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家族紹介③妹〜壱

さて、今日は2つ下の妹の事を書いていこうと思う。
これまで、母、父のことについて書いてきたが、量はそれほど多くはならないと思う。

私が生まれた2年後に妹が誕生した。

その時の事は私もまだ2歳の時だったので、記憶は残っていない。

学生時代を過ごして街に引っ越す前の記憶は、少しだけはあるが、静止画像のような断片的なものでしかない。

私が5歳になる年に学生時代を過ごした街へ引越した時からの記憶からとなる。

妹は、幼少期は動物が好きで、テレビや映画などで動物について扱われた作品や番組にとても興味を持っていた。鶏が産む卵は大丈夫だが、豚肉などの食肉が、命が犠牲になって、スーパーなどに並んでいると知った時はとても悲しそうにしていたのだった。

それを思いやってか、父は牛肉や豚肉をどうやって取るのかについて、動物の皮膚に少しだけナイフを入れて少しずつお肉を取って、あとから絆創膏を貼るのだとか言っていた気がする。

幼い頃から動物に関する仕事がしたいと言っていて、獣医やペットショップの店員さんなどになりたいとよく言っていたと記憶している。

また妹は、最初はキリスト教系の保育園に行っていたが、当時の私の家庭はクリスチャンでも何でもなかったので、なぜそういう経緯になったかという所までは私は知らない。お盆や正月に親戚の家に行くようになると、お昼ご飯の前にするお祈りの言葉を行ってみてとみんなから言われているようであった。

私の家は、動物をよく飼っていたのだが、それは妹の影響が大きいと思う。また母方の実家に猫や犬や軍鶏などがいて、それに影響されたのもあるのかもしれない。

今思い返してみると、本当にいろいろな動物を飼っていた。ねこ、いぬ、うさぎ、セキセイインコ、カメなど。余談になるが私も小学校低学年くらいにカタツムリに興味があってクッキーの大きめの缶にカタツムリを入れて飼っていたのを覚えている。また私の育った街は大きなお祭りがあり、露店で金魚すくいをやる事があって、上手く取れなくても、おじさんがサービスで2匹くらい袋に入れてくれるのだが、うちには水槽や金魚鉢みたいなのがなかったので、お風呂の洗面器に入れておいたのだが、何がいけなかったのか、翌日には亡くなっているのだった。

育った街に越してきて初めて動物を飼う事になったきっかけは祖母の家で猫が子猫を産んで、それを1匹もらってきたことだろう。私が幼稚園から小学校低学年、妹が保育園から幼稚園くらいにかけてだと思う。白と黒の模様のある猫でオスだったと記憶している。名前までは覚えてはいないが、この頃は家族4人全員がこの猫を可愛がっていたと記憶している。

また妹は、キリスト教系の保育園から私が通った幼稚園へ転入したのだった。これも理由は私は知らないのだが。

私が小学校低学年くらいまでは、兄妹仲も普通な感じだったと記憶している。私が低学年の頃までは、平日の午後などに、妹と2人でお風呂に入っていたという事も覚えている。そこへ学校のクラスメイトが遊びに来た時もあった。

さて、場面緘黙をもった私が小学校3年生になると、妹も小学生という事になり、母から妹に友達ができるまでは、一緒に通学するようにと言われ、すこしストレスになっていたという事は前の記事でもお伝えした通りだが、もう本当になーんにも話さずに学校までの道のりをただ歩くだけであった。妹はどんな思いだったのだろうか。。

また猫とうさぎを同時に飼っていた時期もあり、基本的に猫は放し飼い、うさぎはケージに入れていたのだが、家の敷地の周りには門も含め、うさぎはすり抜けられないような囲いがあったので、母は私たちがいない時にうさぎもケージから出して、放し飼いにしているのだった。当然だが、猫に攻撃されてうさぎは、ストレスを受けていた事だろうと今となっては思ってしまうが、ストレスなどという言葉もその頃はまだなかったので、そんな概念さえ、誰も抱いていなかったのだった。ねこに攻撃されたうさぎが後ずさりしなくなってくると母は、うさぎも強いんだよなどと言っていた気がする。

だが、なぜかうさぎが夜も放し飼いになっていた日があり、その夜、野良猫にやられて死んでしまったのだった。

その後、亀を飼ったり、妹が学校帰りに子猫を拾ってきて、育てていたりした。そして、犬も買った事があった。その犬はどこから来たか記憶は定かではないのだが、その犬はメスの白い犬で名前をジョリーと名付けられた。当時やっていたテレビアニメで、ジョリーという犬が出てくる番組があって、そこからだったと記憶している。この犬とは本当に世話になった。私の事も入ってしまうのだが、定時になると散歩に行く事になっていたのだが、雨の日も、私の気分で違う道に行こうとした時もついてきてくれた。この犬とは結構長い間一緒にいたのだった。ただ、メスだったので、私が散歩中に野良犬と交尾をしてしまい、近所の人に助けを求めたのだが、それが原因で、オスの野良犬が家の周りをうろつくようになってしまったり、子犬もたくさんできて、友達の家にあげたり、また母方の実家にタクシーに乗せてもらって、もらってもらった事もあった。

妹も小学校生活に慣れてくると、友達もできて、一緒に学校に行く事はなくなったのだが、同じ学校に通っている事で、学校内ですれ違う事もあり、場面緘黙の私を見て、妹はどう思っていたのだろう。

私と妹は、小学校5年くらいまで、同じ部屋に机を置いて、宿題などをやっていたのだが、ある日、私が学校から帰ってくると、妹が自力で、いつも単身赴任の父が使っている部屋へ机などの私物を全部移動させてしまい、その時から、父の部屋は妹の部屋になってしまったのだった。当時住んでいた家は二階建て3Kで、私は2階で寝ていたし、思春期を迎え、親と一緒に寝るという事は避けていたのだった。妹もその時を迎えたのだろう。週末になって父が帰ってきた時も、部屋がそうなっていては、父も年頃の娘と一緒に寝るのは駄目だと思ったのだろう。私が朝目覚めると、すぐ横に父が寝ているのだった。

私は本を読むという事が苦手で、作文などは大の苦手だったのだが、妹はその逆で、読書がとても好きで、作文もスラスラと書けていたようだ。そのため、父からはワープロを買ってもらったりしていた。また、鳥を観たいと言って双眼鏡を買ってもらった事もあったようだ。

ただ、両親が毎度のように険悪な感じで、父は週末しか家にいなかったので、母に吹き込まれたか、徐々に父と距離を置いていくのだった。2匹めのねこを飼っていた時も、そのねこは、少し臆病な性格で、父を見ては逃げ回っているのを見て、父がそのねこを虐めていると言って、妹自身も父から距離を置いていったのだった。また、私が小学校の卒業式での返事がみんなに聞こえない事を妹が彼女のクラスメイトにからかわれたというようなエピソードも聞いている。

そのためか、私との仲も段々と開いていくのだった。最初は、妹がいつも怒っているように見えて、なぜ機嫌が良くないのかわからずにいたのだが、私も段々と私が喋らないからだと思うようになっていってしまった。

そして、妹が中学に上がる年、市内で大きい家に住むため、学校は変わらずに引越しをした。その家は4LDKで、家族4人にそれぞれの部屋があり、最初は悠々自適な生活をしていた。その時、先程のねこも一緒で、引越しをしたので、ねこがちゃんと家に帰ってくるか心配になっていたのだが、ねこも一定期間、ちゃんと帰ってきていた。だが、ある日帰ってこなくなり、その理由を父が虐めたからだとか思ったり、私との関係もかなり悪く、母と妹の関係も、父と妹の関係も、私を含めそれぞれがいがみ合って、家庭環境が殺伐としていくのだった。

妹は、本が好きで動物が好きという性格はずっと持っていたようで、高校は電車で15分くらいの農業高校に進学したのだったが、その年は私も大学受験などで、両親と色々あり、妹の高校生活の事までは把握できていない。

ここで私が高校を卒業し、家を出る事になる。
話はここで区切りをつけていこうと思う。

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