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音大を出なくてもプロミュージシャンになれた方法【プロベーシストの軌跡②】

こんにちは!
ベーシストの北川アツトです。


今回は「プロベーシストの軌跡」シリーズ第二弾。
前回、幼少期〜高校までのお話をしたので、今回は普通の大学に入ったぼくがプロになるまでのお話。(興味ある人は前回のも読んでね↓)


前回はわりと内面的な話だったのですが、今回は実際にプロになるまでのわりと具体的な内容が多いと思います。

ちなみにぼくを知らない人のために書いておくと、ぼくはアーティストのライブのサポートやレコーディングでベースを弾いてお金をいただいて生活しているプロミュージシャンです。プロフィールはこちら



▼大学生3年くらいまで ~マニアになる~


というわけで前回の続きから、北川青年は早稲田大学に入学しました。
そしたら中高でベースやってたのもあるし、やっぱバンドサークル入りたいじゃないですか。
あと中学でテニスやってたのでテニスサークルもいいなー、バンドとテニスで大学エンジョイしちゃうかとか入学したてのころは思ってました。

まあ、でもとりあえずバンドサークルから探し始めました。
早稲田はサークルが本当に多くて、バンドサークルもめちゃくちゃ多いので割と音楽ジャンルごとにサークルが分かれていたりするんですよね。
高校生のころ一人で練習してたJaco PastoriusとかMarcus Millerとかのフュージョンできるとことか、Dream Theaterとかプレグレできるとこないかなあ、でもマニアックだしないかなーとか思ってたら、普通にありました。
大学ってすげーってなりました。

そして迷わず入りました。
フュージョンできるサークルと、プログレできるサークル(こっちはわりとオールジャンルだった)。


新入生歓迎のライブとかあるんですけど、先輩たちめちゃくちゃうまいんです。
自分も高校のころ結構一人で黙々と練習してたタイプなので、かなりうまいと思ってたんですが、全然そんなことなかった。
まさに「井の中の蛙大海を知らず」状態だったわけです。


大学のレベルの高さにガーンと衝撃を受け、とりあえずテニスサークルに入るのはやめました。笑
負けず嫌いなところがあるので、もっとベースうまくなりたいと思ったわけです。


で、プログレできるサークルのほうは1年くらいでフェードアウトしちゃうんですけど、フュージョンできるサークルのほうは卒業まで在籍しました。


そのサークルの名は「フュージョンマニア」。


名前からしてなんかやばい。
サークルの人たちは自分のことを「マニア」と呼んでました。
あ、ちなみにフュージョンっていうのは音楽のジャンルです。ジャズと何かの融合みたいな音楽。


名前の通りマニア気質な人たちが集まっていて、いわゆるバンドマンのイメージとはかけ離れている人が多かったです。
ただ早稲田の中でも演奏がうまいってことで有名なサークルではありました。
実際、そのサークルからプロミュージシャンになったっていう人はぼくを含めちょこちょこいます。


ただ別にサークル入ったときはプロになりたいとかはまったく思ってなかったです。まあ、そうだよね。この時点でプロになりたかったら音大か専門行ってるよね。


フュージョンマニアに入ってからは、セッションをするようになったり、コードを見ながらベースを弾けるようになったり、アドリブ取る方法を知ったり、先輩がメトロノームのいろんな使い方を教えてくれたり、ベーシストとしてレベルアップしていっている感があって楽しくサークル生活を過ごしました。
サークル以外でもベースのレッスンを受けたりと、人生で1番ベース練習してた時期だと思います。大学行ったら教室じゃなくてサークルの部室に直行する日々。すまん親。学業ほったらかし笑。

そんなこんなで大学3年生のときにサークルの幹事長(サークルの長です)をつとめて、幹事長を次の代に引き継いだあたりで、就職活動を始めることになります。


▼大学卒業まで ~プロになることを決意する~


大学入ってから就職するために情報収集したりとかインターン行ったりとかOB訪問したりとか資格取ったりとかは何もしてなかったし、何も知らなかったので、とりあえずたくさんの企業が集まる合同説明会に行ってみました。


1回行って、うーんピンとくる企業なかったなあ、2回行って、あ、おれ就職じゃないな、と悟りぼくの短い就活活動は終了します。
制服のない中高を選んだのと同じで、なんかみんなスーツ着てる感じが肌に合わなかったのでしょう。


とはいえ働かないわけにはいかないので、今までの人生で1番打ち込んだベースを仕事にしよう、プロになろうと決意するのでした。


だから、この憧れのベーシストとかがいてああなりたいとか、なんか人生を変えるような衝撃的な音楽体験がきっかけとか、ではなくわりと消去法的な感じでプロを目指し始めます。


でもなんか知らないけどプロになれるだろうという謎の自信はありました。
後から考えると本当何の根拠もないですが、謎の自信大事です。


ただベースのプロって言っても色々ありますよね。バンドのベーシストなのか、それのもソロアーティストとしてベースを弾くのか、ベースを教える講師になるのか、今だったらYouTuberとかもありますよね。


色々あって迷いそうですが、ぼくの場合そこに迷いはなく、プロになるならスタジオミュージシャンになりたいと思っていました。


ただどうやったらスタジオミュージシャンになれるのか当時はまったくわからなかったです。

そんなときサークルのベースの後輩でサークル外のセッションによく行ってるアクティブな子がいて、どうやらその後輩がなんかちょこちょこベースでお金をもらっているという話を聞きつけ、ぼくもセッションに行くことにしました。

当時はサークルの中でセッションはよくしていたのですが、サークルの外に出て行ってセッションをするということをしたことがなかったので、初めてのときは本当に緊張してたのを覚えてます。


サークル外のセッションに行くとこれまたうまい人がうようよいました。
サークルの中では結構頑張ってきたのでそれなりに上手くなってたつもり(少なくともプロになれるって思っちゃうくらい)でしたが、井の中の蛙大海を知らずパート2でした。


ただセッション行くと色々な人と知り合えるし、武者修行的な感じで腕試しにもなるし、楽しかったです。そして、それ以外にプロにつながる道がわからなかったので、ちょこちょこセッションに通うようになります。

▼バイト時代 ~仕事はあるけど食えない~


それですぐプロになれたかというと世の中そんなに甘くはなく、大学卒業してもベースを演奏する仕事らしい仕事はありませんでした。


なので大学卒業してからはしばらくバイトもしつつ、夜はセッションに行くみたいな生活をしていました。本当毎日セッション行ってるんじゃないかくらい行く日々。


そうやってセッションに通い続けたり、自分でセッションを企画したりしていると、知り合いも増えて、ライブや演奏の仕事に誘われるようになっていきました。

小さなライブバーみたいなところでやるセッションライブ(当日のリハだけでセッション感覚でやるようなライブ)とか、レストランで演奏とか、結婚式で演奏するとかとか。
そうやって少しずつ演奏でお金をもらえるようにはなっていきました。年に100本くらいそういう演奏の仕事がある時期もありました。


が!
そういうところで演奏をしてももらえるのは数千円からよくても1,2万円でとてもじゃないけど、それで生活するのは難しそうでした。

そんな生活が大学卒業してから2,3年続いたと思います。

▼2012年 ~ユーミンのオーディション~


そんな感じだったのでこのままじゃプロにはなれないなあとは思っていて、バイト辞めて音楽だけで生活するならメジャーアーティストの仕事が取れないとなーと考えていました。


ただそれで何か新たなことをするわけでなく、周りの同年代ミュージシャンもちょこちょこメジャー仕事やり始めてるし、メジャー仕事やってる知り合いの先輩ミュージシャンも結構いるし、そのうちチャンスがやってくるだろうとなんとなく思ってました。われながら楽観主義。


でも実際、音楽の仕事ってほぼコネ(コネっていうと感じ悪いけど人とのつながり)だから、つながりができてれば、あとは実力と運です。多分。


1人でしっかり練習して、セッションとかでつながりを作るという当時のぼくの戦略はそんなに間違ってなかったかなと思います。


そういうわけで、2012年、25歳のときに運がめぐってきます。
松任谷由実さんの帝国劇場でやる公演のオーディションの話をいただき、なんと通っちゃったんです。


単純に実力というよりは、本番が10月丸1ヶ月間でオーディションが8月とかだったので、空いてる人がいなかったっていうのが大きいと思いますが、多分人生で1番くらいうれしかったです。


でも、それでそのままいっきにミュージシャンとしての生活が始まるのかと思いきや、全然そんなことなくて、ユーミンさんの公演が終わったあとはまたバイトしながら、セッションしに行ったり、ライブしたりの生活でした。大きい仕事1発やっても、コンスタントに仕事がないと厳しかったです。


ちなみに当時を振り返ると本当何もわかってない若造がおれわかってますみたいな顔してベース弾いてたんだろうなって感じがします。でもチャンスって準備が完全にできる前にやってくるもんですよね。


▼2013年 ~実家を出る~


ただ、ユーミンさんのサポートをしたことで箔がついたのか翌年の2013年あたりからありがたいことにメジャーなアーティストの仕事をもらうようになっていきます。
今もずっとやってるSKY-HIとかもこの頃がはじめましてだったような気がします。

ちなみに当時ぼくに仕事を振ってくれていたのは、ほぼ100%セッションで知り合ったミュージシャンの方々でした。ユーミンさんのオーディションもそうだったし、SKY-HIもそう。
セッション行っててよかったーって感じです。


それでいい感じになってきてバイトやめれるかなーって感じだったんですが、ぼくは神奈川の川崎市に実家があったのでずっと実家にいたんですね。でも実家にいてバイトやめて食えるようになってもしょうがないなと思って、実家を出ることを決意し、一人暮らしを始めます


地方出身の人からしたら一人暮らしとか当たり前のことだろうし、大したことじゃないと思うのですが、自分の中では一人暮らしを始めたというのはめちゃくちゃ大きな転機だった気がしています。


背水の陣じゃないけど、やらないきゃ生きていけない感が自分を強くしてくれるみたいな。本当不思議なんですけど、そこから運気がいっきによくなって仕事が増えました


そして2014年の2PMのJun.Kの全国ツアーが終わったあたりでバイトをやめました。(初めての大きな全国ツアーで、これもセッションで知り合った先輩ミュージシャンが誘ってくれた。)


ただやめたのは、バイトやめてもベースで食えるという確信があったわけではなく、このツアー中に勢いで金髪にしたんですが、当時バイトしてたガソリンスタンドが金髪NGでやめざるをえなくなったという感じでした笑。
まあ、でもなんとかなるだろうとやめて、そこから音楽だけで生活するようになります。

そう考えるとまだ自分のプロ生活は今年でちょうど10年目。区切りのいい年。まだまだこれからって感じしますね。


▼2014年から ~プロとしての生活が始まる~


さあ、そんなわけで晴れてプロミュージシャンになれましたー!結構な文章量になっちゃいましたが、お付き合いいただきありがとうございました!

2014年以降、ミュージシャンになってからコロナ禍の話とかを次回は書いてみようかと思います。

▼追記、書きました!


ではまた!



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