校卒業と同時に実家を離れた。
私は家族の中でも風変わりだから、親が望むような生き方は出来なかった。いつも申し訳ないなと思っていたし、私の生き

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35 桜 (3)

35 桜 (3)

長野はまだとても寒かった。着いたその足で病院に向かった。

久しぶりに会った父はすっかり老いていた。
まだ66才なのに、体格も良く、はつらつとした印象の父だったのに、頬が痩け、疲れたような顔をしていた。体調が悪いというのがよく分かった。
本人は自分に起きている状況を知らなかった。ただ前立腺肥大の影響で入院しているのだと思っているようだった。なので、早く退院したい、退屈だとぼやいていた。
主治医も母

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35 桜 (4)

35 桜 (4)

いろんな事が初めてで、分からないことも多かったが、拙い言葉でも必死に話せば相手は丁寧に教えてくれる事が分かった。死が迫っているからなのか、本当に人が親切だと感じた。

なかなかセカンドオピニオンの紹介状が手に入らなかった。
父も母も主治医の先生をとても気に入っていて、いい先生に出会えて良かったと言っていたけれど、私はこの優しすぎる先生が少し苦手だった。
ストレートな言葉が全く無く、焦っている私には

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35 桜 (5)

35 桜 (5)

セカンドオピニオンはがん研有明病院に行った。
東京での僅かな日にちの中で必死に調べたときから決めていた。
この病院のこの先生に診て欲しい。
そう思って紹介状を手に入れて、直ぐにその先生に診ていただけるよう、病院に電話してスケジュールの予約を入れた。
ラッキーなことに、そんなに遠くない日に診ていただけることが決まった。

本当であれば、もっと早くにこの病院で診てほしかった。
いや、私の単なる希望だ。

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35 桜 (6)

35 桜 (6)

退院した父は翌日にはもう、とても辛そうだった。
多少会話もできるし、起きてきて少し一緒にお茶を飲んだりもしたけれど、ほとんどの時間、自分の部屋で寝ていた。
母に聞けば肩がとても痛いと言い出し、夜もなかなか眠れていないようだった。そんな中でも病院から処方された薬は飲み続けた。
薬を飲むとお腹がいっぱいになって、食欲が出ない、、、と父は言った。

もう飲まなくて良いのに。一体、この薬にどんな効果がある

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35 桜 (7)

35 桜 (7)

家まで歩いて帰った後、母に緩和病院の話をした。
この後、夜遅くに診察に来てくださること、病院の理念、考え方。
そして今の父の状況を考えると、自分たちに父の苦痛を取り除いてあげられることは出来ないという現実。そのために適切な対応をしてくれる病院に行ったほうがいいという、私の希望。
母はまだ完全には納得していない様子ではあったが、私が下した決断に理解を示してくれた。

夜になって、先生が往診に来てくれ

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35 桜 (8)

35 桜 (8)

父は苦しい中で私に「なんで、なんで」と何度も言った。
おそらく「なんで俺は今、こんな状態なのか?」と
その説明を私に求めているのだろうなと思った。
言えるわけもなかった。ここまできて。

もっと早くに、病気になる前から、父と死について話をしていたり、父がもっとそういう人なら、私だって最初から話したかった。
でも言えなかった。私は聞かれるたびに「お父さんがベッドを嫌がるから、病院の皆さんがこうしてマ

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35 桜 (9)

35 桜 (9)

翌日は冷たい雨が降っていた。

父を迎えに朝早くに病院へ行った。
ベッドで寝ている父はとても綺麗にしていただいて、
気持ちよく眠っているようだった。
私は父の寝ている横に立ち、父の顔に触れた。
肌がしっとりしていて、子供みたいに柔らかい髪の毛が可愛かった。
生きているときにはやらなかったこと。
父の頬を触り、頭を撫でるなんて、
こんな時にしかできないなと思いながら。

この緩和病院は礼拝堂があって

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母のこと

母のこと

母のことを書こうと思う。

父が生きている時、母はとても父を頼っていた。
母自身も出来れば父が死ぬより前に自分が先に死にたいと
常々思ってるような人だった。

父が死んでしまって、母は広い家に1人になった。
私は暫くは実家にいたが、いつまでも自分の人生を放っておくわけにはいかず、父のお葬式が終わってから半月ほどで東京に戻った。
2人とも傷心していたので、お互いに気持ちが落ち込むだろうと思っていたし

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