StirRed 1

「世界、終わってんな」
 と、背後から唐突に声をかけられた。どちらかというと、声をかけたというより独り言に近いニュアンスだったかもしれない。
 この辺りでは一番高いビルの屋上。
 眼下には、人の動きのない時間の止まったかのような街並みが、白い自然光を反射しながら広がっている。
  振り向くと給水塔に腰を掛けている線の細い人影。
 装飾品をジャラジャラ付けた、露出の多いボディラインのはっきりした格好、そのわりに男か女かよくわからない。逆光で顔はよく見えない。よく見えないなりに私とそいつは視線があっていたと思う。
 唐突にそいつは給水塔から私の目の前に飛び降りると、下から覗き込むように私を見た。
「終わってるのは前からだろう」
 私は自分の前髪をかきあげながらそうこたえる。
 そいつの髪色はパープルだかピンクだか微妙な発色、やたら白い肌、細く形の整った眉、緩いカーブの鼻。大きな目だけがやけにピリピリと光って見えた。
 そのピリピリが落ち着かなくて、私は身体を回しフェンスに手をかけ、街並みに目をやった。
「それにおわりじゃなくて…」
 ゴーストタウンの様に白々しく静まり返ったビルの群。けれど確かにそのなかを「やつら」が静かに蠢いているのを感じる。
「はじまりなのかもな」
「なに気取ったこといってんだ」
 そいつは、そういいながら私の横に立ち街を見下ろした。
「オレ、カイ」色々と唐突なそいつが、やっぱり唐突に名乗ったから、
「私はセイ」
 そう応えた。

「で、なんでこんなとこに?」
 カイはフェンスから身をのりだすように、私の顔を覗き込む。
「逃げ遅れた。それで、高いところから状況を確認したかったから」
「なるほど」
「お前は?」
「たぶん、お前と一緒」
 私は目線を反らさずに話をする人間は苦手だ。
「…たぶん?」
「あれこれ考えずに、ここに来たけど、落ち着いて考え直すと、たぶん、お前とおんなじようなことを考えてたんだと思う」
 カイは、私にとって苦手なタイプなのだと思う。
「…鶏か…」と私はつぶやく。
「なんだそりゃ?」
 私はそれ以上は続けずに、この屋上から降りる階段へ続くドアへと足を進める。
「おい!?いきなりどうした?」
 背後からカイが声をかけてきたので、振り向き街を指差した。
「駅は多分動いてない。けど街外れの国道にはわずかながら車の流れがある。どうにかしていけば車を捕まえられるかも」
「いい考えだな、それ!」
 いいながらカイは私へと近付いてくる。
「なんで、ついてくる?」
「いや、オレもそうする」
「なんで?
 二人一緒に行動すれば共倒れする可能性が高いだろう、お前が別の可能性を試せば生存率は二倍だ」
「いやいや、オレはあそこでどれだけ考えても別のアイデアなんか出ない」
 カイは自信たっぷりに言い切った。
「それに共倒れするってのはネガティブすぎんだろ?
 二人で協力すれば生存率だかもあがんだろ?」
「それは、お前、なんというかポジティブすぎだ!」
「あぁ、ポジティブすぎってのは、よく言われる」
 清々しいほどの笑顔でカイは応えた。
 話せば話すほど、こいつのペースに巻き込まれる。私は諦め、黙って階段を降り続けることに決めた。

 最初はあれこれ話しかけてきたカイも、屋上から三階ほど降った辺りで黙った。無視し続けたからかもしれないし、単純に歩き疲れただけかもしれない。
 一階まで降りてきた辺りで、何者かの気配を感じた。
「なにかいる」カイもそういうと、ピタリと足を止めた。
 私とカイは息を潜めながら、階段から一階ロビーの様子をうかがう。
 このビルに入るときに無理矢理抉じ開けた自動ドアから差し込む日の光で照らされているが薄暗いロビーの隅で、黒い塊が蠢いている。
「やつら」だ。
 パッと見、人間と見間違える程度の大きさに、芋虫のような丸いフォルムの胴体。そこから伸びた機械か甲虫を思わせる細長い七本の脚。その脚を犬のように使いロビーにあるソファーだか椅子のようなものに股がっている。
「なにやってんだアレ」カイがつぶやく。
 よく見るとその椅子だかの残骸を黒い煙のように分解して、身体にまとわり付かせるかのように取り込んでいた。
「…食ってる…?」
 私は見たままをかえした。
「椅子を食うのかよ…」
「椅子だけじゃない…車に、コンクリ、犬も食うし、人を食ってるところも見た…」
 それをきき、ため息をつくと
「じゃあ、ロビーは通りたくねーな」
 カイは踵を返した。
「なら、どうする?ここであいつが出ていくまで待つか?」
「いや、それもない」
 いいながら、ロビーとは反対側の壁にカイが両手で触れると、ザッとなにかがこぼれ落ちるような音がした。
「ここから出よう」
 コンクリートの壁は人一人分の大きさでくりぬかれ、足元には同じくらいの体積だろう白い粉末が積もっていた。
「…今…なにした?」
「…さあな…」
 私の問いをさらり流すと、カイはその穴をくぐり抜け外へと出た。
 私も黙ってその後に従い路地に出ようとするが、カイが足を止めてしまったので、上手く出られない。
「どうした?」
「居る」
 カイの視線の先には、犬くらいの大きさの黒い塊。人間に似た脚を三つ生やした蛙みたいな外見。目だけは哺乳類のそれに似て、両目の間隔が蛙よりも狭く正面に付いている。
 ゴミや瓦礫の散乱する路地で、カイはそいつと睨み合っている。
 その蛙もどきはしばらくひくひくと鼻先を動かしていたが、その動きをピタリと止め、三つしかない脚を器用に折り畳むと、ぐっと身を低くした。
「走れ!」
 私はカイをなかば突き飛ばすように、身を割り込ませる。蛙もどきはカイとの間に姿を表した私に向かって跳躍した。
 私はすばやく両手を指の隙間が出来ないように組み合わせ、親指と親指の間にだけ細い隙間を作る。
 その隙間から先を押しつぶしたホースのように水流が勢いよく飛び出し、宙にいる蛙もどきの身体をひっくり返して地面へと押さえ付けた。
 振り向くと、カイが丸い目を大きく見開き、あっけにとられた表情で突っ立っている。
「走れ!」
 私はもう一度怒鳴ると、カイの肩を抱えるように手を回し、蛙もどきとは反対側へ路地を走った。
 走りながら振り返ると、蛙もどきは周囲に黒い煙を漂わせながら、三本の脚をバタつかせなんとか体勢を整えようとしてる。
 全力で路地を走り抜ける。カイは路地を抜け出た瞬間に手近な電柱を指で撫でる。撫でられた高さで細く白い線が走る。カイは路地へ向き直り、片脚を自らの胸へと引き絞ったかと思うと、電柱の上部を蹴り飛ばす。
 蹴られた電柱は、白い線からまるで切り取ったような綺麗な断面で折れ、ゆっくりと電線を引きちぎりながら、路地から飛び出してきた蛙もどきの上に倒れ込んだ。
 ぷききゅう。
「ヤッたか?」肩で息をしながらカイがいう。
 電柱が蛙もどきを挟み込んでる辺りから黒い煙が巻き起こってる。
「いや…そのまま電柱を食ってやがる…」
 私も肩で呼吸を整えながら、
「とっととこの場を離れよう」
 ひとまずそう提案した。

 ある程度開けた公園を見つけ、そこのベンチに腰を下ろし、逃げる間に乱れた髪を束ねなおした。
 すぐそばに立ったカイが私を見下ろしながら、
「で、さっきのあれ、なにした?」と訊いてきたので、
「…さあな…」と、惚けてみせた。
 カイは一瞬、苛立った様子で細い眉を寄せると、私の目の前にしゃがみ込み目線を合わせた。そのまま、足元の石をつまみ上げ、
「見ろ」自分の掌の上で白い粉末状に変えてみせた。
「よくわかんねーけど、やつらから逃げてるうちに、オレはこういうことができるようになった」
 掌から目線をあげるとカイと視線があう、おそらくずっと私の目を見ていたのだろう。
 私は自分の前髪をかきあげると、掌を合わせ椀のようにした。
「見ろ」私は自分の掌の中に水をつくり出して満たした。
「やつらから逃げてる間に、こういうことが出来るようになってた」
 私はなるべく自分の手の中の水を見ながら言った。
「スゲーな」
 カイはそういいながら私のてのひらに顔を近づけると、そこから水を飲もうとする。
「ま、待てよ!」
 私は慌てて、両掌を離すと水はこぼれ落ち、そのまま地面にシミをつくった。
「うわぁあ、もったいねー!」
「てのひらからだと汚いだろ!その辺に!コップ代わりのものとか!ないのかよ!」
「探すのめんどくせーよ、すぐ飲みてーよ」
「だぁぁぁぁぁ!」
 苛立った私は、無言でカイの両掌を組み合わせ、私の掌でそれを抱えるように挟み、カイの掌の中に水を作った。
「おぉー!」感嘆の声をあげるとカイは黙って、その水を飲みはじめた。
「掌と掌の間、任意の空間に水を作り出せるんだと思う。一度にどれだけの量をつくりだしても、特に疲れるとか、消耗する感じはない…て、あんまりガブガブ飲むなよ」
 言われて、カイは顔をあげると、
「そうだな、オレもこの力を使って疲れるとか、そういうのはない」
 にこりと笑う。
「それは…手とか指で触れてないとダメなのか?
 離れたところのものを粉々にするとか?」
「無理だね、あと生きてるモノには効かないみたいだ」
「そうか…
それは例えば、生きていたけど死んでしまったもの…とかはどうなんだ?」
 私の問いにカイは、
「試したことない!
いっただろ、触らないと無理なんだから!
気持ち悪い!試す気もない!」
 顔をしかめた。その反応が思ったより激しかったので、少し驚いたが、
「あぁ、それもそうか、わかった」
 と、私はつぶやいた。
 カイはしばらく不快そうな雰囲気で黙っていたが、
「とりあえず、セイ。
お前といると水筒は必要ないってことはわかった」
 と、微笑むので。
「あぁ、私もお前といるとゴミ箱を探さなくてすむってことはわかったよ。カイ」
 私も微笑った。

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